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38 カリュプスの本性 ※カリュプス視点





「公爵家の嫡男? ああ、彼は表舞台には出ないのが有名でね。何たって病弱気質で床からも出られないらしい」


「正当なる公爵家血筋を持つ夫人であり、現当主……。そして婿に嫁いで来た侯爵家次男坊との間に子供が出来ぬと言って、苦肉の策で家令との子供」


「生粋な貴族の血が流れる後継が出来たら、そりゃあもうお払い箱さ!」


「汚いことは彼が請け負う。闇に隠れる汚れ役は……正に血筋は亡き第三十三代目のカリュプス。相貌は賎民にしては見目が良いらしい。単なる噂さ、王家の限られた人間にしか知らぬのだから」


 それが、覆い隠す銃口(カリュプス)を宿す者の役割だ。


「社交界には出さないわ。お前みたいな愚息は、精々家の為に働けば良いのよ。その忌々しい瓜二つのあの顔だけの男と、紛いなりにもベンブルクの血を引く第三十四代目なんて……」


 市井に一度投げ出して、それはそれは御涙頂戴の様な生活を歩んできた。


 雑草だの残飯だの塵を漁って食べて、惨めな生活を。人生の急降下。水も食べ物も、生きることすら必死な日々。


(別に、腹が減ったってどうってことは、ない)


 どうってことはない。貴族の侍従として家令まで成り上がった筈の男妾(おとこめかけ)なんて、所詮は役目御免になれば身の着のまま放り出される。


 領地運営や、公爵邸内の財務関連の仕事や面倒事全てを押し付けられ、それでも身を粉にして働いていたのに。


 貧乏に転落して、その日暮らしは珍しくなんかは無い。


 家は絶縁、何なら出は貧しく奉公先だった貴族家に居るだけで華になる。そう言う理由で採用された父親を持つのだから、たまったもんじゃあない。


(家令になるのも、大変だったはずだ。ただ、見てくれが美しいだけでは、成り立つ様な仕事でも無かっただろう)


 追い出されたのは簡単だった。正当な血筋である義弟を母親が身籠ったからだ。

 純血を重視するベンブルクに、後継者争いの火種は早く排除する必要があった。


 そうやってガチャンと鉄格子の様に屈強な門は、二人の前ではもう開かなくなったのを幼心でも覚えている。


「女を(たぶら)かして日銭を稼ぐ、卑しい男」


「いっつも酒に酔っているけれど、まあ夜は抜群だからついつい呼んじゃうのよね」


 見目麗しい父親は、その辺で経済的余裕のある女性や未亡人に目を付けては、日銭を稼いでいた。定職は無く、結局女に寄生する蛆虫(うじむし)の様に。


 惨めな姿を息子には見せたくなかったのか、寝室には近付くんじゃないと拳を振り下ろす。女性が出て行くまで、仕事の一環なので寒空の下膝を抱えて待つことも時々あった。


「本当に可哀想な子。でもね、貧民街では隣の誰かが明日いなくなっても、おかしくはないのよ」


「いつ死んじゃっても此処は王都から近いのに、皆んな見て見ぬふり。臭い物には蓋したいんだろうな」


「ああ、子供なんて金ばかり食う! 食い扶持ぐらい自分で見付けろ! 皿洗いや掃除が無ければ、靴でも舐めて媚びてでも日銭を稼げ!」


 悴む手足、靴も擦り切れて穴だらけ。隙間風がびゅうびゅう通る掘建て小屋は、堕落した人間に丁度良い城だった。


 父親は血反吐を啜る中手にした、家令と言う職務を得た先にあった絶望で、一気に転落した。


 酒浸りとなり、安酒を手にしては殴る蹴るを繰り返して生傷が絶えぬ幼少期を過ごしたお陰で、すっかり痛覚は鈍くなった。


「酒を買って来なさい。いいね、あの店主は僕達を塵だと思って高値を吹っ掛けてくるんだから、お前も子供の知恵でも捻って、安く仕入れて来るんだ」


「これじゃ、足りない。あと二枚は銅貨が無いと」


「いいね、これは決まり事なんだ。僕が惨めに彼女達を慰めて稼いだ大切な、大切な銅貨を信用して預けているんだよ?」


「分かった、分かったから……今、買いに行く」


「ほら早く行くんだ。店ももう閉まってしまう」


 子供に酒を買いに行かせる、最低野郎。


 いつだって酒の匂いと鼻腔を刺激する甘ったるい安い香水の香りを纏っている。見送られた試しも無い。

 この現状を打破するのを諦め切って、酒で酔っ払って現実逃避をする負け犬。


 そう、寒空の下で少ない銅貨を握り締めて、呟いた。


「…………クソ親父」


 すると、馬車に轢かれて呆気無く父親はこの世を去った。腹の足しになるかと思って雑草を毟って帰路に着く頃には。


 路地裏に薄汚れた布が被さって横たわる父親がいた。当初は普段通り酒で酔って、寝ているだけだと思った。

 その日は一段と冷え込んでいたから、寒くて布に包まって凌いでいたのだろう。


 きっとそうだ。間違いじゃあない。こんな所でくたばってなど、いない。


 自分に言い聞かせるのに、必死だった。

 本来ならば、この父親業を放棄した男がいなくなれば。毎日殴られることも無くなるだろうし、仕事中に外へ放り出されることも無くなる。


 だが、それでも一縷の望みが突き動かしていた物は、家族としての温情だった。毎日仕事で女性を相手にするのだって、色欲魔で無ければ精神的苦痛は相当のものだろう。


 衣食住を最低限確保するには、あまりにも無情な環境だった。そんな冷血な世界に放り出され、子供を抱えて生活をする。

 過酷な状況下で、酔っていなければ平常心を保てないだろう。


「どうせ酔っ払って、いる……だけ、いつもの……こ、とだろ」


 王国の警邏隊はそそくさと適当に、処理したのか。それとも見て見ぬふりをしたのか。

 呆気無い、別れだった。


「はは……人間って簡単に死ぬ生き物、なのか」


 永遠のさよならに、嫌味も憎悪もぶつけられずに冷たくなった父親へかける言葉なんて、思い付かなかった。

 教育を殆ど受けられずに育ったせいで、言葉をまともに知らなかったからだ。


「きったねえ、なんだこの浮浪者。つーか山にでも捨てておけよなあ」


「うわっ、死んでる。夏場じゃ無くて却って良かったんじゃあないか? 蝿と蛆虫湧いてたらさぞかし後始末大変だろ」


「言えてる。早く行こう、物乞いに声掛けられても困るし」


 通り過がりの人々の、敵意の無い悪質な暴言が降り掛かる。彼等にとっては、賎民の一人が野垂れ死んだだけの、何の変哲もないことだと。


 それでも、この男は自分の父親だった。


 抱き上げてくれた、遠い昔の記憶が甦る。生まれてきてくれてありがとう、そう涙した美しいアンバーカラーの瞳が揺れたのを。


「父さん、どうして………父さん、俺を一人にしないで……お願い、もっと良い子にするから、だから」


 ぼろぼろとその場で涙を落とした。悲しい。あんなに恨んでいた父親が死んだことが、こんなにも。

 嗚咽を押し殺してただ、無力な少年は暫くの間その場から動けずにいた。


(……その後、こいつが嘲笑うように現れて、俺をカリュプスとして生かした)


 腹の虫が暴れなくなった頃、迎えが来た。生きる為に使っていた力が、実は受け継がれる特殊な能力だったらしい。

 カリュプスは常に、自分の側に居た。どんな時でも片時も離れず、寄り添う体の一部が。








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