津波
風が窓を揺らし始めたように感じた。今日は仕事を休んで、なんとも怠惰な生活を送っていた。柴犬の動画は日常の喧騒を忘れさせてくれる。
次にスクロールした時、突然画面が暗転し、次に現れた映像が私の視界を覆った。流される建物の屋根、瓦礫の山、かつての街並みのうっすらとした重苦しい影。避難する我々の姿がそこにあり、ここにもいる。平静を装った背中は汗でびっしょりと濡れていた。
轟き。固く閉ざされた引き出しが開いて、悲鳴が溢れ出す。
「助けて!誰か、助けて!」
「こっちに来て!早く!」
「もうダメだ…」
絶望だった。
ふつふつとあの日の記憶が蘇る。押し込んでいた輪郭はなんとも鮮明すぎて、はっきりとしている。貫くかれたように鼓動は速まり、さっきまでの落ち着きようとはまるで違ってしまった。
無力だった。瓦礫と人の姿、たすけての声、余震、あの時の空気感、匂い、音、全部が私の中から引き出されてゆく。
世界が変わった。何もかもが荒れ果て、攫って行った。行方を晦ました希望の数々が、もう姿を表すことは無く、救助を求める声と、恐怖と絶望が色濃く刻まれてしまった。
忘れることなんて出来やしない。やるせなさを。不安の声を横目に見ながら、自分は殻に閉じこもっていた。未だに聞こえてくる。一生逃れる事は出来ない。
そして、絶え間なく続く余震の恐怖。心臓が凍りつく思いをする。延々と続いていくのではと、思うほどだった。毎日が不安定に揺れていた。
当時の記憶のせいで、現在の風景が揺らぐ。過去と今が繋がるはずもなく、ビリビリと音を立てながら対立する。精神的痛みの波が何度も押し寄せていた。
しかし、私は無表情に画面を見ている。立ち尽くす以外に術はない。動くことが出来ない。向き合う勇気はまだない。
希望を願ってはいる。未来しかない。再生を終えた後もそれは変わらない。
目を背けずにはいられない。スマホを持つ手を下げる。とにかく無力だった。情けなかった。
精神的な強さが欲しかった。どうしても手に入らなかったのだ。物理的に何もできなかったわけではない。ただ精神的に、しなかったのだ。なけなしの傲慢さだった。
恐ろしい耳鳴りがするのが和らぐと、また画面を見遣る。過去の私はここにいた、間違いなく。