2話/帝都歴10000年4月、神と出会った青年の朝
今朝から煩わしいノック音が、館に響く。
館の主に私室はない。というより用意をさせなかった。特に自分の部屋とか思い入れはないし、日々を生きていくのに必死だから、部屋は好きなように改造していいと同居人に託していた。未だに名前を教えてくれない、便利な使用人として扱う同居人に。そんな彼は毎日、玄関ロビーから続く談話室の高価なソファーでその身を休めている。
帝都が誕生する前から休まず稼働している、人間一人ぐらいなら入れてしまいそうな振り子時計は、以前は三十分ごとに時間を報せていたらしいが、たまに鳴らないときがある。おかげで彼の寝坊癖は大変悪質なものとなり、音が鳴るとしても妙に心地のよい音になってしまった、彼の起床を妨げる最悪の家具となった。それでもこれを片付けないのは、かつて皇帝たちが愛用していたというお墨付きがあるからだ。
ノックが鳴り始め、一時間。青年は珍しく起床を急かすようにゴーン、ゴーンと鳴る振り子時計に苛立ちながらも、唐突な朝の来訪者に五分ほど待つよう言い渡し、彼なりに急いで支度を始めた。
「やあ、おはよう。先程私が出ようと思ったんだが、ずっとお前の名前ばかり呼んでいるから出なかったぞ。それから真島も起きるのが遅すぎる。」
「マジマって?」
「......いいや、こっちの話だ。時代が変われば名前も失うんだな、お前は。」
昨晩から不思議なことしか話さない、彼女を通り過ぎ、談話室から直接金融繋がる洗面所で顔を洗う。酷い顔だ。昨日は徹夜で創造神の生い立ちというものを学んでいたから、そのせいだろう。だが勉強したばかりのことは妙に頭にこびりつく。青年は忘れないように、学んだことを繰り返し呟く。
帝都歴元年より祠の中で眠るかの女性こそ、現在の世界を築いたイザナミ様その人である。彼女はかつて日本と呼ばれた地で産まれ、同じ地で産まれた三人の魔法使いと、幼少より二人の主に仕えた魔法使いと共に西暦の時代を生きた方だ。彼女はかつて自分が仕打ちを受けたことに対し、二度と同じ犠牲者が生まれてしまわないようにと、魔法使いの殲滅を開始。同時期に不老不死の魔法を得たことから、彼女は決して死なない神獣を宿した化物とまで称されるように。
その死なないことを悪用され、時には想像を絶するほどの痛みを与えられたことがあったが、魔法使いたちと助け合うことで彼女の平穏は約束されたものとなった。
その平穏が崩れたときに現在の世界が出来上がったのだが、当時の封印戦など興味の欠片もない。青年が学んだのは本当に彼女の生い立ちだけだ。振り子時計の鳴り止まない鐘の音など気にせず、アーチ型の窓より差し込む太陽の光のせいて神々しく見えるその人。月見イザナミ。
黙っていると美しいものだ。男勝りな口調で呆気にとられていたが、これほどまでに養子の整った人など、帝国から離反した国の王族たちぐらいだろう。
「なんだ?私を見つめても何も褒美は出ないぞ。私は幻永を10000回以上殺せたらそれでいいんだ。」
言ってることはすごく物騒だが。自分の父をそんなに殺されると思うと、子ができてから痛むと言われていた胃がキリキリと痛みだすような。そんな感覚が彼を襲う。
それよりも客人を待たせていいのかと急かされ、青年はずっと待たせていた客人を迎え入れるように、玄関の扉を開く。
「あ、お父様。」
「おはよう、ツキミ。障壁が破られたようだから、急いで帝都南部に顔を出したわけだけど。こんな田舎に障壁を破れるような天才は存在したかな?」
「天才でも破れはしませんよ。内側から、神様が破ったんです。」
ツキミという青年が迎え入れたのは、帝都を築いた二人目の皇帝、ゲンエイ。帝都なんて文字だけ見れば独裁国家というイメージが酷いが、彼はそんなイメージよりも、何人たりとも通さない鉄壁の国家をイメージして、わざわざ帝都という文字を好んで使うような面白い人だ。
彼を一言で表現するならば、満場一致でイケメン。道端で倒れそうになる女性を支え、借金に困っている人にお金を渡し、最初の妻のみを愛して言い寄ってくる女性のすべてを柔らかに断る。お金の件は、死ぬまで国に還元してくれたなら借金はチャラという意味合いだそうだ。そんな彼は常に優しく微笑みを浮かべ、遠方より来る客人たちを怒らせることなく、穏やかに迎え入れてくれる。おそらくはこの地球上で一番優しい人。
そんな彼にだって怒る日はある。今日はその一つ、ツキミが簡単な見回りすらできなかったことだ。どうして見回りを命じただけで障壁が破れてしまうのかと、皇帝は笑っていたが青筋を立てていた。神が内側から破壊したと言っても、彼女が起きるのはまだまだ先だと、露骨に不機嫌な態度をとっては談話室の扉を乱暴に開く。皇帝も談話室にいる見慣れない人影に気付いたのか、挨拶もしないその人に近寄った。
「僕は今、最高に機嫌が悪いんだ。だから愛しい国民の挨拶ぐらい聞いてみたいな、ぁ、なんて」
近寄った瞬間、彼は時が止まったように静止する。創造神も俯いていた顔を上げ、皇帝の顔を見た瞬間に目を見開いた。まさかここで殺し合いが始まるのか?殺し合いにしても外に出てほしいとおどおどする青年の心配は杞憂に終わる。
「幻永、なの?」
「............君だけは本当に変わらないなぁ。僕のお星様。君にずっと触れたかった、君に愛の言葉だけを聞かせてやりたかった。ずっと............後悔に苛まれないように会わなかったつもりだけど、こうして会うと、嬉しいものだね。後悔なんて全部吹っ飛んだ。」
感動の再会、というものだろうか。創造神が皇帝との関係を語っていたような気もするが、そんなことは眠すぎたせいで微塵も耳に入っていない。
分かったことは、彼らは神と人を越えた関係を築いていたということ。それから、杞憂に終わったらはずの心配を掘り返すように、目覚めの一試合と称して殺し合いが始まろうとしていることか。