80 王宮内で無視されるのだって、わたくしの身を案じて、そうに決まっている
「…………あ」
「これはこれはエスメラルディ侯爵令嬢」
セルリアーナはグランドル王国の現王妃殿下との茶会に招待され、やっと解放された。王妃殿下がやたらと、王家が教育支援と言う名の稀代なる光魔法の担い手として囲うマイカの話を聞きたがり、正直疲労困憊であった。
(どうせ報告に逐一上がってるのに、女と言う生き物は非常に噂話が好きなものね……)
王宮は噂話の宝庫だ。王宮仕えの侍女達や警備兵達は日々の退屈をこうやって発散している。誰が懇意にしているとか、お気に入りは誰だとか。
マイカに婚約者の座を実質奪われた、とクスクス噂の種が蒔かれているのも、セルリアーナはきっと原作でも恥辱を覚えただろう。
「今日もお美しいですな、その澄み渡る青色の瞳は」
強欲で有名なハルマン伯爵は貴族界でも、厄介な相手だった。
何かとエスメラルディ侯爵家へコンタクトを取りたがるし、手ぶらで来た試しも無い。賄賂を贈りたがるので、丁重にお断りしつつ牽制するのがお決まりの常套句だった。
粘着性高い物言いや視線も気味が悪い。
「失礼、ハルマン伯爵」
セルリアーナが貼り付けた笑顔を浮かべた瞬間、割って入った男性の背中が目に飛び込んだ。
貴族服に身を包んだ男性は、左肩から羽織られた外套の華やかな刺繍に装飾され、シャツの襟元はきっちりタイで結ばれている。
気品のある男性は革手袋をして、ロングブーツの踵をトンと小さく鳴らして邪な視線をセルリアーナから外させた。
「ええと……ああ、すまない、フシュカ子爵だったか。その、貴殿はとても親しみ易い顔貌で、失礼した」
「とんでもない、うちの領地では王都の様な華やかさよりも穏やかで豊潤な農地ばかりですので、やや私の様な者は場にそぐわないようにも思えまして」
「いやあそんなことは……きっと、王都の活気盛んな、劇場など御覧なれば心も掴まれるか、と」
「はは、ハルマン伯爵は面白い御方ですなあ」
平凡で、突飛とした特徴の無い顔立ちに見えるのは、魔力操作なのだろう。
セルリアーナからは全く、普段と変わって笑顔を不自然に浮かべたラルシュにしか見えない。
ばちりと目が合うと、一瞬だけ目の色が揺らいだ。
「エスメラルディ侯爵令嬢。こんな場で立ち話とは、気が利かなかったですね。さあお送り致しましょう」
「いや、このハルマンにその御役目を────」
「貴殿はこれから宰相閣下との御歓談では?」
「そ、そうでしたなあ。し、失礼……」
難無く、無頼漢に成り得そうなハルマン伯爵を追い払ったラルシュは前を見据えたままだった。
「振り向くな、なるべく早く此処からずらかるぞ」
「あの、ラルシュ様……どうして此方に?」
もう距離が遠い。此方を向いてくれない。
セルリアーナは害獣討伐訓練で、同班だったマイカに散々あること無いことを吹聴されたものの、危機的状況下を最小限にリスクを留めて回避したことが後押しとなった。
正確には、平民出身者の生徒達が意見書を提出してセルリアーナの潔白が晴れたのである。
それでも過去の悪行やマイカの追い風もあって、セルリアーナの立場は良い方向には重きに至らなかった。
そして学舎である王立学院では、ラルシュの姿は殆ど見当たらなくなった。セルリアーナが会いに行けば、木陰から顔を出して呆れた様子で「暇なのか?」と言いながら受け入れてくれたのに。
本当に気配を隠すのが上手い。もう、セルリアーナには見付けることが出来なかった。
「本当に俺の認識阻害スキルが効かないとは」
「……わたくし、ずっと────」
「謝罪を受け取るほど、俺はお人好しじゃないぞ」
セルリアーナの口が噤む。謝罪を受けるのは本人の自由である。
それでも、学院の登校日は必ずセルリアーナは良く昼食を共に摂った、大木の枝にバスケットを引っ掛けておく。サンドウィッチやスコーンはお手製で、朝早起きをしてセルリアーナは作っている。
栄養素の偏りを考慮して、バランス良く野菜を摂取出来るような具材にしたり工夫しているのだ。
手紙も一緒に添えて、読もうが捨てようが、彼に委ねる。
言葉は交わせていなかったが、中身は空になっていたのでその点無視はされずにいるようだ。
「あの伯爵は金にがめつい割に、経営に関しては才能の欠片も母親の胎の中に忘れて来たらしい」
「……闇カジノの常連で国策を食い潰す駆除対象だと、仰りたいと?」
「最近金の巡りが急速に良くなってるのを不審に思った監督署から、勧告通知を提出前に調査依頼があってな。年若い令嬢を攫っては隣国や好き物に売り飛ばして大金稼いでるらしい」
「若い女性はそれこそ、路銀が動くので市場が活発化したら……。最近若い女性達の誘拐事件が勃発しているのは、この件も絡んでいるのでしょうか」
「さあ。だから、王家の監視者である俺が動いている」
「────わたくしを心配なさってらっしゃる、と?」
「それがなにか不都合と言いたげだな。まだ暫定であろうと、寵愛を失おうとも……第二王子殿下の婚約者である王族に連なる者、候補者たるお前が」
「随分と都合良い……のですね。わたくしの手を離したのに」
罰なのか。罪を目隠ししようが、闇の眷属カリュプスの器である限り。断ち切れぬ負の連鎖は、死ぬまで彼を纏わり付くのか。
「それに……あの、発言は些か認可出来たものじゃない。王族に対する侮辱行為とも捉えられるぞ」
「一般的なことを臣下として述べたまでですわ。哀れな努力家の愛しい姫君が、そう切願したのですもの。背中を押して差し上げるのが、悪いと?」
運命的な純愛の誘惑に負けて、己の課された責務を放棄して今も逢瀬を重ねる婚約者よりラルシュの方が誠意がある。
不純でいるのは、王族との婚姻政策に真っ向から破棄を提言出来ぬ立場にあるセルリアーナの方だから。
「お優しいのは、変わらずですわね。こんな時でも消音スキルを発動して、会話を傍受出来ぬ様に配慮して下さるなんて」
監視者たる者、私情を挟まず仕事の妨げになるならば無辜の民だろうと死すら傍観する。
なのに、セルリアーナへ間接的に遠い場所から救いを差し伸べるから。
いっそのこと見捨てて欲しかった。お前が招いた災いだとか、悪行への贖罪だとか。
「この会話は、異常なまでの不適切であるだけだ。聞かれて困るのはお前だけじゃ無い」
「あら……、それならいっそこの針の狢におりますわたくしを見捨てて下さいな」
本物の悪役令嬢であるならば、得意だろう? とラルシュを追い込むだろう。この決定的な悪意ある言葉は、もう関係修復の可能性を喪失することを意味する。
セルリアーナは次の言葉が出なかった。
彼の冷淡な声音だろうと、耳に届くのはこんなにも幸福であり冷え切った心に浸透するものだと。
(ラルシュ様が私を見捨ててくれれば、諦めが付くのに)
呆れたラルシュは、溜息を溢した。
「危ないだろう。お前は確かに王国内の魔法保持者の三百人以上に匹敵する魔力量があっても、まだ────」
この後に起こるのは、誘拐イベントである。
ゲーム内では、王宮内でハルマン伯爵から耳打ちされた悪役令嬢セルリアーナが引き金となるフラグだ。
ラルシュが知らず知らずのうちに、警告の意味を持ってセルリアーナへ貴族令嬢の誘拐に関する情報を与えてしまう。
「どんなに強かろうと、殺意を向けられた同じ人間を手に掛けたことのないなら、関わるな」
「ラルシュ様、わたくし────」
「早く行け。長々と話し過ぎた」
悪業も国家の前では清掃される。王家の監視者が闇の中で息を殺して潜んでいるからだ。それが誰であろうと、容赦無く頸動脈を掻き切れる。
「……失礼、致しました」
セルリアーナはドレスの裾を握り締めて、その場に立ち尽くしたのだった。




