35話/帝都歴10006年5月、誰もが憧れた夢と世界②
吾という不思議な一人称を使う少年の夢。彼と同様の、または近い夢を見た者は少なからず多からず。
例えばモテたいなんて愛の欲望があったり、異種族と愛を育みたいなんて恐れ知らずがいたり。悲しいかな、その夢が本命に、ヒーローになってみたいなんて夢は成長すれば付属品に成り下がることは多々ある。
幼いツキミもそんな感じだ。王道から転生物まで、いろんな本を読み漁った結果、彼はほんの少しだけヒーローに憧れた。
チート能力を得られるなんて上手い話はないと批判しながらも、ひそかにそれを真似した時期。今では声も思い出せない使用人に目撃されてしまい、彼の夢は短期で終わったとされる。
大人になった今、彼はそんな夢には微塵も興味のない冷たい人間になってしまった。立派な魔法使いになった代償とも言えよう。そんな彼に、ある一通の手紙が届いた。
「............電話でいいと思うんだけどな。ごめん、理愛子。最低でも一年は帰ってこれないかもしれない。帝国から呼び出しを食らった。」
「えっ」
「稼いだ金は置いていくよ。半分に分けても、上手く使えばしばらく無職でも生きていけるはずだ。嫌になるよね、こういうの。」
手紙の内容は、断罪の神討伐の指揮役として戻ってきてほしいというとの。どうしてこんな見習い男に任せるのか、そもそも............と続く愚痴を溢さないように、口を閉じる。
彼も分かっていたのだろう。物語の主人公が与えられた使命から逃れられないように、自分も魔法使いの一人として立ち向かう時が来たのだと。
おおよそ半年と少し、長い旅だった。何の予兆もなく始めた旅の目的なんて、後付けでいいだろうと考えていた。もし今例えるならば、この旅は断罪の神という存在と帝国から逃げるための旅。要約すると死ねと書かれた手紙は、そんな彼の静かな未来を打ち砕く。
理愛子も察したのだろう。手紙の内容がどのようなものか。
「ダメだ。」
私も行きます。そんなことを言うのは許さないと、ツキミが遮る。
途端にゲンエイを思い出させる穏やかな瞳は、理愛子を強く睨み付ける。彼が何を言わんとしているのか、誰に言われずとも理愛子は理解している。学業の道を選んだのならば、学業の道に専念すべし。せめて卒業までは赤き道を辿ることなかれ、ということだ。
理愛子は、僅かな記憶から断罪の神の正体を見破っている。かの正体は己が子供を取り込んだ怪物であるということ。目の前の子供を愛せなかった自分の業そのものということ。それを他者に任せろというのは、それこそ身勝手にもほどがある。
「あの子は............私が殺すべき相手です。10000年前に産み落としてしまった私の責任を、ツキミさんに任せるわけには」
「今の君は子供だ。確かに見た目の割には肉体年齢は二十歳を越えているし、全盛期の力も取り戻しつつある。その全盛期だった君が、一度あの怪物に殺されているのを忘れたか?肉体の保護が不得意な君と比べて、僕はまだ安定している。責任なんてことを言う前に、まずは僕より優れた魔法使いになることだ。」
ツキミは彼女の意図を汲み取り、その上で冷たく突き放す。
彼の言葉に間違いはない。理愛子はRPGで言うところの毒、麻痺、眠りなどの体への異常耐性というものが完璧に整えられず、昔度々起きた" 月見理愛子誘拐事件 "にもその手法が使われていた。
もちろん彼女の実力を甘く見てはいけない。真正面から同様の魔法を使ったところで、障壁は魔法を防ぐ。特に実力のある月見の人間であれば、呪詛返しと同じ感覚で敵を殺すことも可能だ。
彼女がこれを不得意とする理由は一つだけ。神獣封印の影響だ。
創作世界ならこの世で一番強い力を得ました、強い生き物を従えました、これで私は最強ですと誇れるものだろう。しかし現実はファンタジーほど甘くなく、厳しいものだ。体の作りは変わり、彼女は力を得ることを代償にあらゆる耐性が低下。例えば五分ぐらい服を着ていないだけで、風邪を引くとか。
よって彼女はこの弱点を力でカバーしてきたが、人質やら何やらと別の弱点を重ねられては、彼女もカバーのしようがない。
そんなこんなで彼女は耐性の強化もまともにできず、今日に至る。
「私、は............」
________およそ五年前。勝ちを確信したあの日、背後から神を殺した一突き。
あの感覚だけは鮮明に覚えている。刃から毒が零れ、心臓を伝って全身を駆け巡る。視界は赤く染まり、周囲の音は消え、次に新たな体で目覚めたときには灰になったと報せを受けた。
あんな惨めな思いは、もう二度と。
「............」
「僕も、君の家族も死なないと約束する。だから理愛子も、学校で喧嘩しないようにね。例え負けたとしても、奴の弱点の一つや二つぐらいは持ち帰ってみせるよ。」
「分かりました。」
最後の一歩を踏み込む勇気はなかった。いや、正しく現状を理解した。子供としての道を選んだ自分に選択肢はなく、その背中を見送ることしかできないのだと。
なのでこの件に関しては綺麗さっぱり諦めるつもりだ。
「あ」
しかしここで、一つだけ重要な問題が生じる。それはこれから一人で生きていく上で、迅速に解決すべき事項だ。
「あのふわふわの卵焼きのレシピ、ありませんか?」
「残念ながらないよ。あれ、勘で作ってるし。」
「かっ_______!?」
月見家のシェフはレシピなど持ち合わせておらず、衝撃の一言だけを残して家を出た。
普通、こんな展開なら、もう少しこう............お涙頂戴的な会話がないだろうか。キザっぽく例えるなら、先程の会話をツキミは「またいくらでも作ってあげるよ」と返すべきだったのではないかと熟考する。いや、こんなどうでもいいことはゴミ箱に捨ててしまおう。
問題はただの日常会話でお別れを済ませてしまったことだ。彼女は靴を履かずに裸足で家を出て、ちょうど学校とは反対側の道を行こうとするツキミを引き留める。
「り、理愛子!?靴ぐらい」
「お土産!新しいゲーム機でお願いします!!!」
難しく考えず、とにかく叫ばなくてはと行動した結果がこれだ。これこそ暫しの別れの言葉には相応しくないだろうに。
ツキミは言葉の真意を確かに受け止め、生産が停止する前に買ってくるとだけ。
「............ご飯、食べますかね。」
我に返った理愛子も、そそくさと家の中へと戻っていく。




