59.僕の蝶々(レギオン視点)
「陛下、体調はいかがですか」
宮廷魔術師団長ヘルムートが、注意深く観察するような目で僕を見ている。
「少しはお体が楽になりましたでしょうか」
寝室のカーテンは開けられ、柔らかい日差しが心地よい。
やっと日の光を浴びても問題ないくらい、体が回復した。
僕は寝台に横たわったまま、ほっと息をついた。
「……うん。息がしやすいっていうか、胸の重しが取れたような気がするよ」
「そうですか。良かった」
ヘルムートはふう、と息をつき、考え込みながら言った。
「ひとまずはここまで、解呪……というか、呪術の糸をゆるめることはできました。が、完全な解呪は、やはり難しいようです。力及ばず誠に遺憾ではありますが、ここから先は、神聖帝国の術者に頼るしかなさそうです」
申し訳ありません、と悔しそうに謝るヘルムートに、僕は少し笑った。
「……君は魔術師だ。呪いは君の管轄外で、謝るようなことじゃない。……むしろ、僕は驚いているくらいだ。卿はなぜ、呪術をあつかうことができるんだい?」
呪術に関しては、古い文献にもあまり記述が残っていない。ベルガー王国では魔法が発達したせいで、呪術そのものの存在さえ忘れ去られているような状態だ。
まして、宮廷魔術師団長という魔術師の頂点に立つヘルムートが、ここまで呪術に詳しいことのほうが驚きだ。
「……まあ、それは、私の趣味のおかげと申しますか……。ん、その、実は私は長年、呪いのグッズや関連する書籍などを収集しているのです。そのため、わずかながら呪術を使えるようになりまして」
古今東西の呪いに関する、書籍やグッズなどの収集量は、大陸一と自負しております! と胸を張るヘルムートに、僕は顔を引きつらせた。
「そ、……そう、か。……まあ、おかげで助かったよ、うん。ありがとう、ヘルムート」
「いえ。私のしたことはしょせん、時間稼ぎに過ぎません。陛下からそのようなお言葉を賜るほどのものでは」
ヘルムートは謙遜するが、正直、彼の力がなければ、神聖帝国にたどり着くまで僕の体力は持たなかっただろう。
「……ヘルムート卿。カーチェには、明日、会える?」
「はっ! だいぶお体も回復されましたので、問題ないかと」
「そうか、よかった。……神聖帝国に行く前に、お別れを言いたかったんだ」
僕は安堵のため息をついた。
彼女には、迷惑ばかりかけた。
騙し討ちのように草原から連れてきて、あげくの果てには仮の女王として、これから戦火広がる王国の後始末を任せなくてはならない。
「カーチェは、僕の回復を待って王位を返上すると言ってくれているようだけど……、ずっと、彼女が女王のままで、いいんじゃないかな」
「陛下」
僕は顔を横に向け、ヘルムートを見た。
「卿もそう思っているんじゃないかい? ……この乱世において、僕よりも彼女のほうが王に向いている。彼女はおそらく、この大陸の覇王というべき存在になるだろう」
「…………」
ヘルムートの沈黙が、すべてを物語っている。
彼は王宮にあって、血筋や家柄ではなく、その者の価値、本質を見極められる数少ない人間だ。
サムエリ公爵もそうだったな、と思い、僕は苦く笑った。
「カーチェにとって僕は、重荷以外の何物でもなかったんだろうな。そう考えると、胸が痛いよ。……彼女が気づいているかどうかはともかく、彼女はずっと……、サムエリ公爵に恋をしていたんだから」
「陛下」
「サムエリ公爵もそうだ。……僕は、気づいていながら何も知らぬふりをしていた。彼がどれほど苦しんでいるのか、わかっていたのに……」
「あれはサムエリ公の自業自得です」
ヘルムートは苦々しい口調で言った。
「カーチェ殿下はともかく、私はサムエリ公には、同情の余地などないと考えております」
だいたい、サムエリ公は慎みがなさすぎる! 夜這いだの何だのと! と、ヘルムートは訳の分からぬ怒りを爆発させていた。彼は時々、よくわからない理由で荒ぶっている。
「サムエリ公爵はね……、あれは、しかたないと思うよ。彼は、たぶん、初めて恋に落ちたんだ。初恋の愚かさを知る者なら、彼を責められはしないだろう」
僕の言葉に、ヘルムートは驚いたように目を見開いた。
「え、初恋? サムエリ公が? ……しかし、サムエリ公は三年前まで」
「あれは政略結婚だ。……なんとかうまくやっていこうと、努力していたようだけど。ヘルムート卿こそ、よくわかっているだろう。恋とは、そんなに上手く制御できるものかな? 卿が、己の恋心の手綱を問題なく操れた、と言うのなら、僕からはもう、何も言うことはないけど」
そう言うと、ヘルムートは押し黙った。
彼と奥方のロマンスは、魔術師の塔のみならず、宮廷で知らぬ者はいないほど有名な話だ。ヘルムートは、数多の浮名を流したライラ殿と恋に落ちると、決闘までして他の男を蹴散らし、結婚に漕ぎつけたのだ。
「……陛下は、それでよいとおっしゃるのですか」
ヘルムートがぽつりとつぶやいた。
「カーチェ殿下とサムエリ公が結婚し、二人ともルコルダルを名乗れば……、いずれ陛下がこの国に戻られた時、陛下はまた違う誰かを娶らねばなりません」
「それくらい、二人のしてくれたことに比べれば、大したことないよ」
かつてサムエリ公爵は、妻を殺された。彼の妻と僕の母親は、僕の身代わりとなったのだ。
そして今、カーチェは、命がけで反乱軍を鎮圧しようとしている。
何もかも、ベルガー王家が背負うべきものを、二人に肩代わりさせているのだ。
「……僕は、カーチェの剣の主だからね。主たるべく、己に仕えてくれる者の幸せに、心を配らなくては」
そうだ、と僕は自分に言い聞かせた。
僕はもはや、彼女の婚約者ではない。
だが、彼女は僕に剣を捧げてくれた。僕は彼女の剣の主だ。その信頼に応える存在でありたいと思う。
「明日、カーチェと一緒に、サムエリ公爵にも会えるだろうか?」
「陛下がお望みなら、そう手配いたしますが」
「そう。じゃあ、お願い。サムエリ公爵は神聖帝国まで一緒だけれど、カーチェと二人そろって会えるのは、何年も先になるだろうからね。二人に感謝とお別れと……、それから、祝福を授けたいんだ」
かしこまりました、とヘルムートが頭を下げる。
視線を窓に向けると、僕の願望が見せた幻なのか、一瞬、木漏れ日が窓に反射し、鮮やかな黄色の蝶のように見えた。




