60.私の陛下(クラウス視点)
「カーチェ様、それでは私は、急ぎ神聖帝国へ参ります。……ヘルムート卿、ライラ殿、後はよろしく頼みます」
私の言外の願いを感じ取ったのか、ライラ殿がにっこり微笑んで言った。
「大丈夫ですわ、サムエリ公爵閣下。殿下……、いえ、カーチェ女王陛下の御身は、何があってもお守りいたします。閣下がお帰りになるまで、陛下には指一本……は、難しいかもしれませんけれど、どなたにも触れさせませんわ」
「……できれば、指一本も触れさせぬよう、お守りしていただきたいのですが」
私の言葉に、ライラ殿は呆れたように「まあ」と言ったが、笑って頷いた。
「閣下にご満足いただけるよう、努力いたしますわ」
ライラ殿の言葉を聞いても、私は心配だった。宮廷魔術師団長の妻であり、カーチェ様のお世話係として重用されているライラ殿は、宮廷で絶大な権力を握っている。その意向に正面切って逆らうような馬鹿はいないだろうが、彼女の力が及ぶのはあくまで宮廷内に限っての話だ。戦場はライラ殿の管轄外だし、かといってヘルムート卿に頼んでも、困惑されるだけだろう。
カーチェ様は、私の妻となっても、変わらずその心を捧げる男どもに囲まれている。忌々しいやつらだが、これからの戦にはどうあっても必要な存在だ。でなければ、どのような理由をつけてでも、カーチェ様の目の届かぬ場所へ追い払うのに。
私はため息をつき、ヘルムート卿と言葉を交わしているカーチェ様を見た。
いつも通り、ヘルムート卿は怒り、カーチェ様は笑っている。ヘルムート卿も本気で気分を害したわけではないのだろう、「まったく仕方のないやつだ!」とぷんぷんしながらも、カーチェ様に自作のマジックアイテムを大量に押し付けている。
「もー、こんなに付けたら重くて戦えないよ!」
「大丈夫だ、軽量化の魔法も付与しておく!」
カーチェ様の言葉に、改めて不安に胸をふさがれた。
これからカーチェ様は、戦の指揮を執るべく南方に向かう予定だ。
ヘルムート卿が偽装し、レギオン様崩御の一報が出されるなり、予想通りマクシリティ侯爵領内で反乱の狼煙が上がった。即座にカーチェ様が女王に即位し、国内外にその宣布を行うと同時に、兵を率いて反乱軍の鎮圧に向かうことが決まった。
何も陛下自らが陣頭に立たなくとも、という慎重派の意見をカーチェ様は一蹴した。その理由は、「最初に敵を叩いておいたほうが、後々戦いやすくなる。向こうも最初からわたしが出てくるとは思わないだろう。そこを一気に踏みつぶす」というものだった。
さすがは戦闘民族の面目躍如といったところか。カーチェ様は、戦についてよくご存じだ。
そしてその戦には、カーチェ様を追って草原からやってきた、ラジラスの氏族の次期族長も加わる。ハロルドも同行を希望している。……考えれば考えるほど腹が立ってくるので、考えないようにしているが、どうにも気持ちが収まらない。
私もカーチェ様のお側にいたい。戦闘で自分がさして役に立たぬとわかっているから口には出せないが、離れるのが辛い。
私とカーチェ様の婚姻は、今のところ紙一枚だけの話だ。結婚証明書を作成して署名し、王族専用の戸籍係に正式に受理された。
しかしそれだけで、婚礼を挙げ、国内外にお披露目をしたわけではない。……床入りも済ませていない。もちろん床入りなど、カーチェ様が成人されるまでするつもりはないし、すべきではない。それはよく、わかっている。しかし現段階なら、すべて白紙に戻せる状態だ。それがわかっているから、心配でたまらないのだ。
だが、レギオン様を神聖帝国へお送りするのに、私以外に適任者はいない。神聖帝国と繋がりがあり、かつ呪術を使える人間を知っているのは、サムエリ公爵家当主である私しかいないからだ。
だがそれも、今回までの話だ。
「セレス、向こうに着いたら、まずは帝国の魔法伯にお会いする。彼はサムエリ家と縁続きだから、こちらの事情もよくご存じだ。心配はいらない」
「は、はい……」
わたしに声をかけられ、セレスが緊張したように頷いた。
私がルコルダルの姓を名乗り、サムエリでなくなったことに合わせ、セレスをダルシア家からサムエリ家へ迎えることとなった。
セレスは父の庶子だ。屋敷の使用人に手を出した父は、母の目を気にしてセレスを遠縁の養子に出し、私の従者という立場に置いた。しかし私と彼は、子どもの頃から文字通り、兄弟同然に育った。私が尚書として宮廷入りしてからは、セレスは私の補佐をずっと務めていた。セレスが次期サムエリ公爵となっても、問題なく職務を果たせるだろう。
「クラース」
カーチェ様の声に、私はハッと振り返った。
カーチェ様が身に着けている防具は、胸当てにガントレット、脛当てだけという軽装だが、元々草原の民は素早さを信条とし、防具らしい防具など身につけずに戦う。それを知っているから、うるさく防具をつけろとも言えないのがもどかしい。ヘルムート卿のマジックアイテムがあるから、ある程度は問題ないだろうが……。
ベルガー王国の紋章を金糸で刺繍した真紅のマントを纏ったカーチェ様は、まるで戦女神のように凛々しくお美しかった。
「陛下」
わたしはひざまずき、カーチェ様のマントの裾を取り、口づけた。
「しばしお側を離れます。陛下におかれましては、くれぐれも御身お大切に、無茶をなさらぬよう……」
「わかった、わかった」
カーチェ様は苦笑し、私を見た。
「クラースは心配性だな」
そう言われ、私は困ってしまった。不快に思われただろうか。だがカーチェ様はにこにこして楽しそうだ。そうしていらっしゃると年相応に幼く、お可愛らしく見える。
実際、カーチェ様は十七歳にお成りになったばかりだ。ベルガー王国ではまだ成人前なのに、これから大軍を率いて戦に向かわねばならない。
ベルガー王国の貴族の娘なら、国立魔術学院の卒業を控え、毎日ドレス選びや茶会、婚礼に向けての準備などに忙しくしている頃だろう。
だが、カーチェ様が身に纏っているのはドレスではなく、戦装束だ。髪も艶のある黒い巻き毛を簡単に頭の上で一つにまとめただけで、年頃の娘らしい装いとは程遠い。しかしカーチェ様は、どんな貴婦人よりも美しく、輝いて見えた。
この方が私の伴侶。そう思うだけで、どきどきして胸が痛くなった。
「陛下、剣の誓いを捧げたいのですが、受けていただけますか?」
高鳴る鼓動に胸を押さえ、私は言った。
「剣の誓い? いいよ、もちろん」
カーチェ様はにこっと笑い、私の差し出した剣を受け取ってくださった。
私は頭を下げ、誓いの言葉を述べた。
「陛下に忠誠を誓います。決して裏切らず、剣となり盾となり……」
ちらりとカーチェ様を見上げると、ベルガー王家の瞳と呼ばれる、淡い青い瞳と目が合った。
強い意志を秘めた、美しい青い瞳。その輝きに、胸が苦しくなる。
ああ、と私は心の内につぶやいた。
こんな気持ちになるなんて、思いもしなかった。
一人の女性にこれほどまでに心奪われ、執着することになろうとは。
婚姻は家のためにするもので、個人の感情とは別物だと、そう思っていたのに。
まるで嵐になぎ倒されるように、私の心はカーチェ様に奪われ、恍惚の内に囚われてしまった。
私の陛下。このようなお方は、二人といない。
この方のためなら、命も魂も、私の持つすべてを捧げて悔いはない。
何もかも失ってもいい。
ただ、あなたさえいれば。
「……一生、お守りいたします」
そう言い、騎士の誓言を締めくくると、
「うん。よろしく頼む」
カーチェ様は、作法通り私の剣に口づけ、返してくださった。
「クラース、道中気をつけて。怪我しないように」
私を見つめる瞳に、この場で思い切り抱きしめ、口づけたいという不埒な願いが頭をかすめた。ちらりと横を見ると、無言で私を見るライラ殿の目に圧を感じたので、その願いは心の隅に押し込めたが。
「陛下こそ、決して無茶はしないとお約束ください。お願いです」
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。わたし、強いからさ」
「陛下がお強いのはわかっています」
ですが心配なのです、と言えば、仕方ないなあ、とカーチェ様はおかしそうに笑った。
結婚した後も、カーチェ様の態度はまったく変わらない。
たまに、戯れのように口づけられたり、頭を撫でられたりするが、それだけだ。
きっとカーチェ様にとって私は、手のかかる保護対象者という存在に過ぎないのだろう。
だが、それでもいい。
あなたが私と同じ気持ちでなくとも構わない。一生、このままでも。
あなたの側にいたい。誰にも渡したくない。
陛下。お可愛らしくお強い、私だけの陛下。




