40.死神降臨
レーマン侯爵家の庭園に現れたクラウス卿を見て、わたしはすごく嬉しくなった。
明日にならないと会えないって思ってたのに、もう会えた。嬉しい!
だが、わたしがにこっと笑いかけると、クラウス卿は顔を歪め、わたしの視線を避けるように横を向いた。
「……あれ?」
「どうかなさいましたか、殿下」
「んー……、クラース卿がいたんだけど、なんか……」
どうしたんだろう。なんか怒ってる……ように見えたけど、見間違いかな?
くるっとターンしてから、もう一度視線を向けると、すでにクラウス卿はそこにはいなかった。
「あ、もういなくなっちゃった。どこいったんだろ?」
「サムエリ公爵閣下がいらしたのですか?」
ハロルドが驚いたように言った。
「閣下には、招待状を送っていないはずですが……」
「でも、たしかにいたぞ。……招待状を送っていないのか? 可哀そうだから、クラース卿を追い返さないでくれないか?」
「それは、もちろん。……たとえ招待状がなくとも、サムエリ公爵閣下を追い返すような真似などできませんよ」
そうか、良かった。
安心するわたしを、ハロルドがじっと見た。
「殿下は……」
ハロルドは何か言いかけたが、口をつぐんだ。
「ヘロード? どうかしたか?」
「いえ。……ああ、ライラ殿です」
振り返ると、ロウィーナ男爵夫人が立っていた。
「ローナ男爵夫人!」
嬉しくなって笑いかけると、
「殿下、わたくしより先にハロルド様と踊るなんて、ひどいですわ」
拗ねたような口ぶりで言われ、わたしは慌てて謝った。
「ごめんなさい、ローナ男爵夫人! ゆっくりした曲だったので、ヘロードと踊りました。ローナ男爵夫人も、ゆっくりした曲で踊りたかったですか?」
「……ええ、速い曲も楽しいですけど、ゆっくりした曲なら、会話を楽しめますもの」
なるほど、そういう楽しみ方もあるのかあ。
ロウィーナ男爵夫人の答えに、わたしは感心した。
そう言えば、周囲で踊っている人たちも、みんな顔を寄せて何かをささやきあい、楽しげに笑っている。
わたしは、ダンスをする時はダンスに集中して、息が切れて倒れそうになるまで踊りまくるけど、こういう風にダンスをしながら、会話を交わす楽しみ方もあるんだな。知らなかった。
「踊りましょう、ローナ男爵夫人!」
「ええ、殿下」
また後でな、とハロルドに手を振ると、ハロルドはにこっと笑い、一礼した。
「……引き際の見極めもお上手ですこと」
ロウィーナ男爵夫人は小さくつぶやくと、わたしの腰に手を回し、踊り始めた。
「ねー、ローナ男爵夫人! さっき、クラース卿を見かけました!」
「あら、サムエリ公爵様を?」
ロウィーナ男爵夫人は驚いたような表情を浮かべた。
「お戻りは明日と伺っておりますが」
「うん、わたしもそう聞きました。……けど、さっき、そこで見かけたんです」
そこ、と視線を向けた先に、クラウス卿の姿をふたたび見つけた。
「あ、いた、いました」
「……あら」
クラウス卿は、一人ではなかった。
きらきらの金髪に深い青い瞳をした、ハロルドによく似た令嬢と踊っていた。
「クラース卿、すっごく綺麗な人と踊ってます! 誰だろ、ヘロードに似てる!」
「……あれは、イザベラ様ですわ。ハロルド様の妹君で、三年前、サルトゥーベ伯爵様に嫁がれました」
「ふーん、綺麗な人ですね!」
でも、クラウス卿もサルトゥーベ伯爵夫人も、なんだかあんまり楽しくなさそうだ。サルトゥーベ伯爵夫人は、なんかクラウス卿に文句を言ってるみたいだし、クラウス卿も顔をしかめている。
「ローナ男爵夫人、あの二人、ケンカしてるみたいです! どうしたのかな?」
「まあ……、本当ですわね。どうなさったのかしら」
こういう場合、どうすればいいんだろう。ハロルドとレーマン侯爵がケンカしてた時は仲裁したけど、クラウス卿は女性に暴力を振るうような真似はしないだろうし。
「ベルガー王国では、男女がケンカしてたら、どうするんですか?」
草原なら、相手が誰であっても、仲裁を望まないかぎりケンカを続行するし、周囲もそれを応援したり野次を飛ばしたりして楽しむ。ベルガー王国ではどうするんだろう?
「そうですわねえ。……ベルガー王国では、見ないふりをしつつ、耳をそばだてて会話の内容を知ろうとするものですけど、これは……、あら」
パシッ、と乾いた音がしたので振り返ると、クラウス卿が頬を押さえて立っていた。その正面に立つサルトゥーベ伯爵夫人は、扇を握りしめてぶるぶる震えている。
「……ひょっとして、ヘロードの妹は、クラース卿を扇で打ったんですか?」
「そのようですわね。……まったく、扇は武器ではないというのに、相変わらずだわ」
ロウィーナ男爵夫人は苦々しく言った。
「ローナ男爵夫人、ちょっと失礼しますね!」
わたしはロウィーナ男爵夫人に断りを入れると、急いでクラウス卿のもとへ行った。
サルトゥーベ伯爵夫人にそれほど力はなさそうだけど、頭への打撃は衝撃と痛みが強い。クラウス卿はあまり痛みに強くなさそうだから、心配だったのだ。
しかし、声をかける前にサルトゥーベ伯爵夫人とクラウス卿はふたたび言い合いを始めた。……というか、一方的にクラウス卿が罵られている。
「失礼ではありませんこと!? わたくしにそのような……、わたくしはレーマン侯爵家の娘です。よくもそのような」
「……夫人は、何か誤解をなさっておられるようだ」
「誤解ですって!?」
……これ、割って入っても大丈夫なのかな。ロウィーナ男爵夫人は、『ベルガー王国では見ないふりをしつつ、耳をそばだてる』って言ってたけど、もうみんな見てるし、聞こうとしなくても聞こえるほど大声だし。
とりあえずわたしは、クラウス卿に声をかけてみた。
「クラース卿、よい夜ですね!」
「!?」
クラウス卿は、わたしの声にびくりと振り返った。サルトゥーベ伯爵夫人も、驚いたようにわたしを見ている。
あれ?
夜会で、知り合いに声をかける時は「よい夜ですね」でだいたい大丈夫って習ったんだけど、間違ってたのかな。それとも、やっぱりケンカに割り込んじゃいけなかったんだろうか。
まあ、もう声をかけちゃったし、間違っていたら後で謝ろう。
そう思ったわたしは、サルトゥーベ伯爵夫人にも声をかけた。
「素晴らしい夜会ですね」
「……これは、殿下」
サルトゥーベ伯爵夫人は、膝を軽く曲げて言った。
「お言葉をいただき、ありがとうございます。レーマン侯爵家の娘、イザベラと申します」
「そうですか。わたしは草原の王女、カーチェ・ルコルダルです。この夜会には、あなたの兄君、レーマン侯爵家のヘロード殿に招かれて来ました」
挨拶を返しながら、わたしは少し考えた。
サルトゥーベ伯爵夫人は、実家の家名を名乗り、婚家を名乗らなかった。別に失礼ではないが、これは明確に婚家であるサルトゥーベ家より、実家であるレーマン家との繋がりを主張する行為だ。
だが、わたしにはレーマン侯爵家とサルトゥーベ伯爵家、両方について、付け焼刃の知識しかない。
ここはクラウス卿に解説を頼もう、と思ったのだが、
「クラース卿?」
ふたたびクラウス卿に声をかけると、ふいっと顔を背けられてしまった。
「あの……、久しぶりですね、お元気でしたか?」
「………………」
わたしの問いかけにも無言で、クラウス卿はわたしと目を合わせようとしない。
え。なんで? クラース卿、やっぱりなにか怒ってるの?
どうしよう、と思っていると、
「……何をやっているのだ」
あきれたような声が背後から聞こえた。
振り返ると、そこには死神のように全身真っ黒の格好をしたヘルムートが、偉そうに腕組みしてふんぞり返っていた。




