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69 孤独






 セルリアーナが重たい瞼を開けると、彼は孤独になっていた。


「父さん……返事をして、良い子になる。俺、もっと仕事沢山して、皿洗いでも靴磨きでも何でもやって温かいスープも……」


 外は雪が積もる程白景色が広がっている。横たわる一人の骸はぴくりとも微動だにせず、生命が尽きたことが分かる。


(ラルシュ様の、お父様はこんな凄惨な……)


 それでも人々は立ち止まること、一瞥すらせず己のことだけを考えて歩みを進めている。


 ラルシュが大粒の涙を溢して、わんわんと天を仰いで泣き咽ぶ。悲痛な叫びがスラム街の雑踏に消えて行く。


「何も要らないから、帰って来て……お父さん……」


 人一人の命は軽い。銅貨一枚未満の、誰の目にも留まらぬ日常が溶け込んでいる。

 他人の涙は水以下の価値だ。泣き叫ぼうと悲観して、蹲っていようがどうだって良い。


 他人を気に掛けて、共有するだけの余裕なんて物は微塵にも無いし金にならない同情ならば買うだけ無駄だからだ。


 スラム街ならば、人の生死は普遍的であり生活の一部である。

 ラルシュだけが、一人の死を悼み嘆いた。


「やだよ……独りぼっちは、いやだ……ッ。なんで……神様は、父さんをお救いして下さらなかったのですか?」


 すると、渋々警邏隊が遺体を無名墓地へ乱雑に運びに来た。荷車は木々の至る所が傷んでおり、布では無く安価な藁の様な物で包んで運び出す。


 その作業を、ラルシュは茫然とただしゃがみ込んだまま見ていた。


「腐敗が進行し辛い冬場で良かったわ。夏なんかやべえんだよ、腐った臭いがそこら中に漂って、暫く肉食えなくなるし」


「おいおい、声でかいぞ」


「はあ? こんな貧乏籤引いた、こっちの方が労わってもらいたいわ! 帰りはたわわなお胸に癒されてから帰るぜ」


 積み終わると、子供がいることに気が付いた警邏隊の二人は罰が悪そうに眉を顰めた。


「あー、この人の息子さんかい? 名前は?」


「……どうして」


「うん?」


「善良なるグランドル国民を……助けてくれるんじゃないんですか?」


「うーん、それは市民権を獲得している方達はその恩恵にあやかれるんだよ坊主」


「は…………?」


 雲行きが怪しくなって行く。

 家族を失った孤児に向ける、大人の慈愛と悲哀の眼差しでは無い。


 ただ残酷な世界のルールを、子供に説き伏せているだけだった。


「市民権を持たぬ俺達は社会の弾き物で、毎日生きるのも大変で食べ物を奪ったり、時に人を殺してでも生き抜こうとする。そんな肥溜めを作ったのはアンタ達外の人間でしょう?!」


 飛び掛かりそうな勢いで、ラルシュは悲痛な想いを訴え掛けた。


「あーあー、これだから卑しい賎民と会話するのは嫌なんだ。お前の罪は祖先が犯した大罰で、此処から抜け出す努力もしない怠惰な人間を救済するほど俺達は暇じゃないんだ」


「やめておけよ、俺達はこれ以上公衆衛生が悪化しないよう回収だけ命じられたんだから。賎民と口聞いても一円にもならんぞ?」


「ああそうだな。早く行こう」


 ずるりと乱雑に遺体を扱う警邏隊に、ラルシュは膝頭にしがみ付いた。蒼白にした顔面は、他者に縋ってでも父親を丁重に埋葬したい一心であった。


「ま、待って! 父さんは何処に連れて行くんですか?!」


「はあ? 無名墓地に埋葬すんだよ」


「坊主、戸籍も無い賎民の遺体は一つに集められる。墓地は歴とした市民権を持った国民だけが各家柄に分け与えられる権利でそれ以外は、火葬して墓終いってやつさ」


「は、墓標は俺が、俺が作りますッ! だからたった一人の俺の、家族を遠くに連れて行かないで下さい!!」


「くどいなクソガキ!! 決まり(ルール)決まり(ルール)なんだよ!!」


 長い脚に纏わり付いたラルシュは、蹴り飛ばされた。埃を払うかのように、当然な振る舞いだと言いたげに。傲慢な態度で子供を平気で暴力的に(あし)らえるのだ。


「父さん、父さんを連れて行かないで……独りにしないで、お願い…………」


 風前の灯とは、きっとこの時起こったのだろう。


 伏せられた睫毛が、重々しく涙の雫が乗って地面に落ちた瞬間。目を逸らしたくなる、子供とは思えぬ冷酷な眼差しが姿を現した。


「もう、俺は誰も信じない。神が見限った人以下の価値であるのだから、俺は死ぬまで陰に潜んで、いつか誰の目にも映らずその辺でくたばる。それが俺の、地獄だ」


 泥水を啜って、地面に顔を押し付けられ屈辱を味わおうと。傘を差し出す者は現れない。


 慈悲深い神なんて、この世には存在しないことがラルシュの人生観に証明されてしまったから。


 不安定な心を傾けるだけの、決定的な人間の穢れた部分を目の当たりにしたのだ。


 土砂降りの雨の中、ラルシュは艶の失った黒髪に滴る雨水を拭うことなく吐き捨てた。






「俺を愛してくれる人間なんか、この世に居ない」











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