58.わたしの主(ハロルド視点)
いつの間にか、わたしは最低な人間になっていた。
「おまえの取柄は顔だけだ」
実の父親さえそう言い、わたしを蔑んだ。その通りだと思った。わたしには誇れるものが何もない。多少、見栄えのよい顔を使い、周囲に女を侍らせるくらいしか能がない。
そう思って、自堕落な毎日を過ごしていたのだが。
「ヘロードはよい剣士になるぞ」
可愛らしい見た目とは裏腹に、歴戦の猛者のように強い草原の王女が、わたしを真っ直ぐ見て、そう言った。
カーチェ殿下は王女には違いないが、ベルガー王国の王族とは、まったく違う。
噂に聞く、野蛮な草原の民というのも、また違うように思う。たしかに型破りだし、ベルガー王国の礼儀にはかなっていないかもしれないが、失礼だとは感じない。むしろ快い。
ずっと一緒にいたいと思うほど、その側は心安らいだ。
わたしが王女に惹かれているのを察した父は、わたしを王女の愛人にしようともくろんだ。
サムエリ公爵家が台頭してきてから、レーマン侯爵家は凋落の一途をたどっている。父の願いは理解できるが、どうにも不愉快だった。
われながら不思議だ。
以前のわたしであれば、父の言う通り、いや、言われる前に、愛人として取り立ててもらえるよう、王女におもねり、媚びを売っていたことだろう。実際、酒の力を借りてではあるが、初対面で殿下に直接、男妾にしろと迫ったことさえあるのだから。
だが、殿下の人となりを知ってからは、そうした行為を恥ずかしく思うようになった。
わたしは、生まれて初めて己を恥じたのだ。
「難しい言い回しが苦手なら、辞書を貸すぞ」と言ってくださり、「だいぶ軸が真っ直ぐになってきたなあ」と嬉しそうに笑うあの方の前では、今までのように自堕落な自分でいたくないと思った。
心惹かれた相手なら、美辞麗句で飾った想いを伝え、強引に己のものにしてしまえばそれで済むのに。なぜか殿下には、そうしたくなかった。
ただ、殿下のお側にいて、褒められたり叱られたりしていたい。たまに、殿下の手で頭を撫でてもらえたら、それでいい。
これではまるで主を慕う飼い犬のようだと、自分でもそう思う。
殿下はどう思っていらっしゃるのか、気にはなったが、今までの令嬢たちとは何から何まで勝手が違って、想像がつかない。自分の気持ちも、殿下の気持ちもわからぬまま、わたしはただ、このままの日々が続けばいいと願っていた。
殿下とともに夜会に出席した夜、なぜか招待してもいないサムエリ公爵が現れた。
あの時は、正直、サムエリ公爵に殺されると思った。それくらい、明確な殺意をこめた眼差しを向けられた。
しかし、その理由がわからなかった。
サムエリ公爵は、たしかに殿下をベルガー王国の王妃とすべく、草原から連れてきた。
だが、レギオン様はまだ十歳。殿下が愛人を持ったからといって、目くじらを立てるような堅物は、社交界では笑いものにされるだけだ。それをわからぬような愚か者でもあるまいに。
しかし、殿下の腕をつかんで強引に連れていこうとする公爵を見て、さすがにわたしは気がついた。
あの公爵が。
宮廷一の美姫と謳われた伯爵令嬢を妻にしても、どこか鬱々として心楽しまぬ様子だった男が。
炎を宿したような、独占欲を剥き出しにした瞳で、殿下を見つめていた。
なんとも馬鹿げた話だ。
わざわざ草原から連れてきた傀儡に、己の心を奪われてしまうとは。
だが、わたしは公爵を笑えなかった。
それどころか、その気持ちがわかるような気がした。
恐らく公爵も、わたしと同じだったのではないか。
気づいた時には、草原の狼に心臓まで食われてしまった。何もかも奪われ、しかもそれを嬉しく思ってしまった。
そういうことなのだろう。
しばらくして殿下から、わたしの妹、イザベラの夫について調べてほしいという依頼があった。
サルトゥーベ伯ネストリは野心が強く、そこを父に見込まれたのだが、何年か前から父は彼を避けるようになっていた。
一度父が、「あれはやり過ぎた」と怯えたように言っているのを聞いたことがある。三年ほど前のことだ。深く聞いてもろくなことにはならなさそうだと思ったので、知らぬふりをしたが、三年前といえば、まあ、あの事件しかないだろう。
なぜか魔術師の塔に呼び出され、居心地の悪い思いでそわそわするわたしに、殿下は「ヘロードも魔術師の塔が嫌いか? ここ、ひどいよな」と言ってヘルムート卿を怒らせていた。
「ヘロード。最初に言っておくが、サートーベ伯は三年前の王太后様とサミーリ公爵夫人の暗殺に関わっている。サートーベ伯を調べることで、ヘロードにも危険が及ぶ可能性がある。断ってもいいぞ」
殿下がわたしの瞳を覗き込み、少し困ったように言う。
まるで、飼い犬の安全を心配する主のようだ。
「ご心配には及びません、殿下」
わたしはひざまずき、カーチェ様の手に口づけて言った。
「この命は殿下に捧げております。サルトゥーベ伯ネストリの犯した罪を、すべて調べ上げてみせましょう」
伊達に長年、社交界で遊んではいない。ネストリの交友関係はすべて把握している。そこをうまくつつけば、穴が開いて情報が落ちてくるだろう。
「そうか。では頼んだ。……気をつけるんだぞ」
「お任せください」
殿下と見つめあっていると、後ろでわざとらしい咳払いが聞こえた。
「いかがなさいましたか、サムエリ公爵閣下」
「……いえ。一つ、お知らせしたいことがありまして」
「なんでしょうか」
サムエリ公爵が、どこか不気味な笑みを浮かべて言った。
「カーチェ様は、明日、ベルガー王国の女王となられます。正式な戴冠式は少し先のこととなりますが」
「……そうですか」
少し驚いたが、まあ予想の範囲内だ。
とすると、レギオン様のご容体が急変されたか、あるいは既に……と考えていると、
「それと、もう一つ」
ゆっくりと、まるで楽しんでいるような口調でサムエリ公爵が言った。
「殿下が王位を継承されるのと同時に、私は、サムエリではなく、ルコルダルを名乗らせていただくことになりました」
「……は?」
「クラウス・ルコルダル。……カーチェ様の夫、王配となります」
なんだと!?
殿下を見ると、「あ、そうだった。クラース卿と結婚することになったんだ」と軽い調子で告げられ、眩暈がした。
どういうことですか殿下!




