28話/帝都歴10006年1月、人を狂わせる愛
こう言ってはなんだが、ゲンエイは正常に見せかけた異常者である。誰も彼も、好きで彼を貶しているわけではない。下手に貶せば差別だのなんだのと騒がれる時代は、今も続いているのだから。しかし彼の女になりたいという者がいれば、ツキミは迷わず言うだろう。あんな男を選ぶぐらいなら、セイラを選んだ方が百倍マシだ、と。
繰り返し言う。ゲンエイは異常者である。彼の加虐性は幼少より磨かれたものだ。両親からの虐待が彼の暴力性を育て、ついに彼は当時飼っていた犬を殴り殺すような出来事が起きるぐらいには。兄が友人と呼ぶものに対し悪ふざけで喧嘩している様子から学んでしまったのが、いけなかったのだろう。これを躾のつもりだったと説明するゲンエイの姿に、セイラも思わず時間が凍り付いたようだと語った。
それは今も。愛の証明のために、イザナミを殴る。理愛子であった頃から変わらず、嫌がる彼女の体に痣を生み出した。それが愛の証だと理解したイザナミは、いつしかその暴力を受け入れて愛されるようになった。そんな話を聞かせると、必ず彼に惚れたという女は逃げ出すのだ。
そんな彼でも、理愛子さえ関わらなければ普通の人間だ。しかし幼少から理愛子という人間が存在したため、まともな彼の目撃証言は残念ながら一つもない。
創造神イザナミとした妻を侮辱した者はよくて半殺し、悪ければ監禁拷問行方不明の三連コンボ。あんな穏やかな顔の裏には容赦のない" 躾 "が待っているとは、誰も思うまい。それは今日まで自分の役割から逃げ続けたツキミ自身にも当てはまることだ。彼は今、頭を抱え大きなため息をついている。
「逃げるか。」
「あの魔法は幻永のもの............あの人、本当にこの時代にいたんですね。写真を見せられても、どうせ別人だと思っていたのですが。ツキミさん、直接会って説得は」
「少しでも疑いのある不倫男の言い分を、相手が聞き入れると思うか?こういうのは言い出しっぺの勝ちなんだ。さあ、脱出するよ。杖は完成したんだろ?」
「は、はい。三人が話している間に、すでに杖は完成しました。............昔見た海のような色を持つ、美しい杖です。」
タイムアップギリギリのところで完成された杖の触り心地、握ったことによる変化を確かめる。その手に握るだけで魔力の質が良い方向へ変化していくのを感じ、この状況でようやく成功に確信を持つ。杖を得られて、理愛子もご満足の様子だ。
ならば後は逃げるだけだと、出口の扉を開く。
「やあ、ツキミ。君には失望したよ。」
「............お父様ッ」
「すぐに殺すなんて、そんな勿体無いことをするものか。」
瞬間、彼の視界にゲンエイが現れたと思えば、その姿を消していた。それよりも背後から聞こえる悲鳴に驚き振り向くと、ゲンエイが窓から何かを突き落としたらしい。
階は八階、部屋を見渡しても、いなければならないはずの女の姿は無し。もう一度窓に目を向ける。すでにゲンエイの姿は、ない。こんな状況から察するのはたった一つ、あの男は自分の妻を突き落としたということだ。
「いやいやいや............洒落になんねぇよ!!!僕を苦しませるために自分の妻殺すとか正気か!?僕も行かないと............!」
続いてツキミも飛び降りる。目下の" 殺さなくてはいけない相手 "を見据え、杖________ではなく、丁寧に杖に仕込まれた刀を抜き、ゲンエイの喉に突き刺す。
逃げればよかったのではないか。夜空を作り出したゲンエイには勝てないのだから、一人で遠くへ逃げてしまえば確実だっただろうに。しかし彼らよりもはるか下にいる一人の女を見殺しにする選択など、とうの昔に捨ててしまったらしく。突き刺した剣を引き抜き、僅かながら喉の修復に手間をかけるゲンエイよりも速く。誰よりも速く落ちる。
否、正しくは建物を駆け降りた。こんな馬鹿みたいな、二次元のような体験はもちろん初めてだ。少しでも足をつける位置が違えば、躊躇ってしまえば、もう女には追い付けまい。それどころか修復を終わらせたゲンエイが逆上して殺しに来るだろう。
並の魔法使い相手なら、こんなことは決してしなかった。例え高所から落ちたとしても、現代の魔法使いなら、例として柔らかいスライム状のベッドやらを製作してダイブすることぐらいはできる。あくまで例だから、本当にそんなものを製作できる天才魔法使いは、おそらくナーサリーぐらいなのだが。
しかし今の理愛子がそんな手練れであるはずがない。多くの魔法を覚えていたとしても、瞬発力は一般人以下。自分でどうにか着地しようなんて考えに辿り着けるはずもない。
「私のことはいいから!その人を止めて!!!」
「落ちたらヤバいだろうが!?」
「魔力さえあれば、心臓も脳もすぐに元通りになりますから!!今はその人の動きを止めることに集中してください!!」
その心配を払い除けるように、女は叫んだ。正気かと疑いたくなるような叫びだが、それ以外に互いが生き残る道も無し。このまま助けに行っても、前述通り二人まとめてジ・エンドなんて結末は御免蒙る!
「死んだら許さないからな............!」
空中で無理やり体を捻らせ、視界はふたたび迫り来る破壊マシーンを捉える。
この全身凶器人間、世間ではヤンデレと言うのだろうか。以前簡単に調べたものだと、ヤンデレ男の代表的な特徴は基本三つにあげられる。一つは過去の成功体験、失敗体験からそれが真実だと思い込むこと。他者の意見は聞いてはやるが、それを聞き入れないとも言うらしい。二つは人間不信などから生じる過度な心配、不安。最後の三つは、普段は穏やかな性格らしい。
ここまで当てはまりすぎている男は見たことがない。いや、普通はここまで当てはまってもヤンデレとは言わないのが世間の常識だ。帝都に住むAさんの話によると、自分の父親はそういう特徴が当てはまるだけの頑固な人とも。なので人を簡単にヤンデレと呼称するのは推奨しない。
しかしこの状況に限っては断言してもいい。この男は異常なほどに愛が深く、相手のためなら相手を殺すような異常者そのものだ。ここで殺さなければ、互いの命が尽きる。
「(だから、後は覚悟を決めればいい。この男を本気で殺す覚悟を。)」
「そろそろ地上か。戦いの続きは、妻の無事を確認してからにするとしよう。君も受け身をとらなければ痛みにやられるぞ?」
「ッ............!そう言うなら、今だけは僕に手出しするなよ、クズ!!」
しかし隙を見て殺せる技量も、受け身をとる余裕も彼にはない。
地に衝突したとき、ツキミの視界は赤と黒が中途半端に混じったように変わる。鼓膜が破れかけているのかどうなのか、耳にはキーンと音が響き、まだ動くはずの四肢は微塵も動かない。
どう着地に成功したのだろうか。ゲンエイはさして問題ないように振る舞い、仰向けで意識も混濁しているツキミを蹴りあげた。
「セイラの言うことが嘘なのは知っているよ?あのクソ兄貴、ずっと前から目障りなんだ。僕の妻を消そうとしたくせに、何度も対峙して僕の妻に惚れやがってさぁ。邪魔なんだよね、あいつ。表面上も裏でも仲良くしているけど、あわよくば消したいのが僕の願いだ。彼女に触れていい男は、この僕一人でいいだろ?」
「............気付いているなら、どうしてこんなことを」
「彼女は僕を思い出していながら、部屋に訪れた瞬間に僕を恐れた。どうしてかな。恐怖の眼差しだけは向けるなと、あれほど躾をしたのにね。覚えてないなら、これから五年間はみっちり教育してあげないと。僕の暴力は愛の証だから、イザナミも............ううん。これは偽名のようなものだったね。理愛子は絶対に僕を分かってくれるよ。理解したなら僕に彼女を返してくれないかな?これ以上僕の知らないところで彼女が傷つくのは、嫌だからさ。」
全く。こうなってはどちらが主人公なのか、見分けもつかない。周囲から見れば、ゲンエイは女を奪った男を殺し、女を取り返しに来た勇者だ。実際は襲われた二人は互いに合意した上で旅行しているだけの、友人とも呼べない不思議な関係程度だというのに。
声を出そうにも、ツキミの喉はゲンエイに強く絞められる。再度、同じ言葉が繰り返された。
「僕の大切な妻を返せ。返さないならさ、今すぐ君をここで殺さなきゃいけないよね。だって妻との心中に部外者は不要だろ?一日あれば彼女の記憶と体を元通りにできる。そこに余計なものはいらないから。」
抵抗はできない。意味もなく暴れることもできない。痛みを訴えることさえ叶わない。不死となった彼の傷は再生を始めようとするが、ゲンエイの何かに妨害され半端な状態で生きているだけ。後は致命傷一つできてしまえば、ツキミという青年はこの世から消えることになる。
「いいね。君みたいな男には、無様な姿はとても似合う。この仕込まれた剣も貸してもらうよ?大丈夫、今返してあげるから。君の心臓にね。」
ゲンエイは手にした剣を大きく振りかぶる。この時馬乗りになっていた彼は立ち上がっていたが、ツキミはとうに起き上がる気力すら、なかった。




