11話 オーバードーズ/ヒロイズム(中)
薄暗い部屋の中で、端末の明かりだけに照らされた痩せぎすの男が、血走った眼でこちらを見ている。
額には汗が滲み、引き攣ったともにやけているともとれる口の端からは、絶えず荒い吐息が漏れていた。
「よぉ!みんな見てるかこの世の隠された真実を暴くバザードだ……!」
端末を操作し、ライブ配信を始めて数秒。
ポツリ、ポツリと視聴者は増え始め……バザードと名乗った男が息を整えている間に、視聴者は加速度的に増えていった。
「はぁ、何分か前に告知したばっかだってのに集まってくれてサンキューな。今、緊急で生放送をしてる!今日はとんでもないブツを手に入れちまった……!このチャンネルを見てくれているみんななら分かっているとは思うが、不都合な真実に対して修正を施そうとする勢力が居る事は知っての通りだ!」
息が上がっている事に加えて、更に強まった語気により男の顔はどんどんと赤くなり、異様な興奮により破裂するのではないかと思う程。
「今回手に入れたブツもまさにその、連中に不都合なものだ!見ろこの……ドラッグを」
バザードが懐から取り出した物は、小さな容器。
1回分の薬液を収める事の出来るそれには、青白い液体が満ちていた。
「明らかにフツーじゃねぇ、光ってるしな。何よりこいつは当局が躍起になって消そうとしてる最先端のドラッグ……聞いて驚け、コイツをキメると一時的にスーパーパワーが手に入る」
それは常識から外れた効能。
配信画面にはバザードを訝しむ声から、この特ダネに盛り上がる声まで様々なコメントが集まる。
そんな盛り上がりを見て満足そうに頷くバザードは、ニヤケ面をより吊り上がらせて、大袈裟にひとつ演説をぶった。
「なにがH.E.R.O.だ!連中は工業廃棄物の違法な処理の結果生まれたミュータントが地球を支配する為に組織を作ったんだ!オレ達まともな地球人を奴隷にする為にな!だがコイツを使えばオレ達は戦う事が出来る!分かるか!?これは真実と自由のドラッグだ!」
そう言って、バザードはテーブルの隅から注射器を取り出す。
慣れた様子で薬液を注射器で吸い出して、カメラに見せつける。
「でも信じきれない気持ちも分かる。連中はスーパーパワーは先天性のものだって喧伝してっからな。だからオレが証明してやる……」
バザードの腕には幾つもの注射痕。
端末の光のみであろうとも、青い筋を見つけ出して針を挿し込む程度は容易い。
「オレは……オレはブライトハートだぁ!」
H.E.R.O.が誇る強大なヒーローの名を叫び、バザードは体内に薬液を送り込む。
薄暗い部屋の中では、血管を伝う光がよく見えた。
首筋から頭へ、血走った眼すらもぼんやりと青く光る。
そして脳から全身へ、淡い光が一瞬駆け抜けた。
「あ、あ……?なんか来てる来てる来てるキテル!」
バザードの全身が音を立てて変化する。
骨が伸び筋肉が膨張し皮膚が張り裂けては再生を続けて……
とうに服は引き裂かれて波打ちながら変化する肉体の様子がカメラに克明に記録される。
そしてマイクに乗る悍ましい音の何倍も激しい音が、バザードの聴覚を直接刺激して、それを掻き消そうと必死に叫ぶバザードだったが。
「あ、がががっ」
発達した筋肉に押し潰されて、声帯はまともに声を発せずに、ただそれも全身が2倍超に膨れ上がった頃には治っていた。
「ハハハッ!すげ、スゲェ!筋肉ムキムキッ!」
丸太のような腕を曲げ、葉巻のように太い指で張り詰めた身体をなぞる。
そこに居るのは痩せぎすの男ではなく、鍛え上げられた肉体を持った偉丈夫だ。
割れた腹筋や大きく盛り上がる胸筋を叩いて舞い上がるバザードの、その瞳はやはり血走っていた。
「フゥ……結構、凄いが、筋肉がオレのスーパーパワー?もっと火を出したり、あれだよ火を出してぇ」
テーブルの隅から手巻きタバコを手に取って、火を付けられないか試行錯誤するも、やはり火は付かない。
「なんだよ、こんなんじゃスーパーステロイドじゃねぇか」
つまらなそうにタバコを投げ捨て、ため息を吐いたバザードが、少しの間黙り込む。
動きも止めたまま、彼の上裸には滝のような汗が流れ始めていた。
「なんか熱いな、ハハどうしたオレ」
胸板を撫でれば、ひと掬いの汗が払われる。
異様な発汗に何かがおかしいと、バザードがそう気付いた時には既に遅かった。
異様な熱さは他ならぬバザードの身体の内側からのもの。
煌々とした赤い輝きが、分厚い胸板の下から放たれている。
それをカメラが捉えた瞬間、爆発的に強まった光に焼かれてバザードは叫ぶ。
「あ、ああ、ああ?ァァアアアア──!!!」
口をポカリと開けたまま身体の内側から弾け飛んだバザードは、カメラを吹き飛ばして配信にはただ、ノイズのみが残っていた。
◆◆◆
時刻は夜に差し掛かり、空は暗く街明かりが眩しい頃合い。
とはいえこの暗さは夜空のそれというよりは、分厚い雨雲によるもの。
星明かりではなく稲光が空を照らし、雷鳴と轟々と唸りを上げる風音が夜を彩る。
このような空模様では街を出歩く者も少なく、風雨に晒されてまで外に出ているのは、そこ以外に居場所が無い者か、もしくは悪天候を押し退けるような理由がある者。
この高層マンションの下に集まった者達は後者。
火を噴き上げ夜空を照らす高層階を見上げながら、全身を雨で濡らす。
夜空は火、地面は赤や青の回転灯が照らしている中で、ただ見上げているだけだった。
「まだ!まだ中に息子が居るんです!」
「う、うちの両親も!お願いします!どうか──」
手をこまねいて見ているだけのその背後では、警察に制止されている上層階に取り残された人々の家族が必死の懇願を行なっている。
にも関わらず、誰も動かないのには当然理由があった。
「状況は?」
マンション近くに停められた、ただでさえ狭苦しい指揮車両に、大柄な男がひとり乗り込んだ。
車が傾くような体躯に加え、トサカのような兜飾りが邪魔臭い。
とはいえそんな事をおくびにも出さず、車両から指揮をしていた女性はブライトハートへ情報を共有する。
「お疲れ様、この高層マンションの上階で爆発が起きたの。それにより火災が発生し住民は避難、ただ爆発が起きた階より上の住民は取り残されたまま」
「消火は、出来ないか」
「色々試しているけどね、能力によって発生した火は消えづらいわ。せっかく今日は暴風雨だってのに、雨はちっとも役に立たない」
「この風では、救助のヘリも飛ばせない。恵みの雨とはいかんな」
「ええ、それに──」
続く言葉が発されるより先に、指揮車両の外から大きな音が聞こえた。
何かが落ちて地面に落下したような、この状況では最悪の音だ。
ブライトハートは慌てて外に飛び出して、雨に濡れる事も厭わず状況を確かめると、外はにわかに騒がしい。
騒ぎの中心では救助に集まったヒーローが固まって、何やら言い争いをしているようだった。
「もう無茶だ!お前が死ぬぞ!」
「いえ、まだやれます!飛ばせてください!」
「落ち着けスカイセイル!この風じゃお前の能力を半分も活かせないだろ!」
騒ぎの中心に居るのは若手ヒーロー、スカイセイル。
彼は明らかに頭に血が上った様子で、この酷い風雨に晒されてもなおその意気は猛々しく燃え盛っていた。
「ですがまだ上には救助を待っている人達が居るんですッ!」
「なればこそ、落ち着く事が重要だろう」
「っ……だったら、貴方はどうするんですか?」
「おい何言ってんだお前……!ちょっと頭冷やせって!」
ブライトハートの忠告に、一時意気を削がれたスカイセイルだったが、次の瞬間には目上の人物に対しての挑発と取られてもおかしくない言葉をぶつけだす。
重ねて諌める先輩ヒーローもいる中で、だがスカイセイルその言葉の奥に、ただ人を助けたいという思いがある事は全員が理解している。
だからこそ、全員が苦汁を味わいただ立ち尽くすしかないのだ。
ただ、ひとりを除いて。
「このような時であるからこそ、冷静に。時間も、体力も、無駄には使えない。全ては有効な一手を探る為に使う……これは何より、自分自身の無力感と焦燥感を相手取った戦いだ」
堂々と、腕を組んで上方……火を上げるマンションを睨むブライトハートの横に、傘を差した指揮官の女性がタブレットを片手にやって来た。
「ではまず、状況を詳しく頼む。先程到着したばかりなのでな。テロではないのか?」
「原因は分かっているわ。少し前、ライブ配信内でドラッグを使用した若者がいたの。そのドラッグっていうのが──」
「能力を、得る」
指揮官は肝心なところを奪われた事に少しの不満を見せたが、即座にタブレット上に表示された情報へと視線を落とす。
「そう、私達は現物の確認すら出来てないのに、ただの薬中のボンボンが手に入れたそれを使ったら……ボン!身体が火になって弾け飛んじゃった」
「テロでないのなら、救助に専念出来るな。オレが火の中を走り抜ければどうだ?」
「無理ね。消防隊の耐火装備ですら燃えるのよ?貴方は無事でも抱えた一般市民が燃えてしまう」
「外壁をよじ登る……どうだ」
「スカイセイル君もそうだけど、帰り道は荷物を抱えて風に煽られるって事忘れないでね」
「ひとり、ふたり。ハーネスでこの身体に括り付け、少数でも運び続ければ」
「上に取り残されている人数すら分からないのよ?それに重量級の貴方の体重を支える外壁は?往復するうちにボロボロよ。それなら屋上にアンカーを設置してラペリングする方が確実ね。現状のメンバーだと登れる人は貴方だけよ、ブライトハート」
「ならば即刻、準備を。状況の変化が、救助可能な人数に──」
救出プランを纏めたブライトハートは動き出すが、その第一歩を踏み出した瞬間、空が俄かに赤く輝いた。
「火勢が増している。このままでは、不味いか」
「要救助者の位置が分からないのが特に不味いわね。このマンションの屋上は立ち入り禁止。ロックを強硬手段で解除出来ないのなら、追い詰められた人々は何処に逃げ込むのかしら?」
「高層階は、窓が開かない。飛び降りは無い」
「なら蒸し焼きって事よ?まあ上に逃げるでしょうけれど、火に囲まれた人も居るかも」
「4人居ますねぇ……」
と、この場で唯一、有効な救助手段を持ったブライトハートの作戦会議に差し込まれた声がひとつ。
雨がタイルを叩く音がうるさい中で、その間延びした声はやけに目立った。
ましてその声の主は、悪天候の夜でもよく目立つピンクの髪に派手なスーツだ。
手で雨除けを作ってマンションを仰ぎ見る彼女を、猜疑心を持って見る者も少なくはない。
「君は……」
「ルミナスです〜インターン的な?見習いなんですよぉ」
「場所が分かるのなら、助かる」
「そうね……でも火の中に4人?ブライトハートが屋上にアンカー設置、上に人を上げて要救助者を下ろす……それをピストン輸送。その間に火の中を潜り抜けて?これは……見捨てる人数を知っただけかもしれないわね……」
悲観的な、あるいは現実を見た発言をする指揮官に対し、ブライトハートはと言えば兜の下の表情をひとつも変えずに毅然とした態度。
「だが、我々はあらゆる手段、そして全霊を以て人を助ける。それだけだ」
「いえ、現実的ではない作戦は指揮官として承服しかねます。助ける事が可能な能力を有したヒーローを、助ける事が可能な人の元へ向かわせます。2次被害を出すわけにはいきません」
対立する意見は視線の交錯という形で火花を散らし、共に負う責任の違いから譲る気はない。
そしてやはり、そんな状況を動かすのはルミナスの間の抜けた声なのだ。
「あのぉ〜なら、全員を助けられる人が居たら、その人に頼っちゃったり?」
ルミナスはひとつ、全てを覆す選択肢を提示した。
「……ああ、居るか。確かにな」
「えぇ〜っと、ウチってばいっつも街を眺めているので、あの子は人を助ける為ならきっと来てくれると思ったり〜?」
即座にルミナスの示した相手に思い至ったブライトハートは、鷹揚に頷きルミナスの意見に理解を示す。
「濁す必要は、無い。あらゆる手段を、と言った通りにな」
「はぁ〜い」
「待って……まさか民間人を使う気?」
「人を助ける能力を持った者だ。頼る事で助かる命がある」
「頼る事で崩れる組織の信用もあるわね……まあ、人を助ける事が重要なのは、そう」
折れた様子の指揮官に、ブライトハートは満足げに頷き、ルミナスは軽く飛び跳ね水溜まりが弾ける。
いよいよ、友人の人を助けたいと願うその思いが叶う時。
そう思えば瞳も輝くというもの。
「では、呼ぶか。彼女の名は?」
「ナ……?名ぁ〜前はぁ……」
ルミナスは言い淀む。
レイ、は本名だ。
あくまで犯罪者、非合法の存在である友人を売るような真似はしたくはなかったのだ。
ならば正体を隠すものが必要だ。
ヒーローらしく、その存在を示すもの。
「──ブリンク!きっと瞬きする間に来ちゃいますよぉ!」