44.文化の違いふたたび
「……それは……、どういうことです。マクシリティ侯爵……、先代の侯爵が、なぜそんなことを」
「私の父親は、事なかれ主義でな」
ヘルムートが苦々しい表情で言った。
「父はいつも、待っているだけで動こうとしない。……私の母親が死んだ時もそうだった。祖父の言いなりで、自らの意思を持たぬ操り人形のようなものだ。だから、事態がこれほど悪化するまで、何もしなかったのだ。私の兄……と言っても、ろくに会話を交わしたこともないのだが」
ヘルムートは、ハッと嘲るように笑って言った。
「エリアス・マクシリティ……、兄は、私と言葉を交わすことも、顔を合わせることすら嫌がっていた。それは、私が娼婦の息子だからだと思っていたのだが、父の話によれば、どうやらそれだけではないらしい」
ヘルムートは顔を歪め、言った。
「驚いたことに、なんと兄は、私に嫉妬していたそうだ。……国一番の魔力量を持ち、宮廷魔術師団長となった私を。ベルチェリ商会の資金力を得て、サムエリ公爵に取り入った私を」
「ヘルムート様、そのような言い方は」
ロウィーナ男爵夫人がたしなめるように言ったが、
「父が言ったことだ。一言一句、違わぬぞ。……『卑しい娼婦の息子が、宮廷魔術師団長にまで成り上がったあげく、ベルチェリ商会の金を使い、サムエリ公爵に取り入ったのだ。エリアスが、おまえにマクシリティ侯爵家を乗っ取られるのを恐れたのも、無理からぬことだ』とな」
「なんてことを」
ロウィーナ男爵夫人が、さっとソファから立ち上がり、ヘルムートの側へ行った。ヘルムートの肩に手を置き、心配そうにその顔をのぞき込む。
「ヘルムート様……」
ヘルムートはちょっと顔を赤くし、そわそわした。
「ん、まあ、ちょっと驚いたがな。そもそもやつらの視界に、私の姿が入っているとも思っていなかったから……。なんで私に嫉妬するのか、そこからして理解不能なんだが」
ヘルムートは、肩に置かれたロウィーナ男爵夫人の手をちらちら見ながら言った。
「だいたいな、私の兄……、エリアスはな、顔もいいし血筋もいいしで、令嬢方に大人気だったんだ。最初の奥方を病気で亡くした後も、秒で次の婚姻が決まったしな。ずっと結婚相手が見つからなかった私とは違う……、雲の上の存在だと思っていた」
「ヘルムート様、それは違いますわ」
ロウィーナ男爵夫人が優しく、だがきっぱりと言った。
「エリアス様は優れたお方かもしれませんけれど、それよりもずっと、ずっとヘルムート様のほうが素晴らしいお方です。……ヘルムート様は、マクシリティ侯爵家から何の援助もなくとも、独力で宮廷魔術師団長という地位を勝ち取られました。それはヘルムート様が、苦労を厭わず努力を積み重ねられたからですわ。サムエリ公爵閣下とのご縁も、ベルチェリ商会が介在する以前からのものと伺っております。ヘルムート様が手にされたものは、血筋も家柄も関係なく、ただご自分の努力によって得られたものだけです。それがどれだけ大変なことか、失礼ながらヘルムート様のご家族はひとつも理解なさっておられない。……ヘルムート様は、素晴らしいお方です。わたくしの知るすべての殿方の中で、誰よりも素晴らしく、魅力的なお方ですわ」
ロウィーナ男爵夫人の真心のこもった言葉に、ヘルムートは真っ赤になってうつむいた。なんかぐすぐす泣いてるみたい……だけど、ロウィーナ男爵夫人に優しく頭を撫でられて、嬉しそうだ。
いいなー、ロウィーナ男爵夫人にあんなこと言われたら、わたしだって泣いちゃう!
「ヘルムットー、いいなあ……」
「魔術師ですけどねえ……」
わたしとマイアは、ヘルムートとロウィーナ男爵夫人を眺め、しみじみと言った。
すると、クラウス卿が居心地悪そうに咳払いして言った。
「……それで、マクシリティ侯爵家の現当主が、反サムエリ派、引いては貴族派へ力を貸したということですか」
「んむ」
ずずっと鼻をすすり、ヘルムートが頷いた。そしてロウィーナ男爵夫人に渡されたハンカチで顔を拭うと、胸元から一枚の紙を取り出した。
「兄は国王派の力を削ごうとしてうまくゆかず、最終的に陛下の暗殺まで試みるに至った。……ここに、三年前の茶会に関わったと思われる貴族の名前が書かれている。誓約魔法で縛って、私の父に書かせた。代償に命を指定したから、嘘はないはずだ」
「誓約魔法を……」
なんかクラウス卿がドン引きしている。わたしは魔法ってだけでゾッとして、ヘルムートの差し出した紙から、可能な限り上体をそらして遠ざかろうとした。
クラウス卿は立ち上がってヘルムートから紙を受け取ると、一読してすぐ、険しい表情になった。
「……なんということだ」
呻くような声が、食いしばった歯からもれた。
「国内の貴族のみならず、草原の民まで加わっているとは」
「あ、それ! その中に、バルドールって名前はありますか?」
わたしの質問に、クラウス卿が怪訝そうな表情になった。
「名前までは……。ただ、草原の民、ラジラスの氏族、と」
あー……、とわたしとマイアは顔を見合わせた。
バルドール・ラジラス。わたしの従兄。
「やっぱりバルドもいたかあ……」
「でも姫様、ラジラスの氏族、全員がそうという訳ではございませんわ。バルドール様の父君以下、バルドール様と袂を別った者たちは、みな草原におりますもの」
わたしとマイアの会話に、クラウス卿が眉をひそめた。
「殿下、どういうことですか。ベルガー王国の反乱に関わった者を、ご存じなのですか」
「うん。バルドール・ラジラスっていって、わたしの従兄です」
「従兄?」
驚くクラウス卿に、ヘルムートが言った。
「あ、それ、殿下の元婚約者だぞ」
「婚約者!?」
なぜかクラウス卿に睨まれ、わたしは慌てて言った。
「違うって言ったでしょ、ヘルムットー! 婚約者じゃないってば!」
「違うのですか? 本当に?」
クラウス卿に詰め寄られ、わたしはこくこく頷いた。
「ヘルムート様、余計なことをおっしゃらないで」
ロウィーナ男爵夫人に叱られ、ヘルムートは不服そうに言った。
「だが殿下は、その従兄に夜這いされたと」
「夜這い!?」
クラウス卿が大声を上げ、わたしの腕をつかんだ。
「どういうことです! 夜這い!?」
あまりの勢いに、わたしはびっくりしてクラウス卿を見上げた。
「あ、うん……、夜這いは、されたけど。でも、刺したら、何もせずに帰りました」
「!? さ、刺した……!?」
クラウス卿、目を白黒させている。
夜這いって、どこでもあることかと思ってたんだけど、違うみたい。ベルガー王国では、そんなに驚かれるような風習なのか。
ほんとに、国によって常識も文化も違うんだなあ。




