35.親子
「殿下、『ルコルダルの花』の修繕が終わったと厩舎伯から連絡がありました。ご確認いただけますか?」
訓練場にやってきたハロルドは、わたしに一礼して言った。
「壊れた馬車に使ってた布か? へー、よく修復できたな」
あれはルコルダル国特産のつづれ織りで、他国ではあまり生産されていない。杼を使う織機の習熟に時間がかかるせいもあるが、そもそも羊毛は防寒用の服地として使用されることがほとんどで、つづれ織りの需要があまりないからだ。
わたしは、どこか素朴で可愛らしい『ルコルダルの花』と呼ばれる草原のつづれ織りが好きだ。ベルガー王国の華麗な絹織物も素晴らしいが、それとはまた違った良さがあると思う。
だが、ベルガー王国にこのつづれ織りを作れる職人はいないだろう。それなのに、よく直すことができたなあと感心していると、
「……ベルチェリ商会から職人を紹介していただきました。ロウィーナ男爵夫人のご厚意で……」
ハロルドが頭を下げたまま言った。
「殿下のおかげです」
「えっ?」
わたしは驚いてハロルドを見た。
わたしは、ロウィーナ男爵夫人に『ルコルダルの花』について、何も言っていない。それどころか、今の今まで忘れていた。修繕の指示を出したのもクラウス卿だったはずだ。それなのに、なんでわたしのおかげ?
不思議に思っていると、
「その……、反省文を届けた折、ライラ殿と言葉を交わす機会がございました。その際、『ルコルダルの花』の修繕について、ライラ殿から助言をいただいたのです」
「そうか。じゃあ、ローナ男爵夫人のおかげだろう。夫人に感謝するように」
「はい」
素直に頷くと、ハロルドは流れるような動作でわたしの手を取った。
「ありがとうございます、殿下」
そのまま、わたしの指先に軽く口づける。そうしていると、ハロルドはいかにもベルガー王国の騎士らしく、凛々しく見えた。
ルコルダルの花を修繕できたのはわたしも嬉しいけど、それでなんでわたしが感謝されるのか、やっぱり謎だ。
ていうか、指に口づけるのは、ベルガー王国式の挨拶なのだろうか? 今のところ、クラウス卿とハロルドからしか受けていないが。
クラウス卿にされた時は、なんだか自分が物語の姫君になったみたいで、くすぐったかった。ハロルドの場合は、姿勢が良くなってきたせいか、騎士っぽくなったなあと嬉しく思う。
その他、ベルガー王国で知っている男性と言えば……、ヘルムートやヨナス卿か。あの二人がわたしの指に口づけたら、すごく面白いだろうなあ。そんな事態に陥ったら、ヘルムートは全力で嫌がりそうだ。イヤだイヤだとわめいて、床を転がっていそう。ヨナス卿も、頭を掻いて困り果てる様子が目に浮かぶ。
ふふ、と思わず笑うと、ハロルドもわたしを見上げ、嬉しそうに微笑んだ。
ハロルドに案内されて、厩舎にある馬車や馬具などを収める保管庫を訪れた。
厩舎伯ともう一人、なんか見覚えのある男性がいた。誰だったかな? と考えていたら、ハロルドが隣で、驚いたような声を上げた。
「父上!」
そうだった、レーマン侯爵だ。ハロルドによく似た、美しい顔立ちの壮年の男性だ。
「なぜここに?」
ハロルドが詰問するような口調でレーマン侯爵に言った。
「ヘロード、『ルコルダルの花』の修繕を命令されたのはレーマン侯爵だ。ここにいたところで何の不思議もないだろう」
わたしの言葉に、レーマン侯爵は愛想よく言った。
「ありがとうございます、殿下。『ルコルダルの花』につきましては、わが息子が勝手に修繕をすすめたと聞きまして、私も急ぎ確認にまいったところでございます」
「そうか。では厩舎伯、修繕の仕上がりを見せてもらえるか」
わたしの言葉に、レーマン侯爵の隣にいる、白髪の温和そうな老人がかしこまって頭を下げた。厩舎伯の従者の案内で、わたしたちは保管庫の奥に歩いていった。
ハロルドが、前を歩くレーマン侯爵に険しい目を向けている。この親子は、あまり仲が良くないのかもしれない。
草原にも、いろいろな親子がいたなあ、とわたしは懐かしく思い出した。
わたしと父上のように、血が繋がっていなくとも、仲よく一緒に暮らしている親子。それとは逆に、血は繋がっているが、周囲がドン引きするほど仲が悪く、最終的には殺し合いにまで至った親子。
そう考えると、レーマン侯爵とハロルドは、まだマシな部類かもしれない。少なくとも、目が合った瞬間に剣を抜き、殺し合いを始めたりはしていないのだから。
「こちらです。……いかがでしょうか、殿下」
「馬車の骨組みも直ったのだな」
破損した馬車の天井部分もきちんと直され、『ルコルダルの花』は元通り、骨組みの上を覆うように垂らされていた。
「いいんじゃないか? 穴が開いているところもないし、汚れもない。クラース卿には、わたしから修繕が完了した旨を伝えておこう」
「さようでございますか」
レーマン侯爵が、ためつすがめつ『ルコルダルの花』を見て言った。
「たしかに破損は見られませんが、……このままでは、ちと地味ではございませんか? 少し、飾りをつけてみてはいかがでしょう?」
「地味、……そうか?」
「父上!」
レーマン侯爵の申し出に、ハロルドが声を荒げた。
「よろしければ、わが侯爵領で採れた宝石などを縫いつけ、より華やかに作り変えさせますが」
「そのような装飾は不要です!」
ハロルドはレーマン侯爵を睨みつけ、言った。
「草原の花を、そのようにごてごてと飾り立ててどうするというのです。くだらない」
「……では、殿下ご自身に宝石を贈らせていただけませんか? 息子のハロルドも、殿下に目をかけていただいております。そのお礼として、そうですな……、レーマン侯爵家を象徴する、深い青色の宝石はいかがでしょう。王家の青とは、また違った美しさがあるかと」
「父上!」
この親子、放っておいたらつかみ合いのケンカを始めそうだ。
わたしは、じっとレーマン侯爵とハロルドを観察した。
レーマン侯爵の体にはそこそこ筋肉がついており、バランスも悪くない……が、腹回りに贅肉がのっていて、動きが遅い。今ならハロルドが勝つかもしれない。よし、ケンカを始めたらハロルドを応援しよう!
と思ったのだが、おろおろする厩舎伯が目に入り、気が変わった。
そういえばベルガー王国では、他人のケンカや殺し合いを娯楽として鑑賞する習慣がなかったな。応援し、時に野次を飛ばし、戦いを堪能する風習を、ベルガー王国では野蛮なことと嫌っている。
文化は国によって様々だし、ここはベルガー王国だ。ベルガー王国の文化を尊重せねばなるまい。残念だが、仲裁するか。
「ヘロード、落ち着け。レーマン侯爵も、お気持ちだけ受け取っておく。宝石は必要ない」
「殿下……」
情けなく眉を下げたハロルドが、主に叱られた犬のように見え、わたしはぽんぽんとハロルドの背を叩いた。
「……さようでございますか」
レーマン侯爵は、わたしとハロルドをじっと見つめると、何故か嬉しそうに笑った。
「いや、これは余計なことを申しました。私は失礼することにいたしましょう。……殿下、愚息をよろしくお願いいたします」
「父上!」
妙に機嫌のいい様子のレーマン侯爵と、それを見てなぜか憤るハロルドに、わたしは首をかしげた。
草原でもそうだったが、ベルガー王国の家庭も、いろいろと複雑そうだ。




