48.オーラングの遠見
「ねー、マイア、遠見はできそう?」
「ええ、問題ありませんわ!」
クラウス卿がふらふらしながら帰った後、わたしは湯あみを済ませ、控室でマイアと話していた。
あの後、クラウス卿は何個も魔石を変色させながら、なんとか部屋の簡易結界を張り終えた。
あんまり大変そうだったから、途中で倒れるんじゃないかと心配になったくらいだ。
「クラース卿、疲れてます?」
「……そうですね、少し……」
疲労の色が濃いクラウス卿を見て、わたしは可哀そうになった。
「泊まっていっていいですよ、どうせ夜這いにきたんだし」
だが、わたしがそう言うと、クラウス卿は飛び上がって叫んだ。
「殿下! なんということを!」
後ろで、「ええ!?」と驚いているセレスに、クラウス卿は「違う! 誤解だ!」と言うと、大きなため息をついた。
「……お気遣いいただき、ありがとうございます、殿下。ですが、そのような申し出は、けっして! 誰にも! すべきではありません。……殿下、お約束ください。たとえ誰が、夜中に殿下の許を訪れるような不埒な真似をしたとしても、絶対にそのような申し出はしない、と」
「しません。そもそも夜這いに来たの、クラース卿だけだし」
「そっ、……いえ、それについては、また明日、話すことにいたしましょう。今夜はもう遅い」
「わかりました! 明日もまた、クラース卿に会えるんですね! 嬉しいです!」
「……殿下……」
クラウス卿は手を伸ばすと、ためらいがちにわたしの髪に触れた。そのまま何度も頭を撫でられる。嬉しくてにこにこしていると、
「……殿下、湯が冷めてしまいます」
セレスの言葉に、クラウス卿はぴたりと手を止めた。そして、何もないところで何度も転びそうになりながら、部屋を出ていった。
「クラース卿、なんか面白かった。……ううん、可愛かった? なんだろう、よくわかんないけど……」
「はいはい、サミーリ公爵様が素敵だってお話ですね」
わかってますよ、とマイアが言う。
そうだけど、そうじゃない。もちろんクラウス卿は素敵だし、大好きなんだけど、……でも、それだけじゃない。なんだか胸の奥がちくちくして、よくわからない気持ちになる。
考え込んでいると、
「姫様」
マイアが、小型の通信魔道具を差し出した。
半球状の魔道具の天辺を押すと、ぴこっ、と音がして、不思議な光が魔道具からあふれた。
「うわー、すごい」
「何度見ても、不思議ですわねえ」
わたしがこの魔道具を使うのは初めてだが、マイアは父が使うのを何度か見ている。
ルコルダル王家の通信魔道具、通称『オーラングの遠見』。
わたしの実の父親、オーラング・ベルガーが草原に持ち込んだ通信魔道具であることから、そう呼ばれている。
もちろん、これ自体は父が草原に持ち込んだ魔道具ではない。今の魔道具は、父が最初に草原に持ち込んだものに比べ、ずいぶんと小さく、性能もよくなっている。
これはベルガー王家、またはサムエリ公爵家との通信に使われているのだが、今回、マイアが草原に行くにあたり、予備のものを持ってきてもらったのだ。
ヘルムートが張っていたような強力な結界なら、こうした通信魔道具での連絡も引っかかってしまうだろうが、クラウス卿の張った簡易結界なら、問題ないだろう。
「魔道具って便利だねー」
「魔法は嫌いですけど、魔道具は良いものですわね」
マイアと話しながら、しばらく待つ。すると、
『……カーチェか』
無精ひげに吊り上がった大きな黒い瞳、逞しい体躯をした、懐かしい人物の姿を魔道具が映し出した。
「父上!」
手を伸ばしても、触れることはできなかった。父の体をすり抜ける手に、わたしはちょっとゾッとして手を引っ込めた。
「えー、なんか幽霊みたい……」
ハハ、と父の笑う声が聞こえた。
『俺も初めて使った時はそう思った。これは便利だが、結局は幽霊と話しているようなものだ。触れることも、匂いを嗅ぐこともできん。魔法など、しょせんはその程度のものだ』
父上とは、やっぱり気が合う。わたしは嬉しくなってにこにこした。
「リーチェは?」
『さあな。ここ二、三日、姿を見ていない。……バルドがそっちに行って、拗ねているようだ』
父は肩をすくめた。
「バルドに連絡はとれる?」
『バルドはベルガー王国にいるぞ。そもそもおまえを連れ戻すために、バルドはそっちに行ったんだ。おまえが連絡をとりたがっていると知れば、バルドのほうからやって来るだろう』
「そうなんだけど、わたしはバルドと直に連絡とっちゃダメって言われてるから」
わたしの言葉に、父は不思議そうな表情になった。
『珍しいな。おまえが他人の言葉に従うなど』
「それがねー、愛人にしたいって思ってる人がいるんだけど、その人が言うから、しかたないかなーって」
へへ、と笑うと、父は驚いたようにわたしを見た。
『なんと。おまえはベルガー王国の男を選んだのか。……これは、バルドも気の毒なことだ。あいつは父親を捨ててまで、おまえを迎えに行ったというのに』
「そんなこと言われても、バルドは夜這いに来た時に、もう断ってるもん。それに、バルドにはリーチェがいるでしょ」
そう言うと、父は複雑そうな表情になった。
『そうは言っても、バルドは昔からおまえ一筋で、リーチェのことは妹か娘のようにしか思っていないようだが』
「とにかく、わたしはバルドの妻になる気はないから。今夜だって、ベルガー王国の愛人候補が夜這いに来て、いいよって応じたんだもん」
『なんと!』
父は大声を上げた。
『夜這いに応じた? それで、いま俺と話していて大丈夫なのか? 夜這いにきた男を放っておいて、親と話などしていては、呆れられるぞ』
「それがね、夜這いに来たのに、結局すぐ、帰っちゃったの」
『ハァ?』
父が目を丸くした。
『なんだそれは。意味がわからん』
「うん、変わった人なの。すぐ帰ったくせに、わたしには「誰の夜這いにも応じるな」って念押しするし」
『訳がわからんな……』
「ねー。でも、とっても素敵な人なの!」
にこにこしていると、父は、そうか、と言った。
『おまえの趣味はどうかと思うが、幸せならばそれでいい。……それで、バルドと連絡をとりたいのだったか』
「うん」
『ラジラスの者なら、近くにいるはずだ。……ちょっと待ってろ』
そう言うと、父の姿がフッと消えた。通信具の前から動くと、映像は見えなくなる。そうわかっていても、ちょっと寂しかった。
なんだかんだ言って、わたしも草原が恋しいのかもしれない。




