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94.5 ある名も残らぬ老人の願い②【カリュプスの備忘録】






「良い。儂の残り少ない生命をやる」


『……死ぬにはまだ余命が残ってるぞ?』


「どうしても頼む。守ってくれとは言わん。だが……」


 新しいカリュプスが誕生すると、自動的に新たな器の元に移動する。つまり古く朽ち果てそうな器は用無しとなるのだ。


「儂は……好いた人間もおらず、ただ王国の未来を下水路から眺める賤しく、そして何も生み出せなかった」


『恨むなら先祖を恨めよジジイ。俺様はなあ、フレッシュな体に移動したってどーせ、次は短く儚い命さ! そんでまた長い旅路に着くのさあ、気儘になあ!』


「分かっておる。ただ、次の器には……せめて、誰かに愛される時間を一瞬でも、過ごして欲しいのだ」


『はあ?』


「器として誕生すれば、産声を上げる前から無条件に愛される機会を失って生きるだろう」


『馬鹿だよな人間って! 石投げて恨める相手がいりゃあ生きる糧になんだから。そんでもって、結束力高まって愛すら育める滑稽な種族だぜ? マジであいつらの仲良しごっこには付き合ってらんねーぜ』


「だから────愛されても良いんだと、たった数秒で良いから……多くは望まない。じゃが、儂は…………」


 けれども、その兆しがあっても前の肉体が死を迎えねば完全なる移行が出来ない。器に宿す闇の眷属カリュプスは、厄災を齎す叛逆の罪の象徴でもある。


 次世代のカリュプスの器とは会うことは無い。運命がそう定めて、接点を作らせぬ様にする因果。滑稽なものだ。


 目尻の皺が色濃い溝に、涙が溜まる老人は振り絞った声でそう嗚咽を漏らした。


『どうしてそんな見たことも、見ることも叶わないガキの為に命張れるんだよ』


「それは────儂の可愛い孫だからだ、カリュプスよ」


『……なんでだよ。ばっかじゃねーの……? まだ美味いモン寄越せって脅せば食えるし、何なら俺様の力でジジイの牢隊動かすのだって────』


「年寄りを敬ってくれんかのおカリュプスよ。まさかお主……この期に及んでちょっぴり人情に目覚めたんじゃあなかろうな?」


『はあ?!! 俺様の方がうんと歳上なんですけどお?! あーもぉーッ、分かったからなッ!! これがもう最後の会話になるんだぞ?!』


 第三十三代目の闇の眷属カリュプスの器としての、使命が終わろうとしている。段々と力が吸い取られて行く気配に、カリュプスは老人の魂の灯火に触れた。


「言い残すことはない。託したぞ、我がたった一人の友よ────カリュプス。御主と出会えて、そして長く過ごせたことが……幸せであった……と……」


 ゆっくりと呼吸が薄れ行き、目蓋を閉じた老人は動かなくなった。


 広い寝室に人気の無さ、手入れは疎かで置かれた燭台のテーブルには埃が積もっている。暖炉の火は途絶えており、看取る者も親しい人間も居らず。


 幸福には程遠い、一人の老人の結末をカリュプスだけが死を間近に触れて、そして初めて情緒を感じた。


『やめろよ……。ああくそ、数百年前の超絶憎たらしい奴等だったら、どんなに良かったか、なあジジイ。結構楽しかったんだぜ、アンタといる時も』






 誰もこの独り言には、返事をしなかった。

 






 これはラルシュがカリュプスを宿す前の話。


 誰からも愛されず、誰の目にも映らぬ非業の人生は、実は知らぬところで命を啄まれ様とも深い愛を持つ者が見ていたとは。





 皮肉なことに、知る由も無い。






『なあ、こうやって俺が手を貸しちまったのはペナルティーだろうとどうでも良いけどよお』


 カリュプスはもう動かなくなった老人の亡骸に話し続けた。


『俺は……アンタと、もうちっとだけでも話していたかったって言ったら、…………なんて、な』





 カリュプスは強い抗えぬ力によって、何処か遠くの場所に飛ばされた。体は浮遊力に為すがままで、どんどん天高い暗雲から、下降して行く。







「父さん、父さんを連れて行かないで……独りにしないで、お願い…………」


 消え入りそうな声は雑踏に掻き消される。骨張った痩せた小さな体が、突き飛ばされると同時に吹っ飛んだ。塵溜めの中に埋もれて、立ち上がろうと華奢な足が絡れる。


 どたんと転び泥水の溜まりを浴びようとも誰も足を止める者は居ない。



『ああ、これが次の……爺さんの薄汚れた孫か』



「誰だよ…………独りにしてくれ、もう誰も構わないでくれ」


『そんなこと言ったって、来ちまったんだよ早々とな。俺様だって不本意なんだぜえ?』


「…………だれ?」


『俺様? 悪の元凶たる、闇の眷属カリュプス様よ、御主人様? まあ先は短いけどそん時まで仲良くしようや』


 ギャハハ、と乾いた声が出たのはカリュプスも意外だった。


 あの老人が守りたいと懇願した孫の顔が、彼の幼少期にそっくりで。


(なんだよ、なんだって……こんなの最初から断る余地なんざ無かったじゃねえかよあのクソ老耄野郎が)






 だから血族は嫌なんだと、消化し切れぬ悪態を心の中でカリュプスは吐いたのだった。







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