59 ヒルダの守護石は、きっとお前を一瞬でも守ってくれる
「ラルシュ様は来られないのですか?」
「本来は俺の様な監視者は人目に出たりしないもんだぞ。何も監視対象はあの万年発情期の泥棒猫も該当しているからな」
「うーん、ツンデレ萌え……いやクーデレ?」
「セルリアーナ、俺にも分かる言語で話してくれると有難いんだが」
「クールに見えて、実は御優しく紳士なラルシュ様」
「はあ……願掛けとは言え、ヒルダの守護石よりもこっちの方が御利益がありそうだ」
監視者は、対象のみに何が起きようと手を貸してはならない。
ヒルダの守護石へラルシュが手を翳すと、途端に色が菫色から真っ赤に段々と色が変化して行く。
「我が戒めにありし冥闇を司る者。汝地に堕ちる時、心の臓を糧に立ち上がりし光を浴びしこと賜わん」
光が集結すると、ラルシュの魔力の波が黒々と渦巻き、取り込まれたようだ。一種の儀式を、エスメラルディ侯爵家の馬車で行うのも感慨深い。
既存の守護が籠った石に、別の魔力を注ぎ込むなんて高度な魔法技術は、文献にも掲載されていないだろう。
はあ、と彼は手を離すと深く息を漏らした。それ程大掛かりな儀式の様な呪いだったのかもしれない。
「セルリアーナ。俺はお前が……、心底大切なんだ」
伏せられた睫毛が、ゆっくりと上がる。無垢な子供が、まるで夜を怯える様な、不安感を押し殺した様に。
セルリアーナにヒルダの守護石を握らせて、華奢な肩口に頭を置いたからだ。
「俺は白馬の王子でも何でも無いが、ただ生きて帰ることを望んでいる男だと……。それだけは、認識してくれないか」
思わず推しをぎゅうっと抱き締めたい強い衝動に駆られた。しかしファンが推しアイドルに対して、公式のハグイベント以外は絶対に手を回してはならない。犯罪であるからだ。
けれども、彼は今どうしてかセルリアーナへ監視者としてでは無く一人の人間として、求めている。
燻る心の狭間に、この違和感を押し込んでセルリアーナは彼の大きな背中に腕を回した。
ドキドキと心拍数が高鳴ろうと、仮初や無相応だろうと、セルリアーナは彼の心の拠り所でいたかった。
「あ、ラルシュさまの幸福を達成するまでは死ねません。約束します、ご安心を」
「お前、俺をなんだと思っているんだ?」
「ラルシュ様は冷酷で他者に慈愛を抱かず冥闇に連れ込む、怪物だの何だの都市伝説ばりに言われてますが……。私もラルシュ様が、世界中の敵になろうと味方でありたい強欲な女なのです」
そう。一番欲しい言葉を、結局セルリアーナはラルシュに答えてしまった。
「じゃないと、高慢卑劣な悪女として名が廃りますわ」
セルリアーナはどんなに頑張って味方陣営を強化し、無実の証拠を掴もうとも。帳尻を合わせて、マイカと婚約者アルベルノ第二王子殿下へ断罪される。
その未来はゲーム内の強制修正で、セルリアーナの努力を木っ端微塵にしてくれるのだ。
「セルリアーナ。俺に出来ることは無いか?」
「あ、あの……良いのですか?」
「魔導具か? それとも秘宝指定の、ウィンクィア泉の反射鏡や冥界の番犬は直ぐには用意出来ないが……」
魔導具は古代遺跡に眠り、発掘された物で各地に点在していると言う。あまりゲーム内では触れられないが、時折呪術がかかっている物も存在し、未だに謎が多い。
「え、ええ……国宝級の物なんて畏れ多いですわ」
また国宝指定であるウィンクィア泉の反射鏡は別名浄化の水面とも呼ばれる、聖なる森深くにある泉の奥底で発見された物だ。
違法な闇賭博で競売にかけられ、グランドル王国の文化的財産が認められ王立宝庫で保管されている。どんな秘密も真実すら照らし、強大な魔法すら撥ね返す国宝だ。
(いや、アマリィスを譲り受けるだけの顔の広さと財力はある貴族家出身者だの、お母様が騒いでたわね……)
また入手以前の話である、冥界の番犬は冥府王ハデスの所有物は存在すらも明らかにされていない。埃被る古い文献にはケルベロスの三つの頭を持つ犬として描かれていたが、空想上の生物である。
セルリアーナの答えは決まっていた。高い宝飾品や邸宅、ましてや国宝なんてどうでも良い。今欲しい物は目の前にあるからだ。
「この期に及んで不躾ですが、言って欲しい台詞がありまして」
「台詞? なんだ? 蛆虫共は惨たらしい死を届けてやるとか?」
(私のことなんだと思ってるのかしら……?)
「それも素敵ですが、その……」
セルリアーナは耳打ちをすると、ラルシュは凝視した。先程の迷い子羊とは打って変わって、普段の冷淡で無愛想に戻った。
お前な……と呆れながら、けれども彼は頬にセルリアーナの手を擦り寄せて言う。
「死ぬな、生きて俺の元へ帰れ。俺を独りにしたら殺してやる」
ずどんと落雷の様な威力の高い物がセルリアーナを襲う。低音ボイスに、戸惑いを隠し切れずに願いを聞き入れた推しの生殺し台詞。
(さ、さ、最高……ッ!! 死んでも悔いが無いかもしれないわ……)
馬車を引く御者が侯爵邸にそろそろ着くと声が掛かり、涎が垂れそうな状況下でセルリアーナは必死で顔を引き締める。
キリリと何処ぞの王子様並みの毅然さを前に出して、悶絶して馬車内で足をジタバタさせたくなる衝動に襲われたが堪えた。
「ラルシュ様を幸せにするために馳せ参じたのですよ?」
「お前ってやつは……まずは無事に帰って来い。お前の好きなブラッドベリーのケーキとアールグレイの紅茶を用意しておくから」
するりとラルシュは馬車の窓枠を開けると、颯爽と風の如く消え去った。
甘い恋人や婚約者の様なやり取りを思い返して、セルリアーナは堪らず自身の身体をかき抱いた。むず痒くて、なんだか落ち着かない。
この熱情はなんて名前なのだろうか。
(アールグレイの紅茶、大好きなのどうして知ってるの?! ああなんて奥ゆかしい推しなのだろう!)




