23.弱い男
わたしとクラウス卿の間に、沈黙が落ちた。その時、
「おや、これは」
大広間からバルコニーに、するりと一人の男性が入ってきた。
「先客がいらっしゃいましたか。……草原の姫君とサムエリ公爵閣下が、このような場所で、何をされておられたのです?」
「……ハロルド殿」
クラウス卿はその男性を一瞥すると、表情を険しくした。
「どうぞサムエリ公爵閣下、わたしを殿下へご紹介くださいませんか?」
ハロルドと呼ばれた男性は、そう言うとわたしに視線を向けた。
草原では見ないタイプの男だな、とわたしは思った。
肩を覆うほどの長さの豪奢な金髪に、深い青い瞳をした、美しい男だった。
だが、ちょっと危なっかしく見えるほど、体の重心が安定していない。筋肉もそれほどないのに、なんでこんなに体軸が傾いているのか。
「……殿下はお疲れだ。少し休まれたので、大広間へ戻られる。挨拶はそこでされるがよかろう」
男はクラウス卿の言葉に肩をすくめると、わたしに向き直った。
「閣下に紹介を断られてしまった以上、自分で申し上げるしかありませんな。……殿下、お目にかかれて光栄です。わたくしはハロルド・レーマンと申す者。僭越ながら、殿下のお役に立てるかと存じます」
「……わたしの役に?」
わたしは首をかしげた。
「ヘロード・レーマンとやら。おまえは、わたしのために、何ができると言うのだ?」
わたしは、少し興味をそそられてハロルドを見た。
これほど体軸が傾き、安定感のない成人男性は、草原にはまずいない。
これでは剣を持っても、基本の型すらとれないだろう。片手で倒せそうなくらい、弱そうだ。クラウス卿は言わずもがな、第三騎士団の騎士たちでさえ、この男相手なら苦もなく勝利できるだろう。
そんな男が、わたしのために何をできると言うのか。
ハロルドは、わたしににっこりと笑いかけた。
「わたくし自身を、殿下に捧げます。殿下のお好きなように、如何ようにもお使いください。殿下の、どのようなご要望にもお応えしてみせましょう」
「いや、それは無理だろう」
思わずわたしは言った。
「ヘロードは、弱そうだしな! 剣の相手をさせたら、うっかり殺してしまいそうだ。……そうだなあ、ヘロード、おまえ、歌は得意か?」
「は!? な……、う、歌!?」
ハロルドは目を白黒させてわたしを見た。
「そうだ。剣の相手をさせられぬなら、後は歌か踊りか料理だが、ヘロードは動きが遅いしバランスも悪いから、踊りも今一つだろう。ベルガー王国の貴族は、そもそも料理をせぬと聞いた。ならば、残るは歌しかないだろう」
「は……」
「歌ってみろ、ヘロード」
わたしの言葉に、ハロルドは真っ赤になってぶるぶる震えはじめた。
「ヘロード?」
「このような……、いかに次期王妃とはいえ、このような侮辱を……!」
マズい。なんか怒ってるみたいだ。
どうしよう、と思った時、すっとクラウス卿がわたしの前に立った。
「控えよ、ハロルド・レーマン。お忍びでいらしたとはいえ、殿下の御前である。……これ以上の醜態をさらせば、私とてレーマン侯爵にひとこと言わねばならぬ。首の皮一枚でつながっている、後継者としての地位を失ってもよいのか?」
「きさま……!」
ハロルドがクラウス卿を睨みつけた。
なんかハラハラして、わたしはハロルドを見た。
ハロルド、隙がありすぎる。
足払いをかけられたり、脇を突かれたりしたら、それだけで簡単に倒れてしまいそうだ。
こいつ、大丈夫か? こんなに弱そうなのに、なんで護衛の一人も連れていないんだ。護衛も雇えないくらい貧乏なのか? それにしては、指輪やラベルピンなど、いかにも高価そうな宝石を多用した飾りを身につけているが。
考え込んでいると、クラウス卿に腕をつかまれ、ぐいっと引っ張られた。
「大広間に戻りましょう、殿下」
「あ、はい」
わたしは素直にクラウス卿に従った。
うん、ハロルドの安全について、わたしが考えてもしょうがない。ハロルドを守るのは彼の愛人の義務だ。わたしではない。
「ヘロード」
だが、やっぱり気にかかる。わたしはクラウス卿に腕を引かれながら、ハロルドを振り返って言った。
「おまえは弱いのだから、護衛をつけろ。……よければ、レーマン侯爵にわたしから言っておくか?」
さっきクラウス卿は、後継者の地位、と言っていた。つまりハロルドは、あのレーマン侯爵の後継者、恐らくは息子なのだろう。
レーマン侯爵は貴族派だろうが、表立ってわたしの頼みを断るような真似はすまい。初めて王城で会った日も、態度だけは丁寧で愛想がよかったし。
だが、わたしの言葉を聞いたハロルドは、真っ赤になって絶句した。
「なっ……、な、なにを……」
マズい。もっと怒らせてしまった。
頭から湯気が出そうなほど顔を赤く染め、怒りで言葉も出ない様子のハロルドに、わたしは申し訳ない気持ちになった。
怒らせるつもりではなかったのだが、何か失礼なことを言ってしまったのだろうか。
謝ったほうがいいだろうか? しかしこれ以上、何か余計なことを言って、さらに怒らせてしまう可能性もある。どうしたものか。
ふと横を見ると、クラウス卿がじっとわたしを見ていた。
「……クラース卿?」
クラウス卿は咳払いし、誤魔化すように横を向いた。
「なんでもありません、殿下。ライラ殿が心配なさっているかもしれません、早く戻りましょう」
ロウィーナ男爵夫人!
わたしは慌ててクラウス卿の手を引っ張った。
「早く戻りましょう、クラース卿!」
クラウス卿はハロルドを一瞥すると、すぐに頷いて言った。
「ええ、殿下」
大広間に戻ると、すぐに貴族たちに取り囲まれそうになった。
わたしは急いでクラウス卿の腕をつかむと、踊りを楽しむ人たちの中へ入り、クラウス卿の承諾もとらずに踊り始めた。
左向こうにロウィーナ男爵夫人の姿があった。ヘルムートと踊っている。その隣で、マイアがひどく緊張した様子でロウィーナ男爵夫人の弟と踊っていた。
「ごめんなさい、クラース卿」
謝ると、クラウス卿は怪訝そうな表情でわたしを見た。
「……何がですか?」
「ダンスを申し込んでいませんでした。……わたしと踊ってくれますか、クラース卿?」
今さらだが、わたしはクラウス卿にそう言った。
クラウス卿は驚いたように一瞬、目を見張り、それから何とも言いがたい表情でわたしを見た。
「……喜んで、殿下。殿下がお望みでしたら、いつでも……、私の許可などいりません」
「ありがとう!」
そうか、これからは承諾なしでクラウス卿と踊れるのか。
嬉しくなってにこにこしていると、クラウス卿がため息をついた。
「……あなたの気持ちがわからない」
独り言のようにクラウス卿がつぶやいた。
「あなたの気持ちも、自分の気持ちも。……私はどうしてしまったのか……」
だけどその声はあまりに小さく、わたしの耳には届かなかった。




