26話/帝都歴10005年12月、妖精の祝福②
罪を憎みて罪人を憎まず。
ずいぶん昔にそんなことを言った人間がいたらしい。あの日ほとんどの文献や文化が失われ、人々の記憶が薄れた以上誰が言ったかは分からない。いや、今はそんなことはどうでもいい。
こんなことを言った人間の気持ちなど、今や誰も理解できず。好き勝手にその人物の人生を想像して、批判するしか脳がない人間だって存在する。
それにも正当な理由がある。特に彼らのような、妖精による被害者には批判の権利がある。彼らを責めようという考えを持つ者は、どこにもいやしない。だから妖精を罪人として殺す。連帯責任、というやつだ。
今日も今日とて妖精の甲高い声が響き渡る。博物館の外でも耳が震えるというのに、中に入れば鼓膜が破れそうなほどの声量だ。
入場者に必要なものはまず耳栓。理愛子に渡し忘れていたことを思い出したのか、入場前に渡されていた耳栓を理愛子の耳に挿入。
「入る前に渡してくれませんか!?」
手厳しい指摘を無視して、ツキミは二度目の、理愛子は初めての妖精殺しの準備を整えた。この博物館は入場してすぐ展示物が見れるような贅沢な内装だったらしい。中心から隅々まで展示物を飾る土台が複数置いてあり、妖精たちはその土台の上で廃人のように倒れている。
逃げてしまわないように鎖で全身を繋ぎ止められている。ツキミはそれらを一体ずつ吟味した。無論、理愛子はそれらを直視することはできない。
殺せないという理由もあるが、それ以上のものが一つ。妖精たちは廃人のように倒れているだけで、実際に廃人になっているわけではない。妖精たちもまた、こちらを吟味するように見つめてくる。その鎖をガチャガチャと煩わしく鳴らしながら、涎を垂らし顔を寄せてくるのだ。
「ひっ!?つ、ツキミさん............!」
「これが博物館に収容された罪人の正体だ。物語に存在していただけの妖精は、この時代に復活した。その大半は清らかな心を持つ美しい妖精だが、一部は人間の心を残していたんだよ。妖精たちもまた、元は人間だった。」
「............え?」
「人間の醜さが露出した失敗作が、ここにいる奴らだ。人間を陥れ、大事なものを奪い、あまつさえ命さえも奪う。その行いに責任も何も持たないクズの命を、君はまだ奪えないのか?こいつらはすべてを奪われても仕方ない生物だよ。」
奇妙な気持ち悪さに、二歩程度後退る。まだ反省はできるんじゃないかと理愛子は考えたが、妖精たちの反応を見るにそれは100%ないらしい。
「この子の大切なものは何かしら?」「めちゃくちゃにしてみたいぞ」「潰したい」「裂きたい」「泣かせてみたい!」
純粋の度を越えた悪意。これは法律も知らない赤ん坊でも、迷わず有罪を選ぶだろう。彼らに見つめられるだけで本能が危機を訴えるのだ。ずっとここにいれば殺される、と。
この鎖が解き放たれた瞬間、この博物館に訪れた二人は一瞬にして殺されてしまうだろう。その死体も飽くまで弄ばれ、最後には誰も知らないところへさようなら。そんな想像をする度に、彼女の目の焦点は徐々にずれていく。
ツキミに無言で渡された水を飲みながら、その光景から何とか目を逸らそうとする。ツキミは彼女には最低限の気遣いだけをして、折りたたみ傘のようにコンパクトに折り畳まれた杖を握る。虚空から物を生み出すように、杖に収納されたナイフを取り出して手に取った。
「君も私と同じ、人殺しの目をしているね!?」
「そうだな。」
「私を殺す?殺しちゃう!?私に価値があるんだね!?あるから殺すんだね!?そうだよそうだよ!同時に価値がある生物は解放されるべきなんだよね!?もっと殺させてくれるよねぇ!!」
反省の意すらない妖精の喉めがけて、そのナイフを振り下ろす。
何度も、何度も、何度も、何度も。妖精が悲鳴を上げてもその手は止まらず、慌ててツキミの背後に隠れた理愛子の頬にも返り血が飛び散る。
本物の罪人を相手にしているとはいえ、どうして躊躇なく殺せるのだろうか。ツキミはその疑問を察しても答えることなく、息をすることもなくなった妖精の鎖を解いてはすぐに腹を抉じ開けた。中を覗けば臓物だったものが溶け出している。彼の言葉通り、妖精は死んだらすぐに血の塊になるようだ。
どうしてか外見の変化の説明は受けてないが、おそらく皮膚もいつかは。そうなる前にと、ツキミは血に溶ける前の臓物を掴み取る。
「これで素材の一つは手に入ったな。元人間とはいえ、妖精は妖精だ。かつて各国に存在した神の魔力も、血も、決して妖精という種族から消えることはない。仕掛けは分からないけどね。」
「............ここでも神ですか。神は嫌いです。」
臓物を無理やりに瓶に詰め込む様子を眺めながら、理愛子は話を続ける。
「彼らのせいで、西暦という時代にどれだけの人が犠牲になったことか。あの忌まわしい存在が今も消えていないと思うと、寒気がします。」
「多くは平穏を望む、穏やかな神だったよね?」
「それでも。日本の神は、人の命など微塵も考えないような偽者でした。あの時代には本当に、神を名乗る人間しかいなかったんですよ。」
かつての時代の生き証人。ほんの僅かな間だが、その言葉はツキミの手を止めた。しかしそこまで耳を傾ける話題でもないと思ったのか、再び手を動かしどろどろと溶けていく臓物を詰めた瓶を杖の中へ再び収納。
杖の先で軽くコツン、とぶつけるだけで粒子となって消える。西暦という時代にはない魔法、今しかない魔法が便利で助かるものだと独り言を呟く。
未だ顔をしかめる理愛子に対し、ツキミは改めて先ほどの話を持ち出す。ほんの僅かしか記憶していない知識を、正しい知識へ修正するように。
「本物の神はいなかったのか?」
「いませんよ。どいつもこいつも、神を信じた人たちの心を踏みにじった外道ばかりです。政治家もその上の人たちさえも、神の手駒でした。私たちで全員殺した............はず?」
しかし理愛子の口が止まる。何か疑問に思ったのか、矛盾が生じたのか、彼女は深く考え込んだ。
しばらくして彼女は言う。
「私たち............って、誰でしょうか。私と幻永は確実なのですが............他に誰か、いたのでしょうか。」
「えっ」
「間違いありません。ずいぶんと前から、私は皆に会いたい気持ちで過ごしてきました。でも一日が過ぎるごとに、皆の顔すら思い出せなくなった。私の記憶に確信が持てたのも、いつが最後だったのか分かりません。すみません、やっぱりなんでもないです。」
皆の顔が思い出せない。彼女が言う皆とは、10000年前より存在する四人の魔法使いを指し示す。
彼女はゲンエイ以外のすべてを、いつからか忘れてしまっていたようだ。




