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19話 アシッド


 今日も陽が沈む。

 空は青さを徐々に濃くして、やがて真っ黒な夜空になるだろう。

 道を照らすのは太陽から街灯に、治安だって悪くなる。

 そんな時間にひとり歩く少年は、非行を疑われるのも道理だろうか。

 だからこそ、その少年──レイモンドは人目に付かないように、パーカーのフードを目深に被って帰路に着いているのだが。


「あ、あー。んっゔうん……なんか声微妙に戻ってない気がする……」


 喉を抑えて低い声を出そうとするが、やはり声は高いまま。

 暗い時刻に顔を隠し、何やらブツブツとひとり言を呟き続ける人間など、それこそ怪しい存在なのだが。

 そんな事を気にせずに、声にばかり意識が行くのは他にも発生している副作用(・・・)によってこの状況になっているから。


「あーあ、もうこんなに暗い……やっぱり、明らかに薬の効果時間伸びてるよね……」


 以前までのレイモンドは、陽が沈む前には帰宅していた。

 しかし近頃はすっかり帰る時間は遅くなり、陽が沈んでからの帰宅が常だ。

 それもこれも、彼が熱中しているヒーロー活動が原因だった。


「叔父さん帰ってるかな……何か言われたらどうしよう」


 レイモンドの不安と共に歩くスピードも速くなり、自宅マンションに辿り着き玄関の扉を開いた時には、まだどうしようの答えが見つからないまま、無事に帰宅出来た安心感ばかりが胸にあった。


「ただいま……」


 部屋は明るく、叔父さんが帰っている事は明らかだ。

 それを踏まえてレイモンドは、やましい事はないと大声で帰宅を告げる事も、無視して無言のまま自室に篭る事も出来なかった。

 どっち付かずの小声のただいま、と共にレイモンドは恐る恐る扉を閉めて、足音を殺して自室へ向かう。

 だが当然、そんなものは見られているし、聞かれていたのだ。


「レイモンド、こっちへ来てくれ」

「な、なに?何かあったっけ?」

「いいから」


 と、椅子に座った叔父さんが真面目な表情で対面に座るよう伝えてくるので、レイモンドは動揺を隠せず少しだけ抵抗したものの、逆らえずに肩を落として椅子に座った。


「最近、帰りが遅いんじゃないか?」

「ちょっと、友達と遊んでて……」

「友達か……その友達とは、学校を途中で抜け出してまで遊んでいるのか?」


 単刀直入に、レイモンドが座るなり矢継ぎ早に指摘と質問をされるので、レイモンドは溺れそうな息苦しさで思わず黙り込む。


「授業、最近マトモに受けてないそうじゃないか。午前中だけ授業を受けて、午後の授業はすっぽかしているって。カウンセリングにも行っていないし、今日みたいに遅く帰る事だってある」

「なんでそれ……」

「叔父さんは保護者なんだよ、レイモンド。心配なんだ」


 レイモンド自身、やましいと思っていた事であるし、心配だと真っ向から言われれば何か言い返してやろうとも思えない。

 ただ黙りこくる甥に対し、やはり出てくる言葉は気遣うものだ。


「何か危ない事をしていないか?レイモンド、叔父さんは力になりたいんだ。話してくれないか?」

「僕はただ……良い事をしたい」

「良い事?だとしても、お前はまだ子供だ。近頃少し危ないし、早く帰れないか?それに学校なら安全なんだよ。今はあまり、外を遊び歩いてほしくない」

「遊んでるわけじゃない……!」

「何?」


 自分の正当性を主張しようと思わず立ち上がり、拳を握って息を荒げる。


「僕はただっ!」

「レイモンド……?」


 だが続く言葉は出てこずに、目の前で困った顔をする叔父さんを見てジワリと湧き上がる涙を堪えるしか出来なかった。

 もしこれが、ヒーローであるブリンクならば自信を持って自分の考えを言えただろう。

 だが、今ここに居るのは自分に自信の無い、自分が嫌いなレイモンド。 

 臆病で愚かな少年は、立ち上がりはしたものの威勢の良い言葉は震える喉から出てこずに、代わりに走って自室へ逃げた。


「なんで、こんなの違う……」


 レイモンドはそのまま叔父さんと顔を合わせないように自室に篭り、その日は眠った。

 朝は早く家を出て、一応は学校へ。

 

 ただ、レイモンドが学校に行った後、叔父さんはレイモンドの部屋に立ち入った。

 あのまま会話にならないのであれば、怪しい点は検めねばならないと。


「あるとすれば、ドラッグか大金……タチの悪い友達(・・)が出来て遊び歩いているなら、それだ」


 この年頃の少年にしては整頓された……物自体が少ない部屋。

 レイモンドが物欲の強くない子供である事は、保護者である叔父さんも知っているのでそこは不審ではない。

 だが、気になる点はすぐに見つかる。


「ベッドの支柱……いつ壊れた?何故壊れた?」


 そして、叔父さんはレイモンドが物に当たるような子ではないと認識していた。

 であればこれは、事故でないならレイモンドに対する理解が間違っている事を意味する。

 以前のレイモンドならば、遅い時間に帰ったり学校をサボったり、テストの点数が悪いなど考えられもしない事。

 であればこれも、と叔父さんは部屋を慎重に探り始める。

 机の中、本の山、探すべき場所は多くなく、そのどれもが秘密を持っていなかった。

 

「あとは……クローゼットか」


 戸を開けども、そこにはパーカーが掛けられていたり、昔使っていた教科書や古着が段ボールに詰められているくらい。

 幾つか重なって奥まで見えないが、それでも探す事自体は難しくはない程度。


「こんなもの、まだ取っておいたのか……」


 幾つか暴いて中身を確認するものの、どれも怪しい点は見つからない。

 むしろ、レイモンドに買ってやった些細な物が幾つも見つかり、険しい警察官としての顔が思わず緩む。

 

「はあ……どうかしてるな。職業病だろ、こんなの」


 甥に対するその猜疑心に、嫌気が差した叔父さんはため息と共にレイモンドの私物を漁る手を止めた。

 そうして気付かれないように、箱も中身も丁寧に元の状態に戻し始める。


「レイモンドは良い子だ。会話を絶やさなければ、いつか話してくれる」


 自分を安心させる為にひとりごち、叔父さんは全てを戻しレイモンドの部屋を出た。

 だが……もしもその手をもう少し進めていたら。

 レイモンドの叔父さんとしてではなく、クロス巡査としての意識が強かったのなら。

 子供のレイモンドが隠した程度の物は、簡単に見つけられただろう。

 ルミナスから贈られた女性物の衣服、ケースに収められたドラッグ。

 しかしそれらは見つかる事なく、レイモンドの秘密は守られた。

 バランスを欠いて転がり進む、レイモンドの秘密。


◆◆◆


 結局、レイモンドを満たすものはもう、ドラッグを使ったヒーロー活動のみ。

 そしてドラッグの効果時間は使用する度に顕著に伸びているせいで、レイモンドは帰宅時間から逆算した真昼間にヒーロー活動を始めるか、あるいは帰宅時間を大幅に遅くするしかなかった。


 これはレイモンドの主観においては良い事でもある。

 ヒーローで居る時間が増えれば、それだけ心が満たされた。

 しかしレイモンドとしての実生活が疎かになる程に、心に隙間が増えてしまう。

 そこでヒーロー活動で心を満たせば実生活が疎かになり……欠いたバランスは一方へ向かって倒れ込む。

 求めているものが生活の大部分を支配して、厭うものが減ってゆく。

 

 ヒーロー的な活動をしていなくとも、伸びた効果時間で物思いに耽るだけでも心からレイモンドを押しやる事が出来た。

 いつものビルの屋上で、ひとりビルのヘリから街を見下ろす時間がなによりの癒しだったのだ。


「こんな時間に何をしているの?真っ昼間よ」

「うるさいなあ……僕の勝手でしょ」


 と、そんな時間はケイナインに邪魔される。

 いつの間にか背後にいた彼女に、ブリンクとしてなら刺々しい言葉を返す事が出来た。

 

「貴女、学校は?」

「急に何?僕とは関係ない」

「行かないの?それくらいの年齢でしょう」

「それくらいの年齢の人が、全員が全員学校に行ってるわけでもない。補導なら別のとこ行って」


 不良少女さながらに、ブリンクはお巡りさんを突き放す。

 それでもケイナインは気にせずブリンクの隣に近寄るが。


「貴女、腕が細いわね」

「え?そうかな……そうかも?」

「脚も細いし、背も低い……肌も不健康に白いわ。食事はちゃんと摂れている?」

「食べてるけど……急に何?」

「いえ別に。気になっただけ」


 ブリンクも流石に前回顔を合わせた時には盛大に戦った相手が、こうも距離を詰めてくれば不気味に思う。

 詰められた分は距離を取り、送る視線に込める怪訝さを強めていった。


「ところで──」

「ああもう!さっきからなんなの!?急にアレコレ気にし出してさ!不気味!僕にあれだけ言ってたくせに!」

「いえ、ただ私は……貴女を更生させられないかと」

「ふーん、手段を変えたんだ。僕に勝てないから」

「勝てない?床を舐めていたのは貴女の方よ。貴女の価値基準だと、あれは勝ちなのかしら?」

「ヒーローにとっての勝ちって人を助ける事じゃない?ロッティを助けたのは、床を舐めてた僕の方じゃなかったけ?」

「……クソガキ」


 ブリンクは生意気に勝ち誇る顔を見て、思わずマスクの下で毒づくケイナインではあるものの、実のところその内心は満更でもないのだ。

 実際、目的は本人が語るようにブリンクの更生。

 以前は捕まえようとしていた彼女が、何故急にそのやり方を甘くしたのかと言えば……同情から。

 正規のヒーローとして活動すれば前途のある少女に対し、代償行為として手を差し伸べている……とは誤魔化す方便だろう。

 本当のところは己の後悔を埋める為に。

 展望塔にて、頭痛に呻くブリンクを置き去りにした事を後悔し、更にそこへ別の後悔も重ねたから。

 このように似た者同士が傷を舐め合うのは健全とは言い難いが、少なくともケイナインの言っている事は一般的な正しさを有していた。


「ともあれ、学校には行きなさい。行けない事情があるのなら、行政への相談ね」

「はいはい。うるさいなあ」

「食事、睡眠、運動……はともかく、健康にも気を付ける事。それでその曲がった性根もマシになると良いけれど」

「そっちこそ、そうやってマッチョな生活してるからカリカリしてるんじゃないの?」

「他人の生活に口出し出来る程、貴女は偉いのかしら?私は偉い、毎日8時間寝ているし食事も徹底管理している。むしろ動き過ぎてカロリー摂取が間に合わないくらいね。その細い腕……貴女はもっと食べるべき」

「腕は分かったって!もう!うるさいなあ──」


 度重なるお小言に嫌気がさしてブリンクは跳ぶ。

 幾ら相手が速くとも、空中をテレポートしていれば追い付けやしないのだ。


「はあ、なんかあの人と話してると変な感じする……学校かあ。叔父さんにも言われたし、少し真面目に行っておこうかな」


 ともあれ、ブリンクには──レイモンドにはまだ気に掛けてくれる大人が居る。

 そしてその気遣いを、鬱陶しく思いつつも受け入れる余裕がまだ、残ってもいた。


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