62 雨宿りの向こう側
雨が降って来て、密集した森林を駆け抜けた二人は洞窟に身を寄せた。撥水作用がある外套のお陰で最小限に濡れた程度だったが、ラルシュの方は頭から水を被ったようだ。
「雨宿りが出来る場所があって、不幸中の幸いだな」
「ラルシュ様、重かったでしょう……?」
「何言ってるんだ? 軽過ぎだ、もう少し食べたらどうだ。前から思っていたが、セルリアーナは羽根が生えた様に軽い。なんたって貴族令嬢は……」
「羽根……? あの、ラルシュ様……」
「顔が赤いぞ? こんな古ぼけた外套じゃ雨避けにもならなかったか。熱が出ているかもしれない、少し額に触るぞ」
「い、いやっ! わたくし、別に寒くなんか──」
額に触れた骨ばった手は、普段革手袋をしているのに配慮してか、外されている。
セルリアーナは沸騰しそうな高揚感を冷まそうと、頭の中で素数を数える。
出会った当初は警戒心剥き出しで、父並みの無愛想な冷血漢だったラルシュがこうも無防備に近寄って来ると。
推しとの距離が近過ぎて、息の仕方すら忘れそうだった。
頭がバグを起こして、思考回路がぐちゃぐちゃになる。セルリアーナはどうにか荒ぶる心を鎮めて、必死に静かに呼吸をする努力に努めた。
「熱は無いみたいだな。長雨に当たったから、寒かったら直ぐに言ってくれ」
「お、お気遣い、ありがとうございます」
「…………照れてるのか?」
「はえッ?! だ、だってラルシュ様がもう瞬きをするのも惜しいくらい、ほんっとにわたくしに触れる手が温かくて! こんな優しい手を持つ方がこの世にいらっしゃることに感動しておりましたの」
「お前に触れたい野獣連中は沢山いるだろうに。全員もれなく優しい奴とは限らないが」
「さあ? だってわたくし、氷花の令嬢ですから。それに今までわたくしに媚び諂う殿方達は皆陰でコソコソ淑女の風上にも置けないとか」
「それは見る目が養われていない哀れな男だ。他者を生かす為に危険を顧みず、勇猛果敢に脅威に立ち向かう令嬢は、俺は一度も見たことはない」
「褒め上手ですと、少し妬けてしまいます。他の奥ゆかしく庇護欲を駆り立てる令嬢にも、そうお声掛けてたら特に」
「おいおい、カリュプスを眷属し宿命とする、何者にもなれない奴に肩を並べて話してくれる御令嬢はお前しかいないぞ?」
(私、さっきから変だわ。まるで…………、いえ。これを言葉にして認知しまったら、もう私は一歩も動けなくなってしまう)
洞窟内は横長に広く、害獣の気配も無い。暫くはバケツをひっくり返した雨からは凌そうであった。
土の匂いが充満しており、小枝が転がっていたのも好都合だ。火を起こして、冷えた体を温めることがまず先決だろう。低体温症になれば、双方の命が危ぶまれる。
ラルシュは躊躇いもせず上半身の服を脱ぎ、水気を搾る。焚き火の準備中、ゆらりと照らされた体躯は傷跡だらけだった。
「お前も上着は濡れている、それは脱いだほうが良い。低体温症になったら洒落にならないからな」
「ラルシュ様、あの、わたくしの目には刺激が………その、強い…………眼福?」
「心の声がダダ漏れだぞ。ほら、上着乾かしてやる」
壁と壁に紐で吊り上げて上着を乾かすようだ。セルリアーナの上着を広げて、テキパキと物干し竿代わりの紐にラルシュはぶら下げる。
「寒く、無いですか?」
「耐えられなくは無い。俺で暖取れば良い。風邪引かれるよりマシだと諦めてくれ」
「その、よろしいのでしょうか……?」
(ご、合法的ハグチャンス頂きましたああああ)
「未婚の貴族令嬢で、未来の王子妃様が得体の知れぬ男と寄り添うのは問題になりそうだな」
「緊急事態に問題も何もありませんこと?」
(冷静になれ私。鼻血出るなよ本気で)
「俺の体を見ても悲鳴をあげないのは、セルリアーナくらいだ」
そう言えば付属のポーチに領地をより繁栄、豊かにする為に開発していた物をセルリアーナは思い出した。取り出した試作品フリーズドライ製品は考案したものだ。
災害時や遠征で大事な食糧となるし、長期保存が可能な物を研究していた。セルリアーナが断罪されて、運良く保有地での謹慎へ持って行けば領土の名産品として商業を成立させ、収入を得ようと考えていたのである。
指をパチっと弾くと、どんどん氷が出来上がって行く。指先から溢れ出る氷を溶かしてカップ一杯分のスープを二人で分け合った。
鉄製のカップを一つしか無い物を二人で同じ物を食すなんて、かなり難易度の高いテクニックが必要だった。間接的に、唇が触れたところを外す必要があるのだ。
セルリアーナは出来の悪い試作品だろうと、口に広がるチキンスープの薄味に感謝した。空腹と冷えは思考を鈍らせるし、体の自由を一方的に奪う。
一口飲んで、ラルシュに手渡す。ずず、と小さくスープを啜る音すら聞こえず、こんな時でも所作が美しいだなんて思う。
漆黒の髪の持ち主にこれ以上、事実を伏せておく必要は無いと判断したセルリアーナは、吐露した。
「それに……、わたくし王子妃になりません……」
「は…………? 本気か?」




