12 トマトと豆腐の小鉢
コウは変わらず定食屋の営業日にはご飯を食べにやってくる。
アンズの父ちゃんや兄ちゃんがやってくるときにかち合うこともある。
皇帝の父ちゃん、皇帝を支える帝国の影の兄ちゃん。
2人は普段宮廷にいて、何日かに一回定食屋に顔を出す。
市井に住まう皇帝の妻シイカと娘アンズには常連の中に護衛がわりに帝国の影がいる。
通いの板前さんも帝国の影だ。
定食屋に時々ピリッとした空気が漂うのはただ父ちゃんがやってくるだけでない何かがあるときだ。
「アンズ、最近変なことないか?」
「変なこと?特に何もないけど」
その日も兄ちゃんのシュカに聞かれて、アンズは目を丸くして返す。
アンズの世界はいつもと変わりはない。
穏やかで忙しくて、それでいて「おいしい」にあふれている。
「ならいいけど」
アンズが特に気にしていないなら、別に騒ぐほどではないかとシュカは思った。
「どうしたの?兄ちゃん。なんかあった?」
「いや…お前もなんだかんだ言っても年頃だから、しばらく会わないうちに好きな男の一人や二人いてもおかしくないだろ?」
「…なにそれ、父ちゃんと兄ちゃん以外に好きな男は一人で十分だよ。いないけど」
「そうか」
兄のシュカはポンポンとアンズの肩を叩いて、席に着いた。
「食べてくの?兄ちゃん」
「うん、たまには客として来てもいいだろ。主菜は鶏肉で、ご飯は普通盛、小鉢は俺が好きそうなもの適当に選んでくれ」
「はーい、ちょっと待っててね」
何気ない兄と妹の会話が聞こえてきて、コウはホッと胸をなでおろす。
少なくとも今アンズが親しくしている男はいないことが分かった。
それは同時にコウは定食屋の常連という立場を抜けていないということだけど、コウはまだ気づかない。
コウの父親が縁談を進めるかどうかはアンズの身辺調査をしてからと告げたのは両親と定食屋に来た翌朝のことだった。
アンズの男性との付き合い方はもちろん、家族も周囲の常連客も徹底的に調べると父親は言った。
アンズは両親が昔から知る娘ではないから、定食屋で顔を合わせて気に入ったとしても慎重にならざるを得ない。
一番困るのは定食屋以外で働いている父親や兄が商売敵と懇意にしている場合だ。
縁談を勧められない可能性もあるし、下手すれば将来的に商売敵に秘匿にしたいことが流されるかもしれない。
あとは家族やアンズ自身の金回り問題、父や兄に厄介な女の影がないかなどなどだ。
そう言う調査が人知れず入っているから、兄がアンズに確認しに来たのだろうとコウは思った。
「アンズさん、お勘定をお願いします」
「はーい。トマトと豆腐の小鉢を一つ追加されていて、先払いを預かっていますので、大銅貨1枚です」
「はい」
コウはじゃらりと重そうな音をさせて財布を取り出した。
そして、大銅貨1枚を差し出した。
コウの財布には金貨の代わりに大銅貨と小銀貨が入るようになった。
おかげで財布が重い。
「今日もおいしかったです」
「ありがとうございます」
「…明日と明後日はお休みなんですね…3日後が今から待ち遠しい」
アンズはニコリとほほ笑む。
コウの言う待ち遠しいがおいしい定食を食べることだと思っているからだ。
コウが「貴方に会うことが待ち遠しい」と言ったら、好きな男はいないというアンズはきっとコウの前に出てきてくれなくなるだろう。
それだけはダメだ
アンズに逃げられて、この定食屋の常連という立場を失ったら、いくら更生したとはいえ、また酒におぼれてしまう…
今度は取り返しのつかないところまできっと酒に飲まれてしまう、コウはそう思った。
アンズは口元に手を当てて、コウにだけこそっと何かを打ち明ける。
「ここだけの話ですけど、明日饅頭屋のおばさんが新作を出すんです」
「新作?」
「肉まんの餡にトマトを入れたさっぱりしたお饅頭を出すんです」
トマトのさっぱりした饅頭と聞いてコウの口に唾があふれて、慌てて口元を抑える。
「暑い時期だけの限定品で、一緒に何回も作ったのがようやく売れるんです」
「きっとおいしいですよね…」
「もちろん。お客さんの反応を見たいので、明日お店にいるので、もしよければ買いに来てください」
「…はい!明日、自分も休みなのできっと買いに来ます」
その場で食べて、アンズに感想を伝えれば、今みたいに嬉しそうに楽しそうに笑ってくれるだろう。
そう思えばもう明日の朝が待ち遠しい。
「はい、お待ちしてますね」
笑顔のアンズに見送られ、胸が温かくなってコウは蒸し暑さが残り始めた夜の街の家路を急いだ。
その様子をコウが最近つるまない、他の問屋の若旦那衆に見られているとも気づかずに。




