間章 雪の日
その日はまた一段と寒い日だった。
白い雪がほとほとと降り、あっという間に町は冬景色だ。
見る者が見たら信じられないくらい恵まれた色とりどりの自然も、今は隠されて皆静かにおさまっている。
ユネルは窓辺から外の様子を覗いた。
ガラスに触れた手が、ヒヤリと冷たい。
吐息で冷えた窓が、白く曇った。
「雪‥‥‥」
間章 雪の日
キラキラと光る世界に、ちょっと外にでてみたい気持ちもあったが、それでもすぐに気持ちを切り替えるあたりが彼女も主婦ということだろう。
「薪が足りなくなるよね‥地下にまだ貯めてた分があったはずだわ」
暖炉を見ると、炎が少し弱い。
ここはまだいいが、ウィレムの工房はどうだろうか?彼はほとんどこもりっぱなしで、ここのところ食事のときぐらいしか顔を会わせない。昨日の夕食の時はすごいクマがあったし、殆ど寝れてないのだろう。あんなに疲れているのに、寒さまで加わったら‥
(早く取りに行かないと)
居間を出ると、寝室へと向かった。
淡い色の小棚をずらすと、床に人一人入れるかどうかぐらいの大きさの扉があった。
カギを開けると、中は真っ暗だった。ひんやりとした空気が、上まで伝わってくるようだ。
だがユネルは慣れた風に階段を降りていくと、途中で横壁に付いている燭台に手を向けた。
「えっと‥我らがフラワシ。我が身は強き戦の化身なり。炎よ来い‥‥火よ灯れ」
魔法の基礎の基礎。火を呼び出す呪文である。
魔法があんまり得意でないユネルにも、これくらいは出来る。
数瞬の後、ぼぉっと燭台に火が灯った。
地下室の暗闇を、明かりの光が削り取っていった。
倉庫として使っているここには、瓶につめた干し肉や果物が冷やしておいてあり、また冬をこすために大量の薪も置いてあった。
「あれ?」
ユネルは目をまたたかせた。
そこかしこに置かれた薪の一部、入口近くにあった一山が消えていたのだ。
埃が乗っていないことから、つい最近動かしたのだと分かる。
(朝はちゃんとあったはずだし‥‥あれ?もしかして)
ユネルは勢い良く階段を上って―ものすごく早口でおわりの言葉(はじまりの言葉と対になる呪文)を言いきって―ばたんと扉をしめた。
彼女の足はそのまま工房へと向かう。
重たいドアがギギッと音をたてて開いた。
彼はユネルが入ってきたことに気付いていないようだった。
締め切った暗い部屋に、机の上には大きな光水球。
反対側の壁に、彼の大きな影が揺れていた。
一心不乱に作業に向かう背中をみて、ユネルはその背に目を奪われていた。
金色の髪は灯りにすかされて輝いて見える。
彼の汚れた作業着を、愛しく感じるのは何故だろう。
「‥ウィレム?」
「ぅおおぉぉ!!?っぅわ、とっ」
「大丈夫?」
ウィレムは苦笑いして、頷いた。
「ごめん、驚かしちゃって。邪魔しちゃったよね」
「あぁ、いや、そんなことないって。俺もこれにかかりきりだったし。部品も落としてないし、大丈夫だよ」
そういって、作りかけの時計を手にとってみせた。
よかった。ほっと、胸を撫で下ろした。
「ぁ、今日え―っとね、雪がふってるでしょ?それでちょっと薪を足そうと思って下に行ったんだけど‥」
「あぁ、そうだった。すごいんだよな、雪。それで多分足りなくなるだろうと思ってさ、さっき持ってきたんだ。居間に持ってこうと思って、一応ここにつんでたんだけど‥」
この部屋にある暖炉は煌々と燃えさかっている。
その隣には、どっさりと残った薪が置いてある。
ウィレムはすまなそうにユネルに目を向けた。どうやら作業に没頭して忘れていたらしい。
ユネルが黙っているのを見て、彼は慌てて言った。
「あ、いや、うん。寒かったよな‥‥悪い。‥‥‥あぁ!そうだっユネル、これ、これいるか?」
差し出されたのは、白く丸いムムルの実。
「これ‥‥?」
「この前ギルドに行ったときもらったんだ。夜食にでもしようと思ってたんだが、まぁなんだ、このごろ俺結構忙しいし」
手のひらに、心地よい重み。
「ユネル、前好きだって言ってただろ。喜んでくれるかなって思って‥って、これぐらいで嬉しくないか」
(覚えててくれてたんだ‥)
ずっと前に、一度言ったきりだったのに。
ユネルの心に、何か暖かいものがあふれていた。
その頬は、自然と柔らかく微笑んでいる。
「ううん‥‥ありがとう、ウィレム」
「っ‥‥あぁ」
こんなに寒い日なのに、今のユネルにはとても暖かく感じられた。
「‥ねぇ、ウィレム。あとで夕食の前にまた呼びにくるけど、いい?」
「ん?あぁ、いいけど」
「よかった。良いもの用意しておくから、楽しみにしてて!」
「あぁ、いいぜ。待ってるよ」
ユネルは頬を赤く染めて笑みをこぼした。
「うん。じゃあ‥がんばってね」
「ん」
ユネルは部屋を飛び出すと、顔を赤くしながらもスキップして跳ね上がった。
そうして居間まで戻ってきたところで――
「あ‥‥薪忘れてた」
※※※
ぱち、と薪が跳ねる音がして、ユネルは跳ねるように身を起こした。
暖炉に乗り出してみると、暖炉の中の鍋の上に載せられた鉄板‥に更にのっかっている、パイの様子を確かめた。
幸いなことに、さっきとあまり変わりはない。
あれから、ユネルはすぐにパイ作りを始めた。
もちろん使うのはムムルの実だ。
この実は果汁もあり、とろけるような甘さがあって、菓子にはもってこいだ。
あとは焼けるのを待つだけと、暖炉の前の肘掛け椅子に座って待っていたのだが―どうやらあまりに暖かくて、うたた寝していたらしい。
危ないところだった、と息をつきながら、今度はじっと暖炉の炎を見つめる。
(あったかいな‥‥)
暖炉にくべられた薪をみて、ユネルは足に掛けられたブランケットをいじくる。
(さっきは最高に恥ずかった‥私ってば、もう!)
その頬が赤いのは、暖炉の熱のせいだけではないだろう。
(今何してるかな‥‥きっと日が暮れても気付かないのよね。いつ完成するのかしら。コンテストに出すってことだけど‥‥らしくないよ。これまでここを離れたことなんてなかったのに‥‥ってダメダメ!愚痴になってるよ!)
ユネルはふるふると被りを振った。
最近一人ですごす時間が多いからいけないのだ。
これまでは―‥‥
ウィレムのことを考えると、彼が昔ここに来たばかりのことを必ず思い出す。
ボロボロの服を着て、傷だらけでやせ細っていて、
それでも、誰にも負けないような意志の強い強い瞳の輝きをもっていた。
あの瞳を、忘れることはきっとないだろう。
捨て子だった自分は、幸運にもタイラーに面倒を見てもらっていた。
初めての居場所、というものを与えてもらった。
でもその優しさが自分にはつらかった。
年をとって、女の自分の身の上が分からないほど子どもではなかったから。
十歳になるかならないかの頃、あのころは、本当にいつ捨てられるかとビクビクしていたのだ。
そんなときに、彼は現れた。
タイラーが彼を町に住まわせることを説得して、なかば人質のように彼と結婚することになった。
(それでも私は嬉しかった)
今でも忘れることなんてない。出来ない。
ウィレム様、と言うと、呼び捨てでいいよ、と笑ったのだ。
それからの生活は、思いがけず、驚きと楽しさと幸せに満ち溢れていた。
本当の家族というものを教えてもらった。
だからもう、ユネルはこの場所を失いたくないのだ。
彼は、あったかい。
その暖かさは自分を包み込んでくれて、彼はまるで兄のようでも父親のようでもあった。
子どもの頃はひたすら憧れて、今は彼に恋している。
これからも彼と共に。
これからも、きっといままでと何も変わらない。
「早く焼けないかなぁ―‥」
暖炉の薪が、パチパチとはぜた。
たまにはこんな寒い日もいいかもしれないな、とユネルは思った。
※※※
硬い廊下を、ブーツの足が蹴っていく。
肩で風を切ってマントをはためかせる、白ずくめの男だ。肩にある木の紋様だけが、黒く異彩を放つ。
緊張感にあふれる様子は、男の普段からしては考えられないだろう。
扉の前を守っていた衛兵が、男の接近に気が付いて慌てて敬礼をした。
それにおざなりに返し、部屋の主に知らせようとするのを止める。
息を落ち着けて、その扉を叩いた。
「第3近衛騎士隊隊長、テイル・ラックサ―参りました」
「入りたまえ」
「‥失礼いたします」
入るとすぐ正面に大きな執務机がおいてあり、この部屋の主はいつものように悠然と腰掛けていた。
だがテイルは、背中に冷や汗が流れていくのを感じていた。
それがこの主のもつ圧倒的な存在感によるものなのか、たったいま部下から聞いた報告によるものなのかは分からなかった。
だがどちらにしても
この主の、言ったとおりになった。
「彼が、動いたと」
ボツ
「あれ、これ何?」
「えっあ、あぁそれはその」
「なんじゃそんなもんも分からんのかヒヨコ。それは時計の振り子の近くで使う部品で」
「黙れこのジャムおじさん!!」
「それって‥前生活費何ヶ月分かで買った‥‥」
「いやもうホントごめん悪気は無かったんだでも床に落ちてたからって粗末にしていたわけでは」
「にっこり」
「‥‥ぅ、わ、わぁああぁぎゃあああぁぐげは£#ゃ%fギg@!!!」
「笑顔の爆薩主婦ユネルちゃん‥‥その力、恐るべし!」