32 彼とカリュプスの会話 ※カリュプス視点
エスメラルディ侯爵家。別名では氷柱とも呼ばれるのは、彼等の血筋がグランドル王国の六柱の一つを守る由緒正しき貴族家であるからだ。
彼等は閉鎖的で、冷血漢とも捉えられる程に血も涙も流さぬ現当主と、社交界で発言力が高い夫人。そして隣国にで留学中の息子は次期当主に相応しき逸材。
その中で魔力量を圧倒的に凌駕するのが、セルリアーナ・エスメラルディ。今腕の中にいる貴族令嬢である。
「うーん、カリュプスさまぁ…………」
(一体これはどうしたら良いのだろうか)
カリュプスは非常に頭を悩ませた。こんな場所に一人放置させるのも、紳士以前に人間として有るまじき行いである。
更には室内でも冷え込むのは、エスメラルディ家の魔力は一律氷なので、部屋も勿論属性に応じて氷山の中にいる様な凍える寒さだった。
本来、カリュプスは王命により第二王子殿下アルベルノ・キャルスラータに相応しい貴族令嬢かの天秤に掛ける審議に対し、日頃の振る舞いを調査していた。
所謂、監視である。王族の名に連なる人間として正しき志や品性を持ち合わせているか。
単にカリュプスからしたら、篩い落としの材料や上位貴族の弱味を得たいからとしか思えなかったが。
特に注視されていたのは、現在有力候補であるセルリアーナだ。
彼女は高慢で卑劣、且つ婚約者に近付く令嬢は言葉の如く蹴散らす。熟練度の高い魔力操作で、凡ゆる物を凍らせてしまったり、とにかく厄災を振り撒く元凶だった。
「はあ……まだ認識されるのは避けたかったが」
カリュプスには認識阻害、隠密等に特化したスキルを身に付けている。
枠組みが盛大に壊れ、破損した音や硝子の音が鳴り響いたことで、使用人達が一斉に集まり始めた。
「お、お嬢様を放しなさいこの侵入者め!」
「……危害を加えたつもりはない」
「それはこの惨状を前にしても、貴様は何もしていないと言い逃れをするおつもりか?」
「────覆い隠す銃口」
「は?」
「今の当主は……エスメラルディ侯爵家第三十三代目か。話は通るはずだ」
腕の中にいる彼女は、とても思った以上に軽かった。吃驚した。長いマゼンタカラーの髪が、吹き抜けの夜風にゆらゆらと靡く。綺麗だった。
目蓋を閉じて、長い睫毛に微かに感じる魔力の残差。右腕から真っ黒な霧状の物が出て来て、鋭いギザギザの歯が弧を描いて囁く。
『芳しい香りがするなあ。なんたって極上な甘い毒婦その者の匂いだ。俺様は大層気に入ったぞ』
せせら笑う影がにんまりと怪しく笑みを浮かべた。
「カリュプス、お前は今誰が喋って良いと許しを与えた」
『堅苦しいことは良してくれよお御主人サマ』
じろりと右腕に巻き付いた影へ、じろりと殺気を帯びた視線を浴びさせる。こんな脅しでは影は怯まない。
『アンタのお気に入りにちょっかいかけるなんて野暮なことはしないって』
「そうじゃない、魔力持ちは多少なりともお前が見えるんだ。感情を昂らせるなと言っている」
『はは! 俺様を見るだと?! カス以下の下等生物風情の人間が?! やってみろよ!!!!』
「その人間風情に使役されてるお前が?」
『俺様はなあ!! 御主人サマ野郎が、そうだから従僕してやってんだよ!! あとは俺様の気分次第なんだよおお!!』
ざわざわと澱んだ風が周囲に暗雲を撒き散らす様に、霧状の物は苛立ちを露わにした。
影は低く濁声で、カリュプスへ周りを彷徨いた。変幻自在に形を変えられるのは、媒体とする形が粒子の様なのか。
『なあ、御主人サマ。この女の子可愛くて気が強くって、とーってもアンタに心開いてるよなあ。こんな良い子が本当の俺様達を見ちゃったら、変わらず慕ってくれると本気で思ってんのかあ?』
「今日はやけに饒舌だな」
『俺様の機嫌は、貧民街でカビ生えたパン食って底辺が底辺を踏み躙って生きるゲロ以下の日に比例してんだよ! あん時の御主人サマは目が腐ってて好きだったぜ、この子といる時のアンタの方が良いけど』
「皮肉屋で反吐が出るお前は通常運転だな、とっととその口を塞ぐ為に俺は照らしてやっても良いんだぞ?」
『わーったってそれは勘弁だ。なあ、それはそうと恋とか言う人間の良く分かんねー現象に落ちるなよ、御主人サマ』
「俺がそんな物に左右されるとでも?」
『だって美味しいザラメクッキー作ってくれるのに、何れは破滅の運命を迎えて処理しなきゃなんねーんだから』
痛い所を突かれた。
この影媒体はとにかく人間の暗い所を棲家とする。特に右腕へ取り憑くように、人間を介して歴史を渡り歩いている。
第三十四代目カリュプスとして、先代の三十三代目が急逝前には既に継承され、こうやって無駄にお喋りするのだ。
「…………引っ込め肥溜めの影野郎。俺は今無性にお前と話したくない気分だ」
右腕を左手で影を振り払うと、舌打ちをしてやっと引っ込んでくれた。
あまり公には出したくはない代物なので、魔力感知が鋭い侯爵邸では特に注意をしなければならない。
(王命では、反乱因子として弑逆の芽が出るようならば即座に現場判断で処理しろ……なんて、困ったことを敷く)
当初はどうだって良かった。人の生き死には、自然の摂理で運命的、流動的に作られる。それが遅かれ早かれ訪れるだけだと。
それなのに何故からしくないことばかり、している。
腕の中にいる彼女を、殺めたくないと思ってしまうのはどうしてだろうか。
得体の知れぬ男の腕に包まれているのに。安心して体重を預ける彼女へ視線を落とした。
(……ああ、非常に厄介な感情を植え付けてくれたな、セルリアーナ・エスメラルディ)
そんな葛藤を知らず、すやすやと涎を垂らして眠りこける彼女の寝顔をもう少しだけ。見ていたかった。




