5.わたしの結婚相手
王城は広かった。
居館に陛下、つまりわたしの結婚相手であるレギオン・ベルガー様がいらっしゃるはずなんだけど、その部屋が遠すぎる。この廊下はどこまで続いているんだ。陛下の寝所に着くまでに日が暮れるんじゃないの?
いい加減ゲンナリしはじめた時、ようやくクラウス卿の足が止まった。
「こちらです」
扉の前に立っている兵士二人が、クラウス卿を見て扉を開けた。すると、
「おう、サムエリ公か」
扉のすぐ内側に立っていた騎士が、クラウス卿に気づいて声をかけた。部屋の隅に、先ほど見かけたセレスの姿もある。
「襲撃があったと聞いたが、無事のようだな」
騎士がクラウス卿の全身をさっと見て言った。
「安心したぞ。レーマン侯爵らが……」
「ヨナス卿、その話はまた後で詳しくお話します。陛下のご様子は?」
「相変わらずだ。先ほどまでは起きていらしたが、今はうつらうつらされておられる。……そちらがカーチェ王女殿下か?」
騎士はわたしを見るとこちらにやって来て、さっとひざまずいた。
「殿下。ベルガー王国第一騎士団の団長を務めますヨナス・ランベールと申します」
わたしは、ヨナスと名乗ったその騎士を見下ろした。
短い金髪に、大きな体躯。なんとなく草原の戦士を思い起こさせる。
「ルコルダルの第一王女、カーチェ・ルコルダルです。これからよろしく頼みます。……陛下にご挨拶したいのですが」
ヨナスが立ち上がった。
「こちらへ」
部屋の中央に、大人五人くらいが寝転べそうな、天蓋付きのすごく大きな寝台があった。
近づくと、その大きな寝台の中央に、ふわふわした金髪の少年が、小動物のように丸まって眠っていた。
「えっ……」
小さい。細い。掛布をかぶっていてもわかる華奢な体だ。十歳だと聞いたけど、まるで五、六歳の子どものようだ。それに、この顔色の悪さは……。
ふいに、その少年がぱちりと目を開けた。こぼれそうに大きな水色の瞳がわたしを映す。
「……だれ……?」
かすれた声で苦しそうに聞かれ、わたしは慌てて言った。
「陛下、初めてお目にかかります。ルコルダル王国第一王女、カーチェ・ルコルダルと申します」
「ルコルダル……」
水色の瞳に、ぱっと光が灯ったように見えた。
「僕の、妻となる人だね」
少年は、なんとか体を起こそうと身じろいだ。わたしはそれを助け、背に腕を回して少年の上体を起こした。
「無事に……、あなたに会えて、嬉しい。僕は、レギオン・ベルガー。この国の……王だ」
レギオン様は、そう言っただけで疲れたように、ふうと息を吐いた。
「陛下、お苦しいのでしたら、横になられますか」
後ろからクラウス卿が声をかけたが、
「いや、平気だ。せっかく僕の妻となる方が挨拶をしに来てくれたのだから、……もう少し、起きていたい」
レギオン様に笑いかけられ、わたしもにこっと笑い返した。
「陛下。レ……、レーギョン、様」
レギオンって発音、難しい。わたしはレギオン様に謝った。
「ごめんなさい、陛下。うまく名前を発音できません」
「かまわないよ、そんなこと」
ふふっとレギオン様は笑ってわたしを見た。
顔色は悪いのに、瞳は熱に浮かされたようにゆらゆらしている。
「レーギョン様、苦しいのですか」
「ううん、今日はこれでも調子がいいほうなんだ。心配しないで」
儚く笑うレギオン様に、わたしは手を伸ばした。
「レーギョン様」
ぎゅっと手を握り、力をこめた。
これほど体が弱っている人に力を流しても、気休めにすぎないとわかっている。だが、目の前のレギオン様はあまりに弱々しく、見ていられなかった。
レギオン様が目を見張り、わたしに握られた手を見つめる。
「……草原の……、民が持つという、力か」
「少しは、苦しいのが治りましたか?」
「ああ」
レギオン様が頷いた。
「話には聞いていたけれど、これがそうなのか。治癒術とは、また違う力だね。温かい……」
レギオン様が目を細める。
草原の民には、魔力とは違う力がある。
それは魔力とは違い、攻撃魔法や防御魔法のような目に見える作用はない。病気の治癒などもできない。ただ、身体能力を上げたり、魔法を跳ね除けたりするだけだ。それでもこうやって手を握り、力を流し込むと、相手の体から苦痛が消えて、楽に眠れるようになる。
「少しお休みください。また明日、ご挨拶に伺います」
「うん……、待っている。また明日……」
レギオン様の背中に手を添え、横向きに寝られるよう、手伝った。
「カーチェ」
「はい、レーギョン様」
「本当に、よくここへ……、ベルガー王国へ来てくれた。何か、……なんでもいい、僕にできることはある? あなたの望みを叶えたい」
「望み」
わたしはレギオン様を見た。
この少年はもう、長くは生きられない。
一目見て、それはわかった。
きっと、レギオン様も自分でわかっていらっしゃるのだろう。だからわたしに、こんな事を言うのだ。
わたしは、ちらりと背後に立つクラウス卿を見た。
この縁組を父上に申し出たのは、クラウス卿だ。
もうじき死ぬとわかっている少年と結婚させるため、わたしを草原から連れてきたのか。
なぜそんなことを。
「それでは陛下、わたしの望みを叶えてくださいますか?」
「なに? あなたの望みを聞かせて」
瞳を輝かせてわたしを見るレギオン様に、わたしはにっこり笑って告げた。
「この、サミーリ公爵……、クラース・サミーリ様を、わたしの愛人にしたいのです」
え、と戸惑ったような声を上げ、レギオン様がわたしを見た。後ろで、クラウス卿がうぐっと呻いたような気もしたが、わたしはもう一度くり返した。
「クラース卿を、わたしはとても気に入りました。愛人にしたいと、そうクラース卿に言ったのですが、自分一人では決められないと言われました。陛下にお許しいただければ、問題ありませんでしょうか?」
いや、問題ありすぎだろう、というつぶやきが聞こえた。さっきの騎士、ヨナスという名の男の声だ。
わたしは首をひねった。
何が問題なんだろう? もしかして、陛下もクラウス卿を愛人にしたいと望んでいるのだろうか?
寝所に沈黙が落ちた。
「……陛下、それでは私たちはこれで失礼いたします。また明日、ご挨拶に伺いますゆえ、ごゆっくりお休みください」
クラウス卿はそう言うと、わたしの手を引っ張り、陛下の寝所を後にした。マイアが後に続く。
「まあ、サミーリ公爵様、そのように強く姫様の手を握られては、痕が残ってしまいますわ」
マイアの声に、クラウス卿がはっとしたように手を放した。
「……失礼しました。しかし……」
「おい、こいつぁ問題だぞ、サムエリ公」
続いて部屋から出てきた第一騎士団長、ヨナスが眉間に皺を寄せて言った。
「こんなこと、レーマン侯爵の耳に入ってみろ。ただじゃ済まん」
「……とりあえず、殿下を部屋へご案内しましょう。話は後で」
二人が深刻そうに話し合っている。
わたしはわたしで、マイアに小さくささやいた。
「マイア、陛下を見た?」
「ええ。……あれは……」
マイアが言いづらそうにうつむいた。
「わたし、騙されたのかもしれない」
「姫様……」
マイアが悲しそうな表情になった。わたしを心配しているんだろう。
わたしはクラウス卿を見た。
初めて愛人にしたいと思った、素敵な公爵様。
でも、ひょっとしたらわたしは、この石の国の公爵様に、騙されたのかもしれない。