13 トマトの肉まん
朝からソワソワと落ち着きのないコウに両親も世話役の爺やもやれやれといった様子だ。
自分の気持ちをまだ伝えていないコウだが、アンズには特定の男がいないということを本人の口からきいて、そして、今日新作の饅頭が出ることを先に教えてもらえた、それだけでウキウキとしているのだ。
状況は両親と一緒に食事を言った日から何も変わっていないのだ。
定食屋の看板娘と常連客。
変わったと言えば、コウの財布の中身くらいだろう。
朝ごはんを食べ終わったとおもったら、店が開く時間が待ちきれないのか散歩と称して家を出ていった。
使用人たちは、「また美味い饅頭でも持ってきてくれるかな」と言わんばかりだが、両親と番頭と爺やの眉間には皺が寄っていた。
今日も気温が上がりそうだが、コウの気持ちは軽い。
朝から明るい日差しを浴びて、足取り軽く散歩をしていたのが裏目に出た。
足を延ばしすぎたか、馴染みのいた遊郭のそばまで来た時に、つるんでいた若旦那衆の朝帰りにぶつかってしまった。
日差しがあり気持ちよく清々しい朝にもかかわらず、若旦那衆は不機嫌な不満な顔をしている。
コウにも覚えがある。
二日酔いが抜けていない、ちゃんと眠れていない、それにもかかわらず、遊女も遊郭もうわべだけの丁寧さで彼らを朝になると追い立てる。
そう言うときほど、気持ちの良い清々しい朝は暴力にも不平等にも思えるのだ。
「おや?紙問屋の」
「最近、ちっとも会わないじゃないか?」
「馴染みを変えたのか?」
「放蕩のし過ぎで店を傾けたのか?」
良い憂さ晴らしができると思ったか、彼らはコウに絡んだ。
「これは皆さん、お帰りですか?」
コウは笑みを張りつけて、丁寧に応対をした。
その態度が彼らの癪に障った。
彼らには「まだ、はしたなく遊び歩いているのか?」と小言と説教を垂れる親や世話役や番頭の言葉が頭の中で繰り返された。
「お酒をすごされませんよう。私はこれにて失礼を」
そう言ってペコリと下げた頭に手を伸ばそうとも、ふらつく頭と重い体ではコウへの反論も反撃も出来なかった。
コウは後ろから掛けられる罵声にも似た言葉を聞こえないふりをして、大回りで平民街の定食屋に向かうことにした。
少し年上の彼らは子どものころからコウにとっては大人に見えた。
彼らの真似をして酒を飲み、遊郭に通い、金貨で支払った。
さすがに金貨をまくようなことはしなかったが、彼らの勢いと熱量に巻き込まれるように一緒にいた。
遊郭の朝帰りだって経験した。
こんな清々しい晴れた空を恨めしくも思った。
酔いつぶれて家に帰り、昼過ぎまで寝て、二日酔いのまま夕方になりちょっと気分が戻ってきたところで再び飲みに出る。
そんな生活を繰り返せば、父にも世話役の爺やにも番頭にも小言を言われ、説教を受けた。
その小言も説教も今では放蕩が芸に収まっている間は許すという互いの確認と猶予だったと思っている。
家族から繰り返される小言と説教はコウの耳をふさぎ、若旦那衆との距離を縮めた。
そもそも気が弱く、いいたいこともはっきりと言えない性分のコウには彼らとつるむのも限界があった。
家族にも話せず、若旦那衆との交友もうまくできなかったからこそ、酒にますますおぼれた。
あの日、若旦那衆との会合に行かず、時間つぶしに立ち寄った平民街の酒場で飲んだあとのアンズと定食屋との出会いがあったからこそ、彼らとも距離を置くことができた。
ふわりと漂ってきたおいしい匂いにコウは息を思い切り吸い込んだ。
定食屋の定休日に店を借りている饅頭屋の肉まんの匂いだ。
朝ごはんを食べて、散歩をぐるっとしてきたら心持ち腹が減った。
そう言って腹に手を当てれば、定食屋に通い始めてからいい感じに腹にも肉がついた気がする。
いや、体全体に肉がついた。
しかし、余分な肉と言うより、本来あってしかるべき肉。
夜ちゃんと寝て、朝ちゃんと起きて、飯を食って、働くために不可欠な肉だ。
さっき会った若旦那衆の不機嫌な顔はちゃんと肉がついていないからだろう。
そうか、あんな幽霊みたいな顔をしていたのだな、とコウは思う。
考え事をしているコウの近くを子どもたちが銅貨を手にかけていく。
その行先は定食屋、いや、今日は饅頭屋だ。
饅頭屋のおばちゃんから手渡しで大きなホカホカの饅頭を受け取って、かぶりつき、美味さに目を潤ませる。
子どもたちはそれぞれ1つずつ別の饅頭を買い、それぞれの味をちょっとずつ味見をしている。
自分の腹の加減は…新作の饅頭1つと言ったところか。
そう思いながら開け放たれた引き戸から店の中に入った。
「コウさん!いらっしゃい!お早いですね」
「アンズさん、楽しみすぎて来ちゃいました」
「ちょうど蒸しあがったところですよ、新作ですよね」
「はい」
アンズと会って明らかに目をキラキラとさせるコウに饅頭屋のおばちゃんはニヤニヤが止まらない。
一緒に並んで隣で別の饅頭の蒸し加減を見ているシイカに目配せしても、シイカはただ静かにうなずくだけだ。
ここで何のかんのと周りが騒ぐことは得策ではないと、二人のためにならないと納得して、おばちゃんは大きな饅頭を箸でつかんでコウに渡した。
「大銅貨1枚だよ」
「はい」
コウは大銅貨1枚と引き換えに饅頭を手にした。
ふかふかでホカホカしていて、頬を摺り寄せたくなる柔らかさだ。
子どもたちと同じようにかぶりつけば、肉汁が甘くトマトの酸味に引き立てられている。
「美味い…」
肉だねはもちろん、汁の染みた饅頭の皮も美味い。
さっき若旦那衆とあって冷えた心の奥から再び温まる。
「どうだい?なんて聞くのが無粋だねえ」
「そんなにおいしい顔されたら、嬉しくなるわねえ、ねえアンズ」
「うん…」
アンズは短く答えた。
コウのおいしい顔を見て、嬉しい以外の感情が湧いてこない。
口元にあふれる肉汁を指でぬぐい、それを舐めている姿ですら嫌な気にならない。
こんなに何を食べても「おいしい」と言ってくれる人はアンズにとっても得難い人だ。毎日の料理を作る励みになるし、ちょっとした工夫をしたときに思うのは必ず、「コウさん、美味しいって言ってくれるかな」だ。




