8.楽しい異文化交流
「まあ、そういうことですか……」
ロウィーナ男爵夫人は、わたしの訴えに耳を傾け、真剣な表情で言った。
「大変申し訳ありませんでした、殿下。ベルガー王国では、朝食に肉を出す習慣があまりないのです。殿下がおっしゃるような、魔獣の丸焼きに近い料理が出されるのは、もっぱら晩餐になりますわね」
「……逆に聞きたいのですが、草原では朝から肉を召し上がるのですか?」
クラウス卿の質問に、わたしは力強く頷いた。
「はい、もちろん!」
肉を食べなければ、一日が始まらない。力が出ないっていうか、なんだか体がしょんぼりする。
……と切々と訴えると、
「わかりましたわ、殿下」
ロウィーナ男爵夫人が、にっこり笑って言った。
「明日からは、必ず殿下の朝食に……、いえ、毎食必ず、肉をお出しするよう、厨房に命じましょう。お辛い思いをさせて、申し訳ありませんでした」
「ううん、いいんです」
わたしは嬉しくなってロウィーナ男爵夫人の手を握った。
「わたしのためにいろいろ考えてくださって、とっても嬉しいです! ありがとうローナ男爵夫人!」
マイアもにこにこしている。
ロウィーナ男爵夫人は、すごくいい人だ。可愛くて綺麗で、そのうえ優しい。最高だ!
「ローナ男爵夫人、ぜひぜひ、わたしの愛人に……「そのことなのですが、殿下」
わたしの言葉をさえぎるように、クラウス卿が言った。
「殿下のおっしゃる、その……、愛人という言葉と、ベルガー王国での愛人、という言葉と。……ひょっとして、大きな違いがあるのではないでしょうか。ライラ殿、どうなのですか?」
「ええ……、まあ」
ロウィーナ男爵夫人は、考えるように小首を傾げた。
「なんと説明すればよいのか、なかなか難しい部分もあるのですけど。簡単に申し上げれば、草原での『愛人』という言葉は、とても広義にわたって使用されます。ベルガー王国でいう『愛人』と同じ意味で使用される場合もありますが、その多くは、なんというか……、世話をすべき相手、というような意味で使用されますわね」
「……世話……?」
クラウス卿が呆然と言った。
「どういうことです? 世話?」
「これは恐らく、煩雑な書類手続きを嫌う草原の文化が影響しているのではないかと思うのですけど」
ロウィーナ男爵夫人は、考え込みながら言った。
「例えば、草原ではめったに養子縁組等は行われません。戦争で夫を失った寡婦、両親を失った孤児、身寄りのない老人など、彼らを引き取り、面倒をみる際、すべて『愛人』として処理されています。そうすれば、役所への届け出等は必要ありませんから」
「は!?」
クラウス卿が目を剥いた。
「バカな。それでは、働き盛りの女性が老婦人を愛人として持つケースもあるというのですか?」
「そうです!」
わたしは張り切って答えた。クラウス卿に、草原について知ってもらいたかったのだ。
「わたしの母上もそうでした! 母上はよく、戦いの後、敵の将軍の妻とか妾とかを愛人にして、面倒をみてました! あっ、父上も、母上の愛人でした! 昔、父上が物盗りをしていた頃、母上に捕まったそうです! それで、父上は母上を好きになったので、お願いして母上の愛人になったと聞きました! それでいろいろ頑張って、父上は今、草原の王です!」
「えっ……」
クラウス卿がぽかんと口を開けた。
「エルドリッド王が、……あの草原の狼が、物盗り……? 愛人?」
「草原の王の恋物語は、わたくしも伺ったことがございますわ。草原の方は、たいそう情熱的ですのね」
ロウィーナ男爵夫人はにこっと笑うと、クラウス卿に言い聞かせるように説明した。
「カーチェ様のお母上、先代の女王陛下が、エルドリッド王をどのような意味で『愛人』とされていたのか、それはわたくしにはわかりません。先ほども申し上げた通り、草原では、『愛人』という言葉は色々な意味で使用されておりますから。面倒をみるべき相手、庇護し、守るべき相手、他には……、ああ、芸術家の後見をする場合にも使われますわね。妾とする訳でなくとも、ただ単にその才能を支援するだけでも、『愛人』という形をとるのです」
「それは、しかし……、ややこしくありませんか? 誤解を招くのでは」
「ぜんぜんそんなことないです!」
困惑したようなクラウス卿に、わたしは力強く言った。
「だって、見ればわかるでしょ? それに、どっちだっていいじゃないですか。大事な存在だってことに変わりはないんだし」
「そっ……、いや、しかし……」
クラウス卿が焦ったように何か言いかけたが、結局黙ってしまった。
ロウィーナ男爵夫人はにっこり笑い、言った。
「とにかく、そういう訳で草原とこちらでは、『愛人』の定義が違う、と思っていただければよろしいかと。……なんと申しますか、草原の『愛人』は、保護対象者であると言えばよろしいでしょうか」
「保護……、いや、しかし、私もロウィーナ男爵夫人も、殿下の保護を必要としてはおりません!」
クラウス卿が叫ぶように言った。
うん、それはわかってるけど。
「なんていうか、クラース卿もローナ男爵夫人も、なんか面倒みてあげたくなるんです!」
わたしはこぶしを握って力説した。
「なんか二人とも、可愛いっていうか、か弱いっていうか。とにかく、守ってあげたいんです!」
「か弱い……」
呆然とクラウス卿がわたしの言葉をくり返した。なんか、クラウス卿の顔色が悪い。どうしたんだろう。
「クラース卿、大丈夫ですか?」
「サムエリ公爵閣下には、しばらくお時間が必要なだけですわ。そっとしておきましょう、殿下」
ロウィーナ男爵夫人が、なんだか気の毒そうな目でクラウス卿を見ている。
「あ、そういえば、ローナ男爵夫人、わたしの格好は問題ないでしょうか?」
もう一つの問題を思い出し、わたしはロウィーナ男爵夫人の前で、くるりと回ってみせた。
今日はこれから、レギオン様へご挨拶に伺う予定だ。昨日は着替える余裕もなかったけれど、今日はちゃんとおめかししてご挨拶したい。
そう思って今日は、草原から持ってきた晴れ着の内の一つを着ている。
赤い絹に金糸の縫い取りのされた豪華な布地で作られた衣装だ。ベルガー王国のドレスとは違い、前合わせの作りで、下にはぴったりとしたズボンに革のロングブーツをはいている。帯は黒地で、やはり金糸の刺繍がされたものだ。
草原なら、王との謁見も可能な格式高い衣装なんだけど、石の国は草原とは違うから、これでいいのかどうかいまいち不安だ。
ロウィーナ男爵夫人は、わたしの衣装をしげしげと眺め、言った。
「まあ、大変すばらしいお召し物ですわね。これほど見事な刺繍は、わたくし初めて拝見いたしました」
「そうですか? 気に入ったのなら、これ、ローナ男爵夫人に差し上げます!」
わたしは、ロウィーナ男爵夫人に草原の衣装を褒められて、嬉しくなった。
ロウィーナ男爵夫人、この衣装を気に入ってくれたんだ。
ならばぜひ、これをロウィーナ男爵夫人に着てもらいたい。夫人なら、きっと似合う!
わたしは、うきうきしながら服を脱ぎ始めた。すると、
「殿下!」
血相を変えたクラウス卿が、手で顔を覆うようにしながら叫んだ。
「ちょ……、お待ちください! ライラ殿、殿下をお止めしてくれ!」
「あら」
ロウィーナ男爵夫人は、クラウス卿を見て小さく笑った。
そして、服を脱ごうとするわたしの手を止め、言った。
「殿下、お気持ちはありがたいのですが、その衣装はわたくしより殿下のほうがずっとお似合いになりますわ。どうしてもとおっしゃるなら、そうですね……、今度、下賜いただく衣装をわたくしに選ばせていただけませんか?」
「ライラ殿! なんという不敬な!」
バッと顔を上げたクラウス卿は、わたしと目が合うと、また手で顔を覆った。
「……クラース卿、何してるんですか?」
「………………」
クラウス卿は黙ったまま、よろよろと部屋の隅まで行くと、壁に手をつき、うつむいた。
「あの……、サムエリ公爵閣下」
ロウィーナ男爵夫人が困ったように言った。
「閣下、草原では、王侯貴族から何か下賜いただく際、いただく本人がその品物を選んでも、無礼には当たらないのです。……というか、あれこれ会話を交わしながら、時には何日もかけ、宴なども挟んで下賜品を決めるのが通例ですわ」
「うん、そう、そうなんです! ローナ男爵夫人は、草原について、とてもよくご存じなんですね!」
わたしの言葉に、ロウィーナ男爵夫人は優しく微笑んだ。
「そうおっしゃっていただいて、とても嬉しいですわ。わたくし、様々な国の文化を知り、ベルガー王国とは違う、その国独自の在り様を教えていただくことが好きなのです。……異文化交流は、驚きに満ちた嬉しい発見にあふれておりますものね」