39.レーマン侯爵家
「まあ、盛況ですわねえ」
ロウィーナ男爵夫人が馬車の外を見て、驚いたように言った。
レーマン侯爵家の馬車回しには、夜会のために来た各家の馬車が列をなしている。わたしたちは何番目かな、と思っていると、馬車の横にレーマン侯爵がやってきて、深々と頭を下げた。
レーマン侯爵は手ずから扉を開けると、わたしに手を差しのべた。
「ようこそいらっしゃいました、殿下。……ロウィーナ男爵夫人も」
愛想よく笑うレーマン侯爵に、わたしは頷いて応えた。
「ありがとう、レーマン侯爵。この夜会に招待してくれて、感謝する」
「こちらこそ、殿下のご来臨を賜り、これに勝る喜びはありません」
夜会のために侯爵家の庭園を開放しているらしく、魔道具の明かりが煌々ときらめく中、着飾った人々がそぞろ歩きし、談笑しているのが見えた。
大きな蛍のように宙をただよう明かりに照らされ、飾りつけのされた庭園は夢のような美しさだった。
「……さすがはレーマン侯爵家の夜会ですわね。素晴らしい趣向ですこと」
「当代一の風流人、ライラ・マクシリティ殿にお褒めいただくとは、光栄ですな」
ロウィーナ男爵夫人もレーマン侯爵も笑顔なのに、なんだかピリピリした気配が伝わってくる。レーマン侯爵はハロルドとも険悪だったし、あまり仲良しがいないのかもしれない。
庭園にいる人々を見て、わたしはあることに気がついた。
「……なんか、草原の服を着てる人がいっぱいいる……」
武器を装備していないし、帯や飾り紐の使い方も草原とはちょっと違っているけど、でも、これは明らかに草原の衣装だ。
「へー! みんな、よく似合ってますね! でも、なんで草原の服? 流行ってるのかな?」
「みな、殿下に敬意を表しているのですよ」
レーマン侯爵がうやうやしく言った。
「殿下とお近づきになりたいと、そう思って草原の衣装をまとっているのです」
「わたしもみなさんとお話したいです!」
わたしの言葉に、ハロルドがさっと腕を差し出した。
「どうぞ、殿下。皆も殿下にご挨拶をしたがっております」
すると、すっとロウィーナ男爵夫人がわたしとハロルドの間に入って言った。
「最初はご婦人方からご挨拶を受けられたほうがよろしいでしょう。わたくしがご案内いたしますわ」
ロウィーナ男爵夫人が、わたしの腰に腕を回した。
「参りましょう、殿下」
にっこり笑いかけられ、わたしはうんうん、と何度も頷いた。
めんどくさいとか、言っていられない。この夜会で情報を収集し、レギオン様のお役に立たねば。
それに、どんな時であっても、ロウィーナ男爵夫人を独り占めできるのは嬉しい。あー、ヘルムートがずっと実家にいればいいのになー。
ロウィーナ男爵夫人に連れられてゆっくり歩いていると、瞬く間にたくさんの女性たちに取り囲まれた。
「殿下、ご挨拶申し上げます」
きらびやかな衣装を身にまとい、美しく髪を結った令嬢方に、わたしは目を瞬かせた。
わあ、みんな、すごく綺麗だ。
ほっそりとたおやかで、……なんて言うんだろう? なまめかしい、って言うのかな? 草原の女性たちとはぜんぜん違う。折れそうに華奢な腰や白く美しい手に、なんだかドキドキする。
「殿下? どうかなさいました?」
ロウィーナ男爵夫人に聞かれ、わたしは正直に答えた。
「みんな、妖精や女神のように綺麗です。みなさんの美しい姿を見て、ドキドキしました」
「まあ!」
わたしの言葉を聞いた令嬢方が、楽しそうに笑いさざめいた。
「嬉しいお言葉ですわ、殿下」
「ご覧になって、殿下。この衣装、刺繍もルコルダル風ですのよ」
「まあ、それより、この髪飾りのほうが珍しいですわ。これは『ルコルダルの花』を使っていますの。いかがでしょう、殿下?」
令嬢の一人が、くるっと回ってわたしに髪飾りを見せた。つづれ織りのモチーフをつなぎ合わせ、リボンのようにして使っている。珍しいし綺麗だが、そのモチーフは、『草原の悪鬼』と呼ばれる反逆者の意匠なのだが……。これは言わないほうがいいだろうな。
「お似合いです。とても綺麗ですね」
「光栄ですわ!」
頬を上気させて喜ぶ令嬢を見て、わたしも嬉しくなった。ベルガー王国の女性たちは、みんなとても綺麗で、キラキラしている。
挨拶を受けながら、わたしは注意深く令嬢方の表情を観察した。みんなにこやかで、愛想がいい。……けれど、どこかひやりとした印象を受ける女性もいる。どこかどうとは言えないのだが、言葉を交わすと、すーっと背が冷えるような気がするのだ。
そういう令嬢から挨拶を受けた時、わたしは必ずロウィーナ男爵夫人に聞いて、その令嬢の名前と嫁ぎ先、実家を確認し、頭に叩き込んだ。ロウィーナ男爵夫人もわたしの意図に気づき、何も言わずとも詳細を教えてくれる。夫人がいてくれてよかった。
ひととおり令嬢方から挨拶を受けると、ハロルドが現れ、わたしとロウィーナ男爵夫人に飲み物を差し出した。
「どうぞ、殿下。ロウィーナ男爵夫人も。……よろしければこの後は、わたしが殿下をエスコートいたしましょう。レーマン侯爵家の傍系にあたる者も幾人か来ております。殿下にご紹介させてください」
ロウィーナ男爵夫人は、じっとハロルドを見て、ひとつため息をついた。
「まあ、いいでしょう。……レーマン侯爵家につながる方々は、ハロルド様からご紹介いただいたほうが殿下のお為になりますでしょうし。でもハロルド様、殿下とわたくしはダンスのお約束をしております。音楽が始まったら、殿下をお返しくださいませ」
「……かしこまりました。参りましょう、殿下」
腕を引かれ、わたしはハロルドに連れられてその場を後にした。
「……殿下、ロウィーナ男爵夫人と踊られるのですか?」
「うん! 今日はヘルムットーがいないから、ロウィーナ男爵夫人といっぱい踊る!」
うきうきしながらそう言うと、ハロルドは上目遣いにわたしの表情を伺った。
「……わたしとも、踊ってはいただけないでしょうか?」
「ヘロードと? いいぞ、速い曲は踊れるか?」
ハロルドは少し自信なさげにわたしを見た。
「速い曲ですか……」
「苦手なのか?」
「少し。ゆっくりした曲のほうが得意です」
ハロルドは軸がブレブレだからなあ。速い曲だと、姿勢を保つのも難しいんだろうな。
「じゃあ、一曲だけゆっくりした曲を踊ろう」
「ありがとうございます!」
ハロルドがぱっと顔を輝かせた。
「いや、礼を言うのはこちらのほうだ」
こんなに盛大な夜会に招待してくれて、宝石のブローチまで贈ってくれた。まだまだ体軸は傾いているが、ハロルドはいいやつだ。
その後、また次から次へと男性陣の挨拶を受けた。気になる人物については、さっきロウィーナ男爵夫人にしたのと同じように、ハロルドに確認した。
レーマン侯爵家の傍系にも、何人かひやっとした気配の人物がいて、こういうところは草原もベルガー王国も同じだなあ、とわたしは妙に感心した。
戦となると、血が繋がっているかどうかなどは、あまり関係なくなる。互いに欲するものが目指す最終地点にあるかどうか、それだけが敵と味方のいずれになるかを決めるのだ。
何十人もの名前を頭に詰め込んだせいで、なんだか頭がぐらぐらしてきた。
「少し休まれますか?」
ハロルドの言葉に、わたしはありがたく頷いた。渡された飲み物を一息に飲み干すと、音楽が流れてきた。ゆっくりした曲調の音楽だった。
「殿下」
空になったグラスをわたしの手から取り、近くにいたメイドに渡すと、ハロルドはわたしに膝を折って言った。
「どうぞ一曲、お相手を」
差し出された手を、わたしはじっと見た。
ロウィーナ男爵夫人と踊りたかったんだけど、この曲はゆっくりだし、ハロルドとも踊るって約束したし、まあいいか。
わたしはハロルドの手を取った。
嬉しそうにハロルドが微笑み、わたしの腰に手を回してステップを踏み始めた。
遅い曲調のせいか、踊っている人はみな、密着してゆっくり体を動かしている。
ハロルドが、わたしの額に額をくっつけるようにして、瞳を覗き込んだ。
「殿下、わたしは……」
ふと何かの気配を感じ、わたしはハロルドの向こう、庭園の入り口に視線を向けた。
魔道具の明かりに照らされたクラウス卿が、驚いたようにわたしとハロルドを見つめ、立っていた。




