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56.5 転生前の遠藤芹という、一人の人生






 一瞬の出来事に、セルリアーナは心を砕かれそうになった。


(死にたく、ない。私、何も出来ていないわ)


 何故ならば父にも母や留学する兄ですら大事な人ができたと言えていないからだ。ラルシュと言う素敵な殿方だと。


 セルリアーナの中にいる遠藤芹が一瞬で目を奪われたひとだ。美しい信念のある、彼に出会ってからは人生の転機は訪れた気がした。


 なのにこんなところで、マイカにも大口叩いておいておっ死ぬなんて、あんまりだ。


 後でくしゃくしゃな顔をしながら、棺桶の真っ白な顔した悪役令嬢に向かって「だから言ったのに勝手なことしないで」なんてマイカが反吐零すのは、目に浮かぶのだから。


 今のヒロインは、本来の姿なのだろう。ゲームでは語られなかった、人間らしい反応。


 ヒロインの皮を被ったマイカ・チャンベラは白百合を手向けて「アルベルノ殿下との祝福を祝って」では無く「婚約者の座を退いてくれてありがとう!」だろう。


 それに遠藤芹だって、博打は好きじゃあ無かった。勝負師とは無縁で、賭け事には経験が乏しいから。


 仕事の成績は中の下、大学卒業後は実家から出来るだけ遠くの小さな企業に就職。賃金は安いが、晴れて一人暮らしの自由を手に入れて、趣味に没頭した。


 飲みに行くのも、外食も高いからと言って自宅で値引きシール付きの惣菜や寿司ロールを買って、ネット配信動画やゲームをするのが好きだった。


 仕事は多くのことを求められる。着信音がとにかく嫌いだ、心臓に悪くて。狭いデスクで、引き出しにこっそりお菓子を忍ばせて、苦痛な時間を過ごした。


 遠藤芹は何処にでもいる一般的な喪女で社畜だったが、百パーセント勝てる試合しかしない主義だ。


 だから社内プレゼンでは、直ぐ人の功績を盗む同僚がいれば一旦引く。勝ち目が無い泥試合で、巻き込まれ損を食らった同期は沢山いたからだ。


 何なら勝てない勝負はしたくないし、そこそこの手取りで給料を得られれば文句は無かった。


 それこそオタク魂に賭けて推しに出会った日から、毎日推しの為に生きていたのだ。


 推しに課金するにもお金が必要だから働く意欲も出たし、毎日クソみたいなクレームもイジメも嫌がらせにロッカーへ退職届の用紙貼られようがなんてことなかった。


 コンビニで一番高いビール買って歩きながら飲んで夜空見上げて、月が綺麗だねって言われる相手なんか居なくったって。


 遠藤芹は幸せだったのだ。


 別に悩みを相談出来る恋人も友人もいないし、家族からは「いつまでゲームに夢中になっているんだ」「婚活しなさい」とまで言われても。


「私の人生や幸福を、私自身が決める権利があるわ」


「今に見てなさい。後悔するわよ?」


「親の言うことを聞いてれば良いんだ!」


「あ、そう。でも私は好きな物に囲まれて、自分で稼いで自分自身を養えるありのままの私が好きだから」


 『光の先に続く真愛』があるから、日々の辛さは吹き飛んだ。推しに会う為に全キャラクターのスチルを回収するくらいには。


 毎日がずっと、輝いて見えたのだ。

 それが、遠藤芹という一人の人生だった。


 ラルシュ様。覆い隠す銃口(カリュプス)の名前まで知ることが出来た。奇跡だった。


 あの漆黒の美しい髪と瞳は、深淵を覗くだなんて言われているけれど。厄災だろうが何だろうが降り掛かって来なさいと、全力で戦ってみせる。日本人は黒髪黒眼が多いんだから!


「そんな風習だの伝承だのに左右するなんて現代なら人種差別問題に発展して訴訟よ、訴訟!」


 絶対に彼だって名を明かすリスクとか色々考えただろうに。エスメラルディ侯爵家の力を知っていて敢えて教えてくれた力量と勇気、そして覚悟。


 光線を浴びながら、ああこの汚臭が漂う胃袋で溶かされるのかと、セルリアーナは現実に引き戻された。悪臭が鼻腔を強烈に刺激して、曲がりそうだ。


「ああ……わたくし、呆気なく死ぬのね」


 全部愛しくて、涙出てしまいそうだった。ああもう一度会いたい。


 切実にセルリアーナは膝をついたまま、一縷の奇跡を望んだ。


 神様なんかいたら、一生のお願いをいつか使う日が来るとしたら。こんな窮地で命乞いするのは、無相応なお願い事だろうか?


「はは、わたくしって……目が覚めても閉じる時ですら悪い女で終わるのね」





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