32.しつけ
「まあ、殿下にヘルムート様。……それに、ハロルド様も」
恐らくセレスが助けを呼びに走ったのだろう。わたし、ハロルド、ヘルムートが言い合いを始めて間もなく、ロウィーナ男爵夫人が部屋にやってきた。
わたしたちを見るロウィーナ男爵夫人の表情はにこやかで、ハロルドにも礼儀正しく挨拶している。……が! ハロルドに向けられた目には、険が含まれていた。
ロウィーナ男爵夫人は、理由もなしに誰かを嫌うような人ではない。やはりヘルムートの話は本当だったのだ!
「ローナ男爵夫人! 申し訳ない!」
わたしはロウィーナ男爵夫人の前に片膝をつくと、そっと夫人の手を取り、わたしの額に押し当てた。
「まあ、殿下」
「は? きさま何を……」
「殿下!?」
ひざまずいて相手の手を取り、自分の額に押し当てる。草原における最大級の敬意、服従を示す行為だ。
ヘルムートもハロルドも戸惑っているが、ロウィーナ男爵夫人にはすぐわかったらしく、困ったような声が頭上からかけられた。
「殿下、このような謝罪は不要ですわ。殿下は、何も悪いことなどなさっておりませんもの」
「いいや、ローナ男爵夫人。それは違う!」
わたしはキッパリと言い、立ち上がった。そして、後ろでヘルムートと並んで立っているハロルドを振り返った。
「ヘロード!」
わたしの怒鳴り声に、「ぅあ、はい!」とハロルドが飛び上がった。
「ここへ来い!」
ハロルドはうつむき、体を縮こまらせてわたしの前まで来た。わたしは手を伸ばすと、ハロルドの後頭部をガッとつかんだ。
「えっ!?」
「え、じゃない!」
わたしは、つかんだハロルドの頭を強引に押し下げると、一緒に頭を下げた。
「本当に申し訳ない、ローナ男爵夫人! この不出来な、わたしの……」
言いかけ、わたしは少し、考えた。
ハロルドは、わたしの愛人ではない。厳密に言えば、愛人候補でもない。
わたしにとって、ハロルドは……。
「……不出来なわたしの弟子が、ローナ男爵夫人に不躾な振る舞いをし、あまつさえ誠意の伴わぬ謝罪をしたと聞きました! ごめんなさい!」
「まあ、ハロルド様が、殿下の弟子?」
ロウィーナ男爵夫人が驚いたような声を上げた。頭を下げさせられたハロルドも「ええ!?」と驚愕している。
「んー、そこら辺は適当です。まだヘロードがどうなるかわからないから、とりあえず弟子ってことで」
「いや、とりあえずって、おまえな」
ヘルムートがあきれたように言ったが、わたしは無視してロウィーナ男爵夫人に説明した。
「ヘロードはわたしの愛人になりたいって言ったけど、ヘロードは重心がおかしいし、何よりローナ男爵夫人にひどい事をしました。そんなやつは、わたしの愛人には出来ない。……少なくとも、ローナ男爵夫人に心から謝罪し、そしてそれをローナ男爵夫人が受け入れてくれるまでは。あと、重心が安定するまでは」
「重心がおかしいって、何だそれは?」
ヘルムートが顔をしかめて言う。
わたしは、つかんでいたハロルドの頭を放し、顔を上げさせた。
「ヘロード、真っ直ぐ立ってみろ」
「え?」
「いいから言う通りにしろ!」
怒鳴ると、反射的に「はい!」とハロルドが姿勢を正した。……けど、やっぱり軸が傾いている。まあ、最初の頃よりはだいぶマシになったけど。
「な? 重心がおかしいだろ?」
振り返って問いかけると、ヘルムートはハロルドの前に回り込み、しげしげとハロルドの全身を眺めた。ヘルムートの視線に、ハロルドは居心地悪そうにしている。
「まあ……、たしかに、右前に傾いているな。というか、安定していない。……なぜだ?」
「軸がしっかりしていないからだ! それもこれも、筋肉が足りていないのと、姿勢に変なクセがついているせいだ! ヘロード、訓練場へ戻るぞ!」
「は、はい……」
わたしが腕を引くと、ハロルドは素直についてきた。
「あ、そうだ、ローナ男爵夫人」
部屋を出る前、わたしは思い出してロウィーナ男爵夫人を振り返った。
「ヘロードには、ちゃんと毎日、反省文を書かせます。何が悪かったか、どう償うか、きちんと自分で考えさせて、ローナ男爵夫人に謝罪させますね!」
「まあ……」
ロウィーナ男爵夫人は、おかしそうにわたしとハロルドを見た。
「そうなのですね。楽しみにしておりますわ、殿下。ハロルド様も」
「……なぜ……、あのようなことを」
訓練場に向かう途中、小さな声でハロルドが言った。
「ん? なんだ、もっと大きな声で言え。聞こえない」
「なぜ! あのようなことをおっしゃったのですか!」
いきなりの大声に、わたしは顔をしかめた。
「おまえ、ささやくか叫ぶ以外、まともに発声もできんのか?」
廊下を通る貴族や召使などが、こっちを見てこそこそと何かを言っている。いらん注目を集めてしまった。
わたしは回廊に出ると、ハロルドの腕を引いて中庭に下りた。
「殿下、ここは中庭です……」
「見ればわかる」
なぜかハロルドが落ち着きなく周囲を見回している。暗殺者でもいるのか? と思ったが、とくに殺気などは感じない。
わたしは気にせず、話しやすい場所を探して中庭を進んだ。途中、何人か逢引中と思われる男女に出くわしたが、「すまん、気にせず続けてくれ」とちゃんと謝ったから、問題ないだろう。
ようやく、誰もいない木陰を見つけ、わたしは足を止めた。なんだかやけに逢引する人が多いなあと思ったが、暗殺者ではないのだし、気にする必要はないだろう。
「ヘロード、おまえな。なんでわたしがあんなことを言ったのか、まだわからないのか?」
「……いや、殿下、それよりこの場所は……」
「ちゃんと人の話を聞け!」
怒鳴ると、「はいっ」とハロルドは気をつけの姿勢をとった。
「それに、なぜと言うなら、わたしのほうが疑問に思っている。……おまえはなぜ、ローナ男爵夫人にあのような無礼な振る舞いをしたのだ。ヘルムットーの話だと、おまえは貴族の令嬢方にたいそう人気があり、恋人も愛人も山ほどいたそうではないか。なぜわざわざ、ヘルムットーの想い人であるローナ男爵夫人にちょっかいをかけたのだ?」
もちろん、他人の恋人であっても、好きになってしまうことはあるだろう。草原でだって、そういう話はいくらでもあった。その際、草原では決闘や話し合いなどで決着をつける。まあ、草原の民は戦うのが大好きだから、ほとんど決闘になるが。
ベルガー王国での決着のつけ方は知らないが、ハロルドの行為が礼儀を欠いたものだというのは聞かずともわかる。
「……それは……」
「酒を飲んでローナ男爵夫人に言い寄り、夫人がなびかぬと、金を払えば相手をするのか、と言ったそうだな? ベルガー王国ではどうか知らんが、草原ではそれは、下衆のすることだ」
「……ベルガー王国でも、下衆のすることですよ」
自嘲するような笑みを浮かべ、ハロルドが言った。
「わたしは、あの男が……、ヘルムート・マクシリティが憎かった。庶子でありながら、ベルガー王国一と言われるほどの魔力を持つ、あの男が。あの男の持っているもの、すべてを奪ってめちゃくちゃにしてやりたかっただけです」
苦々しく言うハロルドに、わたしは首をかしげた。
「おまえ、ヘルムットーを嫌いなのか? 気持ちはわかるが、だったらヘルムットー本人を攻撃しろ」
わたしも魔術師は嫌いだ、と言うと、ハロルドは「はあ?」と目を丸くした。
「……何をおっしゃっているのです?」
「何って、魔術師は嫌い、っていう話だろ? あと、魔法も嫌いだ。……んー、魔道具は便利だと思うが」
「はあ……?」
いまいちわかってなさそうなハロルドに、「草原では、魔法や魔術師は嫌われてるんだ」と簡単に説明した。
「草原には、魔力を持っている人間もいないしな」
「……そうですか。それは、とても良いところですね」
ハロルドは皮肉げに言い、うつむいた。
「……わたしは、レーマン侯爵家の跡取りなのに、ろくな魔力も持たずに生まれました。妹のほうがよほど魔力があると、父にも嘆かれて……。剣にも才能がなく、おまえの取柄は、顔だけだ、と」
「ふーん。魔力がないとベルガー王国では嫌われるのか? 草原とは反対だな。なら、ヘロード、草原に来るか?」
「え!?」
ハロルドは弾かれたように顔を上げた。
「草原では、魔力がないからと嫌われるようなことはないぞ。……ていうか、魔力があるほうが問題だ。わたしの実の父親も、それで苦労したと聞いたしな」
「……オーラング様が?」
「うん。うっかり魔法を使って、大騒ぎになったそうだ。父上……あ、育ての父親のほうだが、父上は、これ幸いとオーラング様を草原から追い出そうとしたそうだが、母上に反対されて諦めた、って言ってたな。魔力なんてないほうが、草原では暮らしやすいぞ」
「………………」
あっけにとられたようにわたしを見るハロルドに、わたしは釘を刺した。
「だがな、魔力の代わりに、草原では筋力が必要だ。ヘロード、おまえ草原に来たいなら、体を鍛えろ」
「……いや、別に草原に行きたい訳では」
「とにかく訓練するぞ。ほら、来い」
手を差し出すと、おずおずと握り返された。
「はい……」
素直に頷くハロルドに、わたしも、よし、と頷いた。
「それから、ちゃんとローナ男爵夫人に反省文を書けよ。謝罪用の難しい言い回しとかが苦手なら、手伝ってやるから。大陸語の辞書を草原から持ってきてるから、必要なら貸してやる」
「……はい」
ぎゅっ、と握った手に力を込められた。




