覚悟と使命と責任と
日本三大夜景の一つ、長崎・稲佐山展望台を訪れた。
眼下に広がる街の灯りは、ただ美しいという言葉では足りないほどに澄み、どこか現実から切り離されたような幻想性を帯びていた。
戦後八十年。
世界で初めて原子爆弾が投下された街の一つが、この静かな輝きを抱いている。
かつてこの地で起きた惨禍を思えば、目の前にある光景はあまりにも穏やかで、あまりにも日常的で、だからこそ胸の奥に静かな違和感を残した。
その灯り一つひとつは、戦争を生き延び、戦後を生き抜き、今日へと街を繋いできた人々の営みの証なのだろう。
私はそれを、単なる夜景ではなく、懸命に生きた魂の集積のように感じていた。
そのとき、不意に胸に浮かんだのは、自分がこの国を護る仕事に就くにあたって口にした宣誓だった。
『私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法および法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを誓います』
あの宣誓は、日々の忙しさの中で、いつしか言葉としての輪郭を薄めていたのかもしれない。
だが、稲佐山から見下ろした長崎の灯りは、その一語一語を、重みを伴って思い出させた。
この光を当たり前のものとして次の世代へ手渡すために、何が必要なのか。
この街が再び悲しみに沈むことのないようにするために、自分は何を背負っているのか。
夜景を前にして、確かに心の中に芽生えた感情があった。
それは高揚でも誇示でもなく、静かで、しかし揺るぎのない覚悟に近いものだった。
この国を護る存在として、私はこれからも忠を尽くしていきたい。
長崎の灯りが教えてくれたのは、武器や力ではなく、守られるべき日常の尊さと、それを支える責任の重さだった。




