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4話 特別/フライト(上)


 その日、幼いレイモンドは大きな音で目を覚ました。

 何かがぶつかった音、何かが崩れる音。

 大きな音が苦手なレイモンドはそれを聞くなり耳をタオルケットで塞ぎ、続く音が聞こえない事でようやくゆっくりベッドから這い出した。


「何の音……?」


 レイモンドの部屋は2階、聞こえた音は下からだった。

 足元から日常を壊すような音に怯えて、恐る恐る部屋の扉を開けて、階段を降りる。

 軋む階段を1段ずつ踏み締めて、階下の様子を伺うレイの胸中は恐怖でいっぱい。

 それでも階段を降りるのは音の出処と原因を確かめて、未知を既知に変えようとする、そんな人間としての衝動に背中を押されたからだ。


「お母さん、お姉ちゃん……」


 だがそれでも夜の暗闇の中で子供が恐れるのは何処かに潜むモンスターだ。

 頼りたい人達の事を口にして、恐る恐る音の出処へ向かう。

 小さな一歩を進む度、大きな音は想像の中のモンスターが立てたのだと恐怖が膨らむ。

 ならば実際は?

 レイモンドはついにその正体へと辿り着く。

 リビングに散らばる家具の破片、その破壊の中心にうずくまる影。


「……お姉ちゃん?」


 うずくまる影は細く、長い髪の少女。

 そんな異常な状況であれ、その人物が見慣れた姉エレインであったので、レイモンドは安堵と共に呼び掛ける。

 しかし返事は無い。

 ピクリとも動かず、床に座り込んで黙り込む。

 ならばとゆっくり肩に手を触れて、呼び掛けようとした瞬間。


「どうしたのお姉──」


 エレインの姿が消えた。

 レイモンドの手からエレインの肩に触れた感触が一瞬にして消えて、代わりにヒュン、と石でも投げたような風切り音。

 そして部屋の反対側から大きな衝突、そして破砕音。


「ひっ!?」


 肩を竦ませたレイモンドが恐る恐る振り返って見れば、そこにはまたうずくまるエレインの姿。

 まるで一瞬にして移動したように……そう、一瞬にして移動したのだ。


「何の音──!?エレイン!」


 レイモンドが状況への困惑を強めていると、リビングに響いたのは母親の悲鳴のような声。

 部屋の惨状を目の当たりにし、そして娘の尋常ではない様子を見て慌てて駆け寄る。

 しかしエレインから返って来た反応は、異常なスピードで後退り家財を破壊するというもの。

 姿が殆ど捉えられず、暗い室内に残像を走らせる。


「エレイン……?エレイン?聞こえる?ママよ……」


 部屋の隅で自らの身体を抱き抱えるエレインに、母親の優しい声が届いているのかは周囲からは分からない。

 ただ、エレインの耳にこの声は意味のあるものとしては聞こえていなかった。

 

「大丈夫、ママがここに居るわ……安心して」


 エレインは今、必死に動かないようにしている。

 彼女は自らの身体の動きを制御出来ていないのだ。

 思ったよりも、遥かにスピードが出てしまう。

 僅かにアクセルに足を乗せただけで、いきなり時速100キロオーバーが出てしまうようなもの。

 少し歩こうとしただけで、異様にスピードが出てしまい転んで何処かに衝突する。

 エレインはそれに人を巻き込むのが怖いのだ。

 そして加速した感覚の不均衡さに慣れていない。


「大丈夫、家具が壊れてもまた買えばいいもの。ママは怒ったりしない。貴女に怪我が無くてホッとした」


 ただそれも、母親からの優しい抱擁で落ち着きを取り戻す。

 殆ど人には感知できないような高速の震えも治って、髪の毛をうなじに貼り付ける嫌な汗がどっと流れる。

 込み上げる吐き気や眩暈を必死に抑える中、その背中を母親は優しくさするのだ。


「こんなに凄い力があるなんて、エレインは凄いのね……自慢の子、貴女は特別な子よエレイン……」


 暗いリビングに、カーテンの隙間から月明かりが差し込む。

 その光の下で穏やかに、エレインは母の胸の中で眠った。

 突如として目覚めた力に振り回される、その緊張から解放されて。


「貴女は正しい力を持っている……それで悪い事を正すのよ……」


 それをただ、レイモンドは見ていた。

 リビングの暗闇の中で、言葉を聞いていた。

 自慢でも、特別でもないレイモンドはひとりで闇の中に帰る。

 冷たいベッドの中で、自分を抱き締める為に。


「いつか、僕も……」


◆◆◆


 レイモンドのヒーロー活動は細々と続く。

 殆ど毎日、放課後には能力獲得ドラッグを使って束の間の特別を得るのだ。

 そうしてやる事と言えばパトロール、そして見つけた事件を能力を使って解決する、

 ただニュースで速報として出て来るような、大きな事件に関わる勇気は無い。

 なので大それた事件を解決するような、そんなヒーローにはなれていない。

 なれてはいないものの、レイモンドが自分を慰めるには充分だった。


「へぇーいっぱいアップされてる」


 テレポートで登った屋上のへりに腰掛けて、レイモンドはスマホを眺める。

 感嘆すら漏らして次々とチェックする動画には、皆一様にひとりの少女の姿が映っていた。


「僕の事を見てくれる人がこんなに居るんだ……」


 近頃、人を助けて回る謎の少女が居る。

 彼女は何者だ?

 ヒーローではない、名無しのテレポーター。

 明らかな情報の少なさと、人を助けているという点が人の心を掴んだのだろう、SNSにはヒーローとしてのレイモンドについての言及が多くなっていた。


「凄い……こんなに、まだある!」


 レイモンドは夢中になってエゴサーチをする。

 見つかるのは助けられた事への感謝、そして明らかに正規の活動ではない事への懸念。

 だがレイモンドは生まれて初めて受ける賞賛に、身を震わせる程に喜んでいた。

 罵倒も、否定も、レイモンドにとってありふれたもの。

 そんなものよりも脳は肯定的な意見を受け止めて快を得る。

 浮かれて舞い上がり、レイモンドは気分上々だ。


「名前、考えるべきかなぁ……せっかくならカッコいいやつをさ」


 レイモンドは呑気だった。

 無理もない、最初のうちは捕まるかもしれないと緊張していたのが、今では逃げられると分かり受け入れられていると知ってしまった。

 だからこのように、人助けをひとつする度にSNSをチェックする、例に漏れない現代っ子のルーティーンが出来上がっていたのだが。


 ビルのへりに腰掛けたレイモンドの背を、強い風が押した。


「うわ風──!?」


 強く、身体全体を押す風はまるで川の流れのように途切れる事なく押し寄せる。

 ごうごうと、振り返る事すら出来ない風を背後に感じつつ、レイモンドは落ちないようにとへりを必死に掴んでいた。


「落ちるかと思った……」

「落ちたとしても、テレポートで戻る事が出来るだろうに」


 安堵の声を漏らしたレイモンドに、刺々しい言葉が掛かる。

 それはビルの屋上にマントをたなびかせて降り立った(・・・・・)、スカイブルーのヒーロースーツを身に纏う若い男の声。

 頭には戦闘機パイロットのようなバイザー、マスクを備えたヘルメットの完全防備。

 その各パーツがスライドし、その下の顔を──更にマスクを付けて目元を隠した顔が現れた。


「二重マスクって顔蒸れないの?」

「通気性の良い素材で出来ているのでね……君こそ、ヒーロにしては顔面の通気性が良いようだ」


 顔を指差し、そう言った男の言外の意図をレイモンドは察する。

 つまりはヒーローとして活動する許可を受けてもいないのに、そのような事をするとは何事か、と。


「捕まえに来た感じ……ですか」

「警告で済ませる事も出来るだろう。もちろん、今後はこのような事をしないと約束出来るなら、だがね」

「そんなの……っ」


 レイモンドは口を突いて出そうになった否定を飲み込む。

 そんな事を言ったとしても、状況が悪くなるだけだと理解しているから。

 ただ、やはり冷静な判断とは別に、心ではこのヒーロー擬き(・・)の活動を辞めたくないと思っている事も確かだった。

 

「嫌かな?だがヒーローとはそういうものだ。このスカイセイル──最も注目されているヒーローランキング2位のスカイセイルとて、しっかりと講習や試験を受けて活動に許可を得ている」

「だから僕にも受けろって?」

「当然だとも。何故なら、それがルールだから。そしてキミのようなテレポーターは貴重だ。SNSでキミの事が話題になった時、それが認可を受けていない個人の活動だとすぐに分かった……この国にテレポーターは片手で数えられる程度しか居ないからね」

「ひょっとして……スカウト?」


 レイモンドの疑問に対し、スカイセイルはニヤリと笑う。

 芝居掛かって、大仰に、腕を広げて歩み寄る。

 だがそれが、当然ながらパフォーマンスである事にレイモンドは気が付いていた。

 このオファーを受ける気ならば、特別な自分を迎えに来てくれたのだと、そう心が揺れるかもしれないがレイモンドは違う。

 レイモンドの得た特別とは、特異で、そして悪性だ。

 

「キミの素養は認めよう。そのテレポート能力はまさしく天から授かったギフトであり、それは人を助ける為に使われるに相応しい力だと。だがね、ルールには従うべきだ。ヒーロー養成校に通いたまえ」

「……そこに通ったら、誰でもヒーローになれるんですか?」

「ああ、その資質があればね。キミならば充分だろう、そのチケットを生まれながらにして持つものだから」

「なら──」


 レイモンドにとって、ギフトとはテレポート能力の事ではない。

 その力を与えた、いわば降ってやって来た幸運(・・・・・・・・・・)の方だ。

 そして、その存在は違法であり警察も追っている物。

 まさかスカイセイルも未だ極々少数のみが確認されたそれを使って、犯罪ではなく人助けをしている存在が居るなどとは思わない。

 レイモンドには、正規の手段を取れない後ろ暗さがある。


「お断りします!」


 拒絶を口にし、テレポートで逃げようとしたその時、風が吹く。

 跳ぶと決めれば、集中しさえすればテレポートが出来るレイモンドの精神をかき乱すような強い風だった。


「跳んでしまえば──!」


 だがしかし、その風の出処は当然……スカイセイル。

 風と共に肉薄した彼はレイモンドの肩に、微風のように手を置いた。


「断ると言ったキミを、このスカイセイルが逃す訳がないだろう」

「っ!」


 風を纏って追い縋ったスカイセイルと、間近で見るヒーローとその力に驚いたレイモンドは……その場から姿を消した。

 代わりにその場に激しい風の流れを残して。

 そして二人の姿は遠く、上空から真っ逆さまに落ちていた。


「やはりテレポート能力は触れているものを巻き込むか!」

「うわ──うわうわ!?着いて来ないでよ!?」

「この手を離す時、それはキミが自身の処遇を決める時だ!」

「2人とも落ちてるんだって!」

「ならば跳べ!出来ないのならば、こちらで飛ぶ!」


 スカイセイルのヘルメットがスライドし、閉じる。

 マスクとバイザーで防御したそれが、彼の飛行形態。

 ヒーローのスーツとは、能力を十全に発揮する為の装備であり、決して見掛け倒しではないのだ。


「順風満帆!このマントは風を受け、より高く飛び立つ為にある!」

「うわっ!?」


 重力に従い錐揉み落下する2人だったが、空中で突如巻き起こった風が2人を──スカイセイルを包み込む。

 空気の流れが姿勢を正し、マントに風を集めて空を帆走させる。

 これこそがスカイセイルの能力。

 自身の周囲に風を起こす能力だ。


「すご……本当に空飛んでる!?」


 落下は経験があれど、生身での飛行を初体験のレイモンドは驚嘆と悲鳴を叫び、ハリケーン並みの暴風に目を細める。

 まともに目を開けてはいられない風は全身を叩き、スカイセイルに抱えられたまま何も出来ない程だった。


(このままじゃ連行されて逮捕される!)


 だが、レイモンドは抜け出さなくてはならない。

 必死に身体を捩ってみても、当然ながら踏ん張る地面も無ければ力でも負けている。

 であれば出来る事はただひとつ。

 

「なんとか……これで!」


 目も開けられない風の中、レイモンドは祈りと共にテレポートを発動させる。

 レイモンドは普段、目視で跳ぶ先を決めているのだが、それをしなければどうなるか。

 闇雲に、大雑把な方向だけを決めて行き先がどうなっているかなど確認せずに跳ぶ愚行は、目前に迫った地面という危機という結果で終わる。


「ひっ──」


 しかし、そこで終わるのは常人の場合。

 レイモンドの死を目前にした本能的な反応が、殆ど無意識のテレポート使用へ繋がって……スカイセイルを巻き込んで空中を滅茶苦茶に跳び回る事に。


「ちょっ──うわっ──とっ──止まらない!」


 一度弾みの付いた能力は、坂道を駆け降りるように中々止まらず、レイモンドは空中に幾つかの文節を残してテレポートを繰り返す。

 そんな状態になってなお、スカイセイルはレイモンドを掴み、テレポートに巻き込まれながらも自身の能力を使って飛行を試みていた。

 とはいえ身体の周囲に起こした風は、テレポートで置き去りになってしまっているのだが。


「くっ……抵抗を止めろ!」

「止めたいよ!でも自分でも止められないんだよ!」

「能力の暴走か!?能力の使い方を学ばないからそうなる!これが終わったら大人しくスクールへ通え!」

「僕に必要なのは今どうしたらいいかなんだけど!?」

「ええい落ち着くんだ!それで治る!」

「捕まりそうなのに落ち着ける訳ないだろ!?」

「ならばテレポートの方向を上にするんだ!人を巻き込む訳にはいかない!」


 根の正直さ、あるいは他人からの圧力への弱さからかレイモンドは素直に言う事を聞いて意識を集中させる。

 すると無秩序なテレポートは上方への不規則な移動へ切り替わり……レイモンドが落ち着きを取り戻すにつれ、不随意なテレポートはその間隔を大きくしていった。


「う、おぉ……治ってきた」

「このような事があるから、自らの能力を扱う術を学ぶべきだと言っている!」

「その理屈は分かるけど、分かるけど連行するつもりなんでしょ!?」


 テレポートを止めたレイモンドを抱え、スカイセイルは空を飛ぶ。

 風のヴェール……と呼ぶには些か激し過ぎるそれに包まれ、2人は空を流される。

 このままではレイモンドは捕まるだろう。

 時間が切れれば元の無力なレイモンドに戻ってしまい、そうなれば捜査もされる。

 それが分かっているから、やはりレイモンドは拘束を解こうと空中で手足を振り乱す。

 

「──!──っ、っ!──!?」

「何……何!?風が凄くて聞こえない!」

 

 レイモンドの悲鳴じみた声を聞き、スカイセイルは片手をヘルメットに当てて何かを操作すると、二人を取り巻く暴風の中ですら聞こえる大ボリュームがマスクのスピーカーから飛び出した。


「これで聞こえるかね!?」

「うるさ!?」

「ええい!ワガママな……!」


 空中で双方必死の取っ組み合いだ。

 レイモンドは捕まる訳にはいかないと抵抗を見せる。

 スカイセイルはテレポート能力を持つ相手に追い付くには、この手を離さない以外の方法は無いと理解していた。

 

(大丈夫、集中すれば……落ち着いて跳べば逃げられる!)

 

 そしてこの勝負、圧倒的に有利なのはレイモンドだ。

 レイモンドには制限時間こそあれど、その時間いっぱいならばスカイセイルの目的であるレイモンドの連行を遅延出来る。

 レイモンドには思い付く限りの手段を試す余裕があった。


「逃がしてくれないなら、また跳びますよ!」

「どの立場からモノを言っているんだ!キミはルールを破り──」


 テレポートにより、不意に音がクリアになった。

 そんな状態なものだから、レイモンドの耳には大ボリュームが突き刺さる。


「──その力を無秩序な暴力へとぶつかるぶつかる!」


 テレポート直後の推力を失った状態で見えたものが地面であった為、スカイセイルは焦って拘束を緩める。

 緩めて、レイモンドを抱き抱えるように体勢を変えて衝撃に備え──その間に再びのテレポート。


「放っ……せっ!」

「遊んでいるんじゃないんだ!危険な真似はよせ!」


 繰り返しのテレポートに巻き込まれていては、スカイセイルは力を発揮出来ない。

 レイモンドは手玉に取ってやった優越感で、得意げに笑う。


「僕に追い付けないなら放っておいてよ!悪い事してないんだからさ!」

「追い付くさすぐにな!」


 取り巻く景色が次々変わる中、2人は取っ組み合ってテレポートを繰り返す。

 とはいえ一度緩んだ拘束だ。

 レイモンドが徐々に抜け出して、スカイセイルが追い縋る形に変わりつつあったその時の事。


「あっ」


 と、思わず溢したのはどちらか、あるいはどちらも。

 ビルの屋上へ転移して、文字通りに地に足着いた戦いを繰り広げていた最中に、スカイセイルの手がレイモンドの胸に沈み込んだ。

 今日のレイモンドはこの変身を前提に、普段よりもサイズの小さい昔の服を持ってきて着替えていたのだが……当然ながら女性用下着を持っている訳がない。

 となれば当然の事ではあるが、遮る物の少ないより直に近い感覚が手のひらに。


「わっあわわ済まないこんな事をしたい訳では──」

「っ!」


 それは一般的な女性が、そのような接触をされた時に見せる嫌悪ではないのだが、どちらにしろスカイセイルのヘルメットにレイモンドの肘が突き刺さる。


「済まなかっ──」

この僕(・・・)を汚すな!」


 レイモンドはスカイセイルに対して変態と悪態を吐く事も、はたまた好機と見て無言で殴り付ける事も出来た。

 だがしかし、レイモンドの率直な感情を言葉にするとこのようなもの。

 レイモンドにとって、ヒーローとは罪や穢れの無い純粋な存在だった。


「待て!落ち着くんだ!」

「このっ……放せ!」


 屋上に這いつくばり、脚を掴んで離そうとしないスカイセイルと、それに容赦無く足蹴を喰らわせるレイモンド。

 一度形勢がレイモンドの方へ傾けば、いくらヘルメットを被っているとはいえ、スカイセイルは怪我を負う程度には甘んじて蹴りを受け入れなくてはならなかった。


「話を──話をしようじゃないか!?」

「僕の言葉なんて誰も聞かないくせに!でも僕は人を助けてるんだよ!」


 感情の放出と共に強く、芯を食った蹴りがヘルメットを強く打つ。

 思わず仰け反るスカイセイルを見て、レイモンドは今なら逃げられると身体の一部を扱うように、最短の思考でテレポートを選択した。


 が、しかし。

 スカイセイルもただではやられず、指先が僅かにレイモンドの脚に触れ、跳んだ先はレイモンドのみがクリアな着地点。

 空気を押し除けたレイモンドの爪先には、まだひとり分が繋がっていた。


「まだ着いて──!?」


 跳んだ先は空中、ビルの屋上の出入り口となる構造の上。

 レイモンドは空中だったものの、イレギュラーなスカイセイルは……構造にめり込む形でテレポートしてしまっていた。


「はっ……嵌った!?」


 ただ不幸中の幸いか、レイモンドの持つテレポート能力とはテレポートした物体が優先される。

 スカイセイルは構造を盛大に破砕しながら壁にめり込み、抜け出せないままレイモンドから手を離してしまった。


「そのまま嵌ってろ!僕は人助けをする!」

「なっ!?待て!このスカイセイル、ヒーローであるからには一度で諦める男ではない!」


 レイモンドはその場を後にする。

 テレポートする度、段階的に遠くなる大声を背にして。


「僕だって人を助けられる!僕だって!僕も……っ」


 レイモンドは逃げる。

 みっともなく涙を流し、遁走は何より自分の惨めさから来るもの。

 胸を抑えて身体を抱いて、自らの理想と現実の乖離に喘ぐ。


「特別が贈られたんだ……これでようやく……」


 レイモンドは特別を欲している。

 それがあれば、見てもらえると考えるから。


◆◆◆


 疲労困憊、そんな様子でレイモンドは自室に跳んだ。

 まだ変身時間には余裕があるが、スカイセイルに追われた事は相当な負担だった。

 精神面も肉体面も疲れ果て、そして一度追われたのだから身を隠そうという考えもある。

 だがしかし、そんな疲れと不安でテレポートしたレイモンドを迎えたのは……盛大な破砕音。


「うわぁっ!?」


 バン、と木が砕けて裂ける音はレイモンドの着るオーバーサイズのパーカーの端が、テレポートの際にベッドフレームに重なってしまった事で起きたもの。

 ベッドの上に、床にと木屑が散らばり酷い有様。

 そんなやらかしを見て、レイモンドは肩を落とす。


「うわぁ、はぁ……掃除しないと」


 と、自室の外へ掃除用具を取ろうとドアノブを掴んだ時、扉の外から音が聞こえた。

 近付く足音、聞き慣れたそれにレイモンドは脱力状態から一瞬で身体を強張らせる。


「レイモンド?帰ってたのか?」

「まずい、叔父さん今日は早めに帰って来てたの……!?」


 普段よりも早い帰宅、そんなイレギュラーにどう対処するべきか。

 疲れて重たい頭を回転させて、咄嗟に取った行動は今まさに開け放たれようとしている扉を抑える事だった。


「ん?どうしたレイモンド?」


 開けようとした扉、回しかけのドアノブに急に抵抗を感じれば当然疑問を抱く。

 この段階でレイモンドは隠れる事が出来なくなって、なんとかして叔父さんを怪しまれず穏便に追い返す必要が出来た訳だが。


(どうしよう!?声……変わってるし!話す訳にいかなくて……)


 内心はパニックだ。

 叔父さんにとっても自分の家ではある訳で、強行突破の選択をしないのであれば、変身したレイモンドの身体能力ならば無理矢理抑える事は可能だ。

 だが、そんな事をしては明らかに不自然だろう。

 一切の言葉を発さずに、ただ扉を封鎖するのはともすれば強盗が入り込んでいる可能性すら浮かんで、強行突破を選ばせかねない。

 そして扉を打ち破った先に居るのは、部屋の主である自身の甥ではなく見知らぬ少女。

 

「レイモンド?何かあったのか?……緊急事態じゃないなら反応してくれ」


 そんな危機は目前だ。

 警察官である叔父さんは、そのような現場を見た経験がある。

 より身近にある危険に甥が巻き込まれた可能性に対し、その態度は次第に強硬になってゆく。


(早くなんとかしないと……!声、袖に口当てたらなんとかならない!?ならない!なる訳ないだろ僕の馬鹿!)


 一旦テレポートで離れて姿を隠すとしても、部屋にはドラッグ(見られては不味い物)がある。

 レイモンドは焦る。

 焦って、焦って……思考は同じ所をループして。

 

(声、声を……声を理由にすれば!)


 咄嗟に取り出したスマホを高速のフリック入力、スタンプ連打。

 指紋がこそげ落ちるかと思うようなスピードに、レイモンドは指先に血流以外の熱さを感じた。

 緊張に高鳴る心臓、首筋から背中まで熱さと冷たさが入り混じり、扉の向こうで数歩下がる音が聞こえる。

 蹴破る前兆、そう思って身を縮こませたレイモンドだったが……その時は訪れなかった。


「風邪気味で移したくないから扉を閉じるってなぁ……お前は大丈夫なのか?」


 扉の向こうでは、叔父さんがレイモンドから送られたメッセージを見て緊急性が無いと分かった所。

 レイモンドは緊張から解き放たれてホッとして、扉に背中を預けてへたり込む。

 大丈夫、とメッセージを送るのを忘れずに。


「大丈夫なら良いんだ。でも食事は摂った方が良い。チキンスープの缶詰あるけど食べられそうか?」


 ドラッグの効果時間が切れるまで、適当に先延ばしにする返事を送り、レイモンドは項垂れる。

 

「疲れた……」


 今日はハードな1日だっただろう。

 人を助け、ヒーローに追われて、叔父さんにヒーロー活動(犯罪行為)がバレかけた。

 

「でも上手くいってるって事だよね。人を助けて、認められてきたから目を付けられた。うんうん、この調子で頑張れば……!」


 それを破綻とは考えず、前向きというより楽観的でなお悪い。

 だが根本的に、レイモンドは認められたいだけの子供なのだ。

 良い事をしたら、褒められる。

 ただそれだけに従っているつもりの子供だった。


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