7話/帝都歴10000年5月、青年の憧れ
いつも通りの朝が訪れる。今朝淹れたばかりの紅茶は、いつもよりも少し味が薄いような気がした。あまり飲む気になれず、ツキミは普段は見ることもないテレビの電源を珍しくつける。
今朝のテレビニュースは、帝国に敗北した三ヶ国が突然滅んだ、なんて怪奇的な内容ばかりが流れている。どの局を選んでもたいして変わらず、最も視聴率の高い番組でさえもこの有り様だ。一つ違うことと言えば、恐れ知らずのこの番組は当時の記録をどこからか回収し、必ず番組内で放送するという特徴を持つ。
そんな番組でさえも、回収された記録は信憑性がない。昨日は少し曇っている程度の天気だったというのに、国から助けを求めていた人は皆口を揃えてこう言ったそうだ。
『雲の上で赤い神様が踊っている』
『血が国境を塞いだ』
『みんな化物に食われている』
『神様が私たちを嘲笑う』
さっきも言った通り、信憑性はない。だが実際の音声が流れたとき、朝のティータイムを楽しむイザナミが僅かに反応を示した。
たった一日で終わりを迎えた戦争、消えた軍隊、その日のうちに滅びた三ヶ国。これも帝国の技術なのかとテレビが好き勝手に討論している最中、イザナミは妙に楽しそうだった。
「神様、こんなニュースを見て笑うのはおかしいよ。」
「敬語をやめた礼として教えてやる。私は馬鹿が死ぬのを好んでいるんだ。特に私の手で殺すのは、実に気持ちがいい。」
「............趣味の悪い人だ。」
ツキミは人の悪趣味を矯正するつもりはない代わりに、これ以上神様の件には触れないでおこうと心の中で決める。しばらくして同じものしか流れないテレビを消そうとすると、神様は何かに気付いたように、テレビのリモコンを取り上げては画面を凝視した。
内容は変わり、ある王族の娘が帝都内にて行方不明になったこと。
ツキミが思い出したのは戦争の前日に行われた会議、始まる前のゲンエイの発言。あの娘はイザナミが処理してくれる、という物騒発言。神様に疑いの目を向ける。露骨に目を逸らすイザナミ、これはほとんど自分が犯人だと言っているようなものだ。
「まさか食べた!?殺人だぞ!?人でなし!!!」
「仮にも神様だぞ、私。よく私を責めようなんて発想ができたな?幻永の不倫を確信できていない以上、私も無意味に人を殺す真似はしない。確かに報道されている女の顔写真と屋敷に滞在していた女は一致している。であれば、あの女は人質として利用するのがいい。」
「それもそれでどうかと思うけどな!?だからお父様も............」
結局神様が処理したわけではないようだが、それはそれとして別に考えていたことも物騒が過ぎるというものだ。
だがこれ以上藪をつついても蛇、もといそれ以上に恐ろしいものが現れるだけ。ツキミも「だからお父様もあなたの様子を見に来なかったのでは」なんて言葉を堪えるが、ツキミの言いたそうな言葉を察したのか、イザナミも深く考え込む。
しばらくして自分の中で回答を導きだし、彼女は反省の意を示すどころか反対のことまで言い出したのだ。
「幻永は私を我儘なお星様として受け入れてるから、特に心配はないぞ。」
「それは内心呆れてると思うけどな!?使用人!」
「マジマです。」
「マジマ!この馬鹿な神様をどうにかできないのか!?」
「昔からこの調子なので、自分には何も。できることなら私が殺してやりたいぐらいですよ。我が主であるゲンエイ様を、ここまで悩ませる女はどこにもいません。」
温厚な使用人でさえも、ここまで言うほどだ。館の主であるツキミはこれはもう無理だと諦めても、時折受け入れがたい発言・行動を繰り返すのが創造神イザナミ。
おまけに自分に教え子になれと言っておきながら、この神様は何も教えないのだ。強いて言えば、魔女の魔法を一度見学したぐらいか。テレビも見飽きたのか、居間を出ようとするイザナミの手をツキミが強く掴む。彼も彼で我慢ならないのか、教えるならいい加減魔法を教えろとイザナミに強く発言した。
「............そんな話もあったな。真島、」
「血で汚すことは許しませんよ。イザナミ、あなたが最初に魔法に憧れたように、彼にも夢を見せるような魔法を教えればいい。人は好奇心から学ぶものですよ。」
「そうか。やっぱりお前は頼りになるよ、真島。」
立ち去るマジマの背中を見送り、イザナミは改めてツキミと向き合う。
教えるにしてもまずは好奇心の生産から。イザナミはツキミに掴まれた手をそのまま引っ張るように、青空の下へ姿を見せる。
さて、この青年はどんな魔法を好むだろうか。青年は魔法が好きだと言ったが、あの返答の様子から察するに、日常で困ったときに使えて便利程度の"好き"なのだろう。そんな青年も本音で好きだと言えるような魔法はどんなものか、イザナミは考える。
人の憧れとは?今の時代あるかどうか疑わしいものも含めると、男の子なら戦隊物や強い動物。女の子ならお姫様としての生活や白馬の王子様。リアルな大人事情を考えれば毎日の休暇。この青年はそのどれも当てはまらないだろう。かといって、自ら聞くのも何か違う。
________この星を見て、元気を出して。星はいつでも君を見守っている。
イザナミの脳内にふと過る、幼き頃の記憶。それは両親と共に眠っていた夜の日で、両親が森の奥へと消えてしまったあの日だ。両親を捜して逆に迷子になってしまったイザナミは、森の中である少年と出会う。
あの少年の魔法に、イザナミは憧れた。もう一度彼と同じ星空を見たくて、どんなに辛い出来事があってもイザナミは生きてきた。あの星空の再現はどうだろうか?
............否。幻永との殺し合いの際、彼自身がその星空を武器とした。青年がそれを見てしまった以上、星空の再現は不可能。
「イザナミさん?」
「待て。考えている。」
ならばと別方向で物事を考える。もし自分がかつての少年、もとい幻永の立場で、目の前で泣いている子供を元気付けるのなら、どうするべきか。
長考の末に答えに辿り着いたイザナミは、詠唱もせず地面を軽く蹴る。いったいどんな魔法が使われるのだろうとツキミが僅かながらも期待の眼差しを向けると、突然周囲の景色が真っ暗な闇へと姿を変える。
「イザナミさん!?」
「今からお前に本物の魔法を見せてやる。」
「............本物?」
「私の知っている幻永は昔、こう言ったんだ。魔法は人を殺すためでも守るためでもなく、人の心に色をもたらすものだと。まだ何も描かれていないキャンパスに、色を塗るのと同じだ。その人に様々な色を与え、その人自身に好きな魔法を手にしてもらう。それが本来在るべき魔法だって聞かされたよ。」
最初に唱えた魔法さ、炎の輪。闇の向こうからライオンの形をした炎の猛獣が輪を潜り抜け、ツキミに飛び付こうとする寸前で消える。
次に唱えた魔法は、水で形作られた美しい精霊。二人の周囲を飛び回りながら深い地面の底へと消え、最後にすべての生命の象徴とも例えられる大樹が姿を現す。大樹からは木の葉がひらひら、ひらひらと、そのうちの一枚がツキミの髪に引っ掛かるように落ちてくる。
確かにどれもスリルを、美を、安らぎを感じさせるが、どれもツキミの心には引っ掛からないらしい。いったい何が彼の心を揺さぶるのかと考えたイザナミが、ようやく簡単な答えに辿り着いた。
「お前が得意とするのは電気か。雷や光とは違う、壊れた部品に光を灯す程度の下級魔法。そんな下級魔法でも、人の心に色を与えることは可能だ。」
再度暗い地面を軽く蹴ると、目の前には先程までなかったはずの光景が広がった。それは明かりの一つもない寂れた街並、住民役として配置されたのであろう人形たちはピクリとも動かない。これのどこが色を与えるのかと疑問を持つが、ツキミの疑問を解消するように、イザナミが最後の魔法を繰り出す。
人差し指をほんの少しだけ振るえば、街頭が、建物が生気を取り戻したように、どんな暗闇にも負けない光を灯す。人形たちもそれを喜ぶように笑い、踊る。
「どうやら当たりのようだな。お前は心優しい人間だよ、ツキミ。」
ツキミも自覚していないうちに、彼の瞳は憧れの色に染まっていた。