67 その悴んだ小さな手を握りたかった 前編
※シリアスシーンです。一部身分社会故の表現、貧民街独特の表現含まれます。
真っ黒な霧が晴れると、セルリアーナはまるで亡霊の様な浮遊感に気が付いた。意識だけが具現化された、そんな感覚である。
「これは……?」
『これから起こり得るコレの末路』
「末路って────」
コレ、とはラルシュのことだろう。その道を辿るのが恰も決められている、と闇の眷属は冷淡に言う。
大きな屋敷だろうが、辺りは人気が無い。風景が急に目紛しく変貌すると、
『前の爺さんが長寿だったから、短命に作られた入れ物』
「余命でもあるのですか、短命と……決められた諚なんて……」
『俺様は干渉出来ない』
ばっさりとした物言いに、セルリアーナは悲嘆して次に続く言葉が見付からなかった。
『いいかい。決して他言無用だ、そして────あの家の呪いをお嬢さんだけでも、知っていてくれないか?』
ピカッと眩い雷鳴が轟いて、セルリアーナは思わず目を瞑った。
再び眼を開けると、絢爛な装飾や天蓋付きのベッドも無い簡素な部屋に大人が何かを数人囲っていた。
窓から入り込む陽射しは無く、外は暗い。時折雷が鳴り響き、ガタガタと雨風が硝子に打ち付けている。
天候も悪い最中、その部屋はセルリアーナが幼少期に使っていた真実よりも手狭な印象だった。
セルリアーナは固定された場所にいる。恐らくだが、カリュプスの視点なのだろう。
見知らぬ天井、伸ばされた真っ白なきめ細かい肌は頼りなく空中へ伸ばしている。
「こ、これは…………」
セルリアーナは息を呑んで、ただ過去の記憶を眺めることしか出来なかった。
小さな幼子が忌避された視線の中で、一人だけに祝福された日。そして、闇の眷属カリュプスが継承され、第三十四代目の誕生を意味していた。
母親の姿は無く、ベッド柵を囲う様にして大人達は戦々恐々たる形相で子供を見下ろした。
「化け物……ッ」
「ああなんたることか……厄災を持ち込まれる」
その中の一人が抱き上げると、視界が急速に高くなった。腕の中は温かいのか、周囲の反応とは裏腹に赤子はひどく落ち着いている。
「ラルシュ。俺の可愛い息子、君をこの腕に抱けるなんて果報者だ」
赤子の頬に雫が降り注ぐ。父親なのだろう、息子と言うのだからラルシュの父はそう泪ぐむ。
けれども、産みの母親からは誕生の喜びとはかけ離れた言葉を浴びせられる。
「死ね、死ね死ね死ねッ!! その禍を齎す眼で見るんじゃ無いわよ!! こんなの産まれるんなら、アンタと子供なんか作らなきゃ良かったわ!!」
「何てことを仰るのです……ッ、この子の産みの母親でしょう?!」
「私は貴方の美貌を持った、優秀で綺麗なブラウンの髪を持った子が欲しかったのよ。気持ちが悪い、それを何処かにやっておしまい」
「そ、そんな…………腹を痛めて産んだ赤子です、せめて一度だけでも抱き上げては────」
「はあ? その化物をこの腕で抱けと?! そんなに偉くなったのかい、愛妾の分際で!」
名付け親が父親で、隔世遺伝なのかそれとも、因果なのか。黒髪黒眼で生まれたカリュプスを宿す次世代がこの日、生まれ落ちた。
闇の眷属を使役する者は、生まれ付き黒を宿す。王家へ未来永劫傅く目印の様に、忌避の色を持つのだ。
「この家に厄災を齎す子供は要らない」
罵詈雑言を投げ付けられ、ついには家を身の着のまま追い出される。突き飛ばされ、固く閉ざされた扉の前で、子供を抱えて薄着のまま歩く父親の姿がいる。
次第に成長するラルシュに待ち受けていたのは、暴力と貧困である。空腹は常に日常に溶け込み、酒浸りとなった父親に殴られ蹴られる虐待の日々が続く。
「その眼で俺を見るんじゃない。はあ……、今月の家賃だって払えてないのに! なんで俺はこんな惨めな思いをしているんだよ!!」
子供は抵抗する術がない。痩せた体を縮こめて必死で、荒波が過ぎ去るのを待っている。親に見捨てられたら、実質の死が直ぐそこまで覗いているのだから。
威圧的に踏み躙る大人が与える恐怖と痛み。カリュプスの視点ではあるが、同時にラルシュの体に棲み着いているので視界を共有している。
何度も縫い付けたが穴の開いた革靴で、背中を中心に踏まれる。ぐらぐらと身体が衝撃で揺れて、冷たい床にラルシュは蹲っている。
「死んでくれ。お前さえ生まれて来なきゃ、ずっと俺の人生は真っ当だった」
「生まれてきて御免なさい、だから殴らないで父さん……」
漆黒のギシギシの髪を鷲掴んで、寒空の中放り出される。華奢な体は軽々と宙を舞って、凸凹な塗装も半端なく道へ転がった。
「外に出てなさい。お客様がもう時期お見えになる」
ピシャリと取手付けの悪い木製の扉が閉まると、体育座りをその場でして自身の体を抱き締めた。裸足のまま出されたので、悴んでいるのだろう。
足先も霜焼けの様に赤く、啜る鼻水の音が道行く人々の喧騒に掻き消される。
「父さん、今日は皿洗いの仕事頑張って、少し給金弾んでもらったんだ。誕生日だから、温かいパン一つしか買えなかったけど……」
あれだけ暴行を受けているのに、幼いラルシュは縋る様に唯一の肉親へ愛情を注いでもらうことを諦めていなかった。
虐待児は、時折昔の親に戻るのでは? と期待を抱き、擁護する傾向がある。昔は優しかったのならば尚更だ。
大人の豹変には、時として子供の理解の範疇を超えたものがある。決して壊れたコップは元に戻らないのに、修復出来ると信じてしまうのだ。




