15話 降ってきたような
会議室の長机を挟み、2対1で向かい合う。
ひとりは折目正しく丁寧に整えられたスーツを着た女性で、対面には地味と派手の両極端なヒーロースーツの2人。
「来てくれてありがとう。ケイナインさん、ルミナスさん」
ケイナインは背筋を伸ばして整然と、ルミナスは会議室に差し込む日差しを浴びてうっとりと。
「それで、どのような作戦を?」
「おや、早速ですか?貴女のようなやる気に満ちたヒーローが助けてくれるとは、我々は幸運ですね」
「それが仕事ですので」
「ではお話ししますね。この街には今、問題があります」
「問題の無い街なんて、存在しないかと思いますが」
「では大きな問題があります。近頃、能力が使われる犯罪が如実に増加しており……素直に言えば、その解決に手が回らない状況です」
「その為に、私はここまで応援に来ている」
「その通り。この窮状に現れた救世主ですね」
ケイナインは無気力そうにポツリ、ポツリとマスクの内側で消え入りそうな声で喋るので、スーツの女性は愛想良く笑っておべっかを口にしてみるものの、ケイナインは眉を動かす事もしない。
「あー……それで、ケイナインさんには街で発生した事件をその速さでもって、可能な限り素早く解決して頂いて街の治安の致命的な悪化を防いで頂きたいと──」
「私は、雑用係に呼ばれたの?」
「いえいえ!そんな事はありませんとも。こちらのルミナス──ルミナスさん?起きてますか?」
「ぅえっ!?起きてます先生ぇっ……?」
口の端からよだれを垂らし、寝ぼけ眼を擦るルミナスに呆れ顔を浮かべるのは無理もない。
ケイナインは眉をハの字に曲げて、困った顔すらしていた。
「まさか私は……」
「こちらのルミナスさんは犯罪を発見するのに適した能力を持っていますから、ケイナインさんと組めば見つけた側から解決するベストコンビになるかと……思うのでコンビを組んでくださいね。ルミナスさんはまだ未熟なルーキーではあるものの期待の新人なのでケイナインさんのような有能な方と組めばきっと素晴らしい経験になるでしょうし、ケイナインさんにとっても後輩への指導というこれから幾度も経験するであろう事を今経験出来る訳ですからこれは双方にとって素晴らしいプランだと思うのでお願いしますね!それでは〜」
難色を示しかけたケイナインを圧倒し、スーツの女性は会議室を足早に去ってしまった。
残されたケイナインは、側で涎を垂らしたまま状況を飲み込めないままの相棒を見て、深くため息を吐く。
そうして 懐からハンカチを取り出して、ケイナインはルミナスの口元に当て涎を拭き取る。
「はあ……涎が垂れているわ」
「うぇ。どうもぉ〜」
「私は警察犬で、貴女がハンドラーなのよ?これじゃあどっちが犬か分からないわ……」
困り眉を更に傾けて、犬のおまわりさんはルミナスを抱え上げる。
丁寧に、首の座らない赤子を抱くように位置を調整し……姿を消した。
実際には高速で立ち去っただけなのだが、運ばれるルミナスにしてみれば気が付いたら別の場所に居るという点で、テレポートと大差ない。
◆◆◆
地上を歩く者達は、空へ向かって伸びるビルの上で何が行われているかなど気にしない。
ましてそれが、表通りに面していないビルならばなおの事。
細い通路で結ばれた路地裏ならば、ビル同士の間隔も狭く、スリルに魅了された若者達がパルクールの為に飛び越える事もある。
ここにもそんな、命をふいにするようなスリルを求めてやって来た者が、大地に向かって抱擁を求めるように両腕を広げてビルの端から飛び降りた。
(──まだ)
ライトグレーのコスチュームはビルの外壁に溶け込んで、ゴーグルは近付く地面を直視するのに最適。
(まだ届かない)
地面に吸い込まれるように、真っ直ぐ落ちる数秒足らず。
死を目前に意識は引き延ばされて、とめどなく流れる汗が背中を逆向きに落ちてゆく。
(あと少し)
心臓は割れそうな程に激しく拍動し恐怖で瞼が閉じてゆく。
だが、それこそが死を招くと知っているから決して地面から視線を逸らさない。
(まだ、まだまだ、まだまだまだまだ──!)
地面への衝突を前に、身投げをした人影は姿を消した。
代わりにこのビルの屋上に、同一人物が現れる。
「──っはぁ!はぁ……死ぬかと思えた」
ビルの屋上で、大の字に寝転がり空を仰ぎ見るのはブリンク。
ゴーグルの端に涙を溜めて、それでも口の端は吊り上がっている。
「今のは、はは。最高記録だった……これで恐怖の耐性が出来ると良いけど」
自殺紛いの行いは、本人が望んでやっているトレーニングだ。
今日はもう、何度も何度もここから飛び降りて、地面に衝突する寸前でテレポートをする常軌を逸した行いに励んでいる。
瞬きはせず、地面を直視し死を目前に冷静に。
到底マトモとは言い難いトレーニング内容は、何も自分は死なないという驕りや万能感から行っている訳ではない。
「ヒーローなら、死を恐れない……!僕はヒーローになるんだ」
銃口を前に死を感じ、臆して何も出来ない自分を責めた。
そうして克服を目指した果てが、このトレーニングだ。
これがいつか来る死の予行練習になるか、それとも英雄的行動の糧となるのか。
チキンレースに勝ち続けなくては、その結果すら出ないギャンブルへとブリンクは再び向かう。
気楽に、家の階段でも登るように屋上の淵へ立ち、下にプールでもあるような気楽さで身を投げる。
(なんか、慣れてきたな……次はもっと高いビルに行こうかな)
自由落下に身を任せ、暖かな陽気に微睡む余裕すら生まれる死への慣れ。
地面に近付くにつれ心臓の鼓動は早くなれども、恐怖を感じる機能を麻痺させた脳は目の前ではなく、この先の事を思考する。
(──あ、そろそろ)
と、コンマ数秒の思考から現実に戻ったブリンクは、ここでようやく地面を直視した。
直視し、そこに立つ人を見た。
「うわ──!?」
女性の手を引く金髪の少女が、頭上から聞こえた声に立ち止まり落下地点で自分を見上げている。
ブリンクがそれを認識し視線が交わり、共に驚愕の色に染まりその距離が限りなく0に近付いた瞬間。
「っどぅわ!?……セーフ!?」
「セーフじゃないですから!?」
テレポートで落下スピードを殺したブリンクが地面に転がり叫んだ言葉に、金髪の少女は狼狽えながら大きく叫んだ。
「ああ、ごめんなさい……心臓バクバク……」
「ヒーローッ──でも自殺!?何してらっしゃるんですか!?」
「えへへ、ヒーローになりたくてトレーニングしてるんだ」
「こんなのがトレーニングなんて、間違ってませんか……?」
「そうかなあ?僕はこれで次に銃口向けられても、きっと怖がらないって思えるけどな」
少女は背後の女性と結んだ手を強く握り、ブリンクに対する警戒心を強める。
異常な行いを平然と行う人間に対する、当然の対応とも言えるが。
「ヒーロー……待って。貴女の顔、見た事があります」
「ホント!?これでも結構頑張ってるんだよね。どう?この格好とかヒーローっぽいでしょ?」
「ブリンク、そうでしょ?非合法なヒーロー活動をしているって、見た」
「人助けをしてるんだよ……」
「人助け……本当に?」
疑念の向こうに、助けを求めている少女の姿に、ブリンクは頼もしく胸を張る。
見た目は少女だが、ヒーロースーツを着ていれば説得力は何倍にも膨れ上がった。
同時に不審者としても相応だが。
「何か困ってる事でもある?力になるよ!」
「っ……どうなの?信じて良いものなのか……でも、ヒーローじゃないなら……?」
金髪の少女が逡巡している間、ブリンクは退屈そうに歩き回る。
そうしていても、やはり気になるのは少女が連れた女性だろう。
ボサボサの髪に隠れて表情が窺えず、俯いたままダラリと垂らした腕を少女に固く握られている。
「その人は?大丈夫なの?」
「っ!近付かないで!この人は……私の母です」
「そうなんだ。君のお母さん、大丈夫なら良いけど」
「良くは、ない……でも、人を頼れませんので」
「じゃあ僕の出番だったりしない?」
「私の話を、聞いてくださいますか?」
「もちろん!僕はブリンク!君の名前は?」
金髪の少女は髪をかき揚げ、淑やかに笑みを浮かべた。
焦りや不審を取り払い、優雅な動きで社交的に。
相手に敵意は無いと、そのように言外に伝える上流階級の所作だった。
「私はシャーロット。父が付けた名前で、あまり好きではありませんけれど……」
「じゃ、じゃあロッティとか……?いやいや無し!あだ名とか馴れ馴れし過ぎるよねー!?」
「ロッティ……そのように愛称で呼ばれる事、夢でした」
照れ臭そうにはにかみながら、ロッティは金髪を指で弄びながら自分の愛称を反芻する。
小さな声で、何度もロッティと口にして。
対するブリンクは、その様子を興味深そうに見つめて「ほー」と知性のカケラも感じられない嘆息を漏らしていた。
「お嬢様ーって感じだね、ロッティは」
「お金持ちのひとり娘ですもの。そう感じるのなら、父の教育が身を結んだという事ですね」
「嫌そうだね。お父さんと仲悪いんだ」
「悪い?まさか。人形と、その所有者の関係に良いも悪いもありませんとも。私は父を敬愛、していてその言葉の全てに従うように決められているのですから」
「ああ、仲悪いんだ……そう言えばいいのに」
ブリンクがボソリと漏らしたその言葉に、ロッティはフンと勝ち気に鼻を鳴らして居丈高。
「そんな事を言って、貴女は?無遠慮に人の家庭事情を聞くのですから、探られても痛くないのでしょう?」
「ええっ!?それはごめんなさい……えっと、僕のとこは悪い、かな。お父さんはずっと前に捕まって、顔も覚えてない。お母さんは……僕が悪い子だから、捨てられちゃった」
「……はあ、聞いても気分は晴れませんね。意地の悪い意趣返しなんて、するものではありません」
「ごめんなさい……」
「貴女が謝る事ではないでしょうに。ああもう、しっかりしてくださいヒーローさん。せめて頼りたくなるくらいには」
ブリンクを頼る事に比較的前向きな考えを示されて、頼られた本人は表情を明るくして顔を上げる。
なんであれロッティに、頼る人間が居ないと言う状況がこうさせている面もあるのだが。
ともあれブリンクは降って湧いた幸運。
物理的に降ってきて、都合良く助けになると言っている。
ならばその手を、取らない理由も無かった。
「じゃあ僕の助けが要るって事!?よしっ!任せといてよ!」
「ええ、ええ。頼りにしています」
「じゃあまずは何したら良いのかな?」
「それでは早速──」
期待に満ちた視線を向けるブリンクに、ロッティは微笑を浮かべて頼み事。
一蓮托生、もう共犯だぞと脅迫を込めて。
「それでは、よろしくお願いしますね?」