43 合法的なおもてなし〜推しの真名、ついに知る
「……ラルシュ」
「へ?」
「カリュプスは、まあ通り名みたいなものだ。これからは俺をそう呼べよ、セルリアーナ」
(ま? 名前? あ?)
「どうせ侯爵家の情報網でも使えば────」
(そんなことしたら嫌われるじゃない!!!! 絶対イヤ────!!!!)
「な、名前…………」
「散々名前で呼んで欲しいって、言い出したのはお前が先だろう?」
(ご、合法的に名前!!!! を!! 知れたなんて!!!! 今日は記念日にしよう!! そうするわ!!!!)
上流階級の貴族である、エスメラルディ侯爵家だろうと二つの公爵家に探りを入れるのは容易では無い。目星を付けても、一歩間違えれば格上の二大公爵家を敵に回す形になる。
慎重になっているのも、承知の上だろう。情報網を駆使すればどうとなるが、六柱の一本も携われずにいるのは権力の均衡を保持する為である。
(ラルシュ様は、きっと気が付いてらっしゃる。二大公爵家の何方かに、籍を置くことを)
二大公爵家に柱の役割を任命すれば、より実権者としての箔が付く。けれども王家は国家転覆へ加担出来ぬように、実権を分散している。
表向きは責務の分配とは、上手い逃げ道を使う。流石は王家のお抱え暗躍者を隠し通して、汚れ役を全部押し付けるだけの狡猾さである。
(ああ、どうしてこんなにも懐をお見せしてくれるの、ダメよ。そんなことしたら私……、歯止め効かなくなるじゃない……。推しにもっと近付きたいだなんて、大手を振りたい気持ちが先走って、はしたないわ)
その背景を知れたのは、悪役令嬢セルリアーナに転生してから打開策を模索する最中発見した事実だ。
百%婚約破棄後の断罪は執り行われる。公衆の面前で。
けれども、首元を狙った刃先はギリギリで回避することは可能なはずだ。太刀筋を数ミリずらせるように。
「お、おおお王命なのでしょう? 普段公の場にいらっしゃらないのも」
「まあそうなるな。どうせ俺のことは殆ど認識出来ないから、どうとでもなるが」
カリュプス改め、推しの本名であるラルシュなんて呼ぶにはオタクとして烏滸がましくて、どうも口に出すのを躊躇った。
ケーキを食べながら、ぶっきらぼうな口調で答えてくれるラルシュは秘匿性を持っている。
それなのに王族の婚約者に近い人間である、セルリアーナへ姿を現した。口が固いのは、血筋故であるが、評価してくれているのだろう。
(徹底して人前ではその名を口にせず、二人の時だけお呼び致しますのでご安心下さい。こう見えて口は固いですので、死んでも口は噤みます)
「ふふ、こっそり二人だけの時に名前で呼ぶなんて、とてもロマンチックじゃないですか?」
(オタクの妄想的に)
「……エスメラルディ侯爵令嬢は寛大な心持ちだな」
「あ、愛称で呼んで下さっても宜しいのですよ?!」
「お前、無欲だと思わせて本当は欲張りな女だって、知ってて言ってるだろ」
(惜しい……)
「お名前を知れて、今日の疲れは吹っ飛びましたわ。でももっと魔法の言葉を持ち合わせていらっしゃるのに、焦らすのがお上手ですこと」
「現金な奴……。ほら、もう休め。俺は子守唄は知らんからな」
席を徐に立つと、ぐいと天蓋付きのベッドに肩を軽く押された。隈の多いセルリアーナが如何に睡眠不足で、王宮に缶詰状態であることを知ってかのように。
眉間に皺を寄せて、心配そうに見下ろすラルシュは美しく儚げだ。
触れたら壊れそうなのは、彼に見える。なんだか、こうやって冗談を交えて会話をしないと本気で心労を与えそうだ。
両手を広げて、肩に無造作に掛けていたショールを適当にベッド脇に放り投げる。ドレスは幸いにもコルセットは緩めにしてもらっていたので、もう後は侍女に任せよう。
「ええ……そこは直伝の何かあったら、美しい歌声をお聞かせ願いたいところでしたけれど」
「子守唄……なんて。いや……、お前はどうなんだ?」
「わたくし?」
「ああ、お前のことをもっと知りたいんだ、セルリアーナ」
目を伏せている。長い漆黒の睫毛が影を落として。
「わたくしは、ただ……後悔しない生き方を全うしたいだけですわ」
「まるで結末を見据えた言い方だな。未来でも見えるとか?」
ぎくりと肩を竦ませたい瞬間だったが、平常心を保つ。悟られないように、ただ瞼を閉じて呼吸数を正しくすれば良い。
セルリアーナが質問に答えずにいると、彼は沈黙を破って疑念を重ねるかのように、再度尋ねた。
「未来がもしも見えるとしたら、何を知りたい?」
「────避けられる障壁、ですかね」
「障壁?」
「誰かにこの幸せを奪われる日が来るのが分かっていたとしたら、カリュプス様ならどうなさいますか」
「なんだその飛躍的な比喩は」
「…………ですよね」
「人間が出来ることなんてたかが知れるだろう? みっともなく足掻いて、運命を覆してやる。それくらいのハングリー精神はお前にはあると思ってるんだがな……俺の思い違いか?」
思ってもみない返答に、思わず口をぽかんと開けてしまった。目を見開いてから瞬きを数回して、ラルシュの黒曜石の双眸とかち合う。
「わたくしのことを……高く評価して下さって……らっしゃるのです、ね?」
「そんなに落ち込むことがあったのか。それとも女は情緒不安定になる時期があるんだろう? 腹冷やす物ばかり食べるなよ」
(食い意地張ってると思われてる)
ナイーブな精神状態にある時は、月に一度の月経周期だと誤解を招いてしまったが、さらりと言うものだからツッコミを忘れてしまった。
「カリュプス様は……」
「ラルシュ」
「へ?」
「せっかく名前を教えたのに、呼んではくれないのか?」
「ラ…………ラルシュさ、ま」
「────お前の声は心地良いな」
円やかなマゼンタカラーの髪にラルシュが触れる。月夜に照らされてたからか、瞳が光を帯びている。
ラルシュがことんと置いた金の塗料が施された四角い箱を開くと、ゆったりと糸車が巻き上げて音を奏でる。
これはオルゴールだ。繊細な音色が、不眠不休で活動していたセルリアーナには瞼を重たくした。
「ラルシュ様、今度わたくしが子守唄……歌って……差し上げ……」
意識が保てない。体もずっしりと鉛の様に重たくて、動けずにいる。どんな催眠作用のある茶やストレッチ等も効かなかったのに。
彼の大きな掌が、ぎこちなくだがオルゴールの音色に合わせてセルリアーナをあやす。
「おやすみ、良い夢を────」




