30.筋肉は裏切らない
「……わたしに何かご用ですか」
訓練場にやってきたハロルドは、つんと澄ました様子でそっぽを向いた。
白いシャツに黒のズボンという服装で、夜会で見た時のようにごてごてと飾り立ててはいない。しかし、シャツの襟元は大きくはだけられ、酒の匂いもする。どこかの夜会で、朝まで踊っていたのだろうか。なんだか疲れているように見える。
わたしは首をかしげ、ハロルドに聞いた。
「ヘロードは、わたしの愛人になりたいのではないのか?」
「は!?」
「ああ、違うならいいんだ。呼びつけてすまなかったな、帰ってくれ」
そう告げて片手を振ると、ハロルドは顔を紅潮させて怒鳴った。
「先日から、いったいどういうおつもりなのですか!? わたしをからかっておいでなのか!」
「いや、からかうとか、そういうつもりはまったくない。……わたしは草原の人間だから、ベルガー王国の問答形式を知らぬのだ。不快にさせたなら、申し訳なかった」
頭を下げると、ハロルドがぎょっとしたのがわかった。
「な、何を……」
「わたしは、ベルガー王国の礼儀作法に疎くてな。無作法ですまない」
「そ……、いや、それは……、そういうことならば、別に」
もごもごとハロルドが口ごもる。
「それでだな、先日のヘロードの申し出を、検討してみたのだ」
「申し出……?」
「うん。ヘロードは、わたしの愛人になりたいのだろう?」
「……だとしたら、どうなさると?」
ハロルドは顔を歪めてわたしを見た。
「わたしも、殿下の愛人の一人に加えてくださるのですか?」
「それなのだが、ヘロードはまず、体を鍛え直す必要があると思う」
「……は?」
「わたしは、重心の安定していない人間を、愛人にするつもりはないのだ」
戦争孤児や身寄りのない老人を愛人にするというなら、また話は違ってくるが、ハロルドは健康な成人男性だ。わたしの愛人になりたいという気持ちはありがたく思うが、わたしにだって譲れないものがある。
「それにな、ヘロードは太ってはいないが、必要な筋肉もついていないだろう? ほら、ここも」
「わあ!」
シャツの上から腹回りの肉をつまむと、ハロルドが飛び上がった。
「な、ななな……」
「筋肉はないのに、贅肉がのっている。このままでは、もっとバランスが悪くなるぞ」
言葉もなく口をぱくぱくさせるハロルドに、わたしは、ちょっと言い過ぎたかな、と反省した。
人を育てるには、叱るばかりではなく褒めることも必要だと草原では教えられた。
わたしは頑張って、何とか褒め言葉をひねり出した。
「うん、だが、やわらかくて触り心地はいいぞ」
「はあ!?」
ハロルドは真っ赤になってわたしを見た。怒ってはいない……ようだが、喜んでもいないようだ。もうめんどくさくなったわたしは、ハロルドの肩をぽんと叩き、言った。
「じゃ、訓練を始めるぞ、ヘロード」
「……殿下は案外、貴族どもの噂通り、色好みでいらっしゃるんですかねえ」
なんだか疲れたような表情で、ヨナス卿がわたしに言った。
「うん? なんでだ?」
わたしは不思議に思ってヨナス卿を見た。
わたしは、草原では誰の妻問いにも応えなかったし、ベルガー王国でもまだ一人の愛人も持っていない。それなのに、なんで色好み?
ヨナス卿はため息をついた。
「サムエリ公爵、ベルチェリ商会のライラ殿、それにレーマン侯爵家のハロルドとくれば……。殿下がベルガー王国へいらしてまだ日も浅いですが、すでに社交界の有名どころを三人も口説いてるってことになりますからね」
「クラース卿とローナ男爵夫人はともかく、ヘロードは口説いていないぞ」
「はあ、そうッスか」
ヨナス卿はいい加減な返事をすると、訓練場に視線を向けた。
わたしもヨナス卿の視線の先を見た。
ハロルドが訓練場で走り込みをおこなっている。……というか、あれは走っていないな。もう体力が尽きたらしく、よろよろ歩いている。よし、次は剣の基本の型を練習させるか。あれはバランスが良くなるだけでなく、筋肉もつく。まずは、体を作ることから始めなければ。
「ジョーナス卿、木剣を借りるぞ。……ヘロード! 型の練習をするぞ!」
わたしは、ぜいぜいと肩で息をして地面にへたり込むハロルドに歩み寄り、その頭を軽く叩いた。
「ほら、立て。剣の正しい型を教えてやる」
「……もう……、むり……、死ぬ……」
「大丈夫大丈夫、人間はそんな簡単に死なない。ほら、立て」
ハロルドの腕をつかみ、ぐいっと引き上げると、ハロルドは少し驚いたようにわたしを見た。
「どうした?」
「……すごい力だと……、思って」
「剣も弓も、ある程度の力が必要だからな。が、まあ、力はさほど重要ではない。要は、力の作用を知ることが大切なのだ」
わたしは、ふらふらするハロルドの肩を叩いた。
「ヘロードは手足が長いからな! 動きが遅くとも、その長さを活かせばいい剣士になれるぞ。ほら、剣を持て」
ハロルドは目を見開いた。
「……何を言って……」
「うん?」
「いい剣士などと……」
ハロルドは顔を歪め、吐き捨てるように言った。
「どうせわたしは……、剣も魔法もまともに使えぬ出来損ないだ。殿下が何をたくらんでおられるのかは知らぬが」
「それだけしゃべれるなら、訓練を続けても問題ないな!」
わたしは木剣をハロルドに押し付けた。
「ほら、構えてみろ。足を開いて腰を落として……、んー、も少し足を開いたほうがいいな」
軽く足を蹴ると、ハロルドは「うぁ!」と声を上げ、信じられないと言いたげな目でわたしを見た。
「い、いま、足を蹴った……?」
「痛かったか? 力は入れなかったつもりだが」
「そういう問題では」
「いいから、ほら、しっかり剣を持て」
手間のかかるやつだなあ。
そう思いながら、わたしはなんだか少し楽しかった。
草原で、小さな子ども相手に剣を教えていた時みたいだ。
あの時の子どもたちと同じくらい、ヘロードは弱い。でも、草原の子どもたちだって、あっという間に強くなったのだ。きっとヘロードもそうなるだろう。
真面目に訓練し、体を鍛えれば、筋肉は必ず応えてくれる。
ヘロードはどんな剣士になるのかな。楽しみだ!




