20.ロウィーナ男爵夫人の弟
ベルチェリ家の用意した馬車は、華美ではないが頑丈そうな造りだった。
「王家の紋章の入った馬車では目立ちますので、こちらの馬車にお乗りください。殿下のご出席は非公式なもの、お忍びでベルチェリ家の夜会に来ていただいた、ということにしてありますので。……まあ、そうは言っても、耳聡い貴族の方々には、すでに知られてしまっているでしょうけれど」
ふう、とロウィーナ男爵夫人がため息をついた。
「そうですね。ベルチェリ伯は国王派ですが、この夜会には貴族派からも幾人か、探りを入れようと潜り込んだ者がいるでしょう。お気をつけください、殿下」
「面倒なことだ。……政治は好かん」
苦々しい顔でつぶやくヘルムートに、ここだけは同意してしまう。
ていうか、王宮から三日かかるとか、それくらい離れた場所にあるわけでもないのに、わざわざ馬車に乗っていくのかあ。馬で行ければいいんだけど、ドレスだとそういうわけにもいかないのかなあ。
馬車は二台あり、わたし、マイア、クラウス卿と、ロウィーナ男爵夫人とヘルムートに分かれて乗った。
ヘルムートは、ロウィーナ男爵夫人に手を差し出し、嬉しそうにエスコートしている。いいなあ、わたしもロウィーナ男爵夫人をエスコートしたいなあ。……と思ったところで、気がついた。
わたしはクラウス卿と一緒なんだから、クラウス卿をエスコートすればいいんだ! ……けど、クラウス卿は男だから、わたしがエスコートするのは間違いなんだっけ? よくわからない。草原なら、一緒にいたい人の手を取って、行きたいところに行けばいいだけなんだけど。
わたしは悩んだ末、クラウス卿の手を握った。
「え!?」
クラウス卿が驚いたようにわたしを見る。間違ってたかな、と思ったけど、まあいいや、とわたしはクラウス卿ににこっと笑いかけた。
しきたりとか、いろいろ考えるのはめんどくさい。ダメだったら、クラウス卿が手を離してくれるだろう。
「クラース卿、行きましょう!」
じっとクラウス卿を見つめると、馬車回しの明かりを受けて、その暗褐色の瞳がきらめいた。まるで月の光を浴びて輝く、川底の石みたいだ。
「……はい」
クラウス卿が、ぎゅっと手を握り返してくれた。
「参りましょう、殿下」
馬車の中で、クラウス卿はずっと黙っていたけど、わたしの手を握ったままだった。
わたしとマイアは、道なりにずらっと設置してある街灯に驚き、夜でも明るい景色を楽しんだ。しかし、しばらくして見えてきたベルチェリ伯爵家の屋敷の明るさは、その比ではなかった。
「えー、あれ、なに? 門が光ってる!」
「まあ、姫様、まるで昼のような明るさですわ。これも魔法なのでしょうか? イヤな感じはしませんけれど」
馬車を下りたわたしとマイアは、先に馬車を下りていたロウィーナ男爵夫人のもとへ走り寄った。
「ローナ男爵夫人! あれ、なんですか? 門が光ってる!」
「空中に浮いているあの光はなんですの? まるで星が砕けてこの庭園に降りてきたようではありませんか!」
興奮するわたしたちを、ロウィーナ男爵夫人は慈愛あふれる目で見つめた。
「あれは魔道具ですわ。照明器具の一種です」
「私が発明したものもあるぞ!」
ふふん、と威張るヘルムートに、わたしとマイアは尊敬の眼差しを向けた。
「えっ、ヘルムットー、すごい!」
「まあ、あの星のような明かりをお作りになりましたの?」
その時だった。
「姉さん、ヘルムートも、ようこそ」
穏やかな声が後ろからかけられ、わたしとマイアは振り返った。
そして、絶句した。
「……え……」
「……ひ、姫様……」
人間の姿形をしているけど、とても人間とは思えないようなキラキラでぴかぴかの、めちゃくちゃ綺麗な男の人が立っていた。
「ろ、ローナ男爵夫人……、この人……」
「ああ、ご紹介いたします、殿下。わたくしの弟、リオン・ベルチェリですわ」
「弟!」
言われてみれば、鼻とか唇とか、ちょっとロウィーナ男爵夫人に似てる。
しかし、すごい美人だ。
リオン・ベルチェリは、それはそれは美しい笑みを浮かべると、わたしとマイアに優雅にお辞儀をした。
「初めてお目にかかります、カーチェ・ルコルダル殿下。どうぞ今夜は当家の夜会を楽しんでいってください」
「う、はい……」
わたしもマイアも、呆けたようにロウィーナ男爵夫人の弟に見惚れた。
「リオン、ヴィオラ様のご容態は?」
「うん、問題ないって医者は言ってるけど、大事をとって今夜は休ませることにしたよ」
「そうね、そのほうがいいわね」
ロウィーナ男爵夫人とその弟は、穏やかに会話を交わしている。
「ヘルムットー、ヴィオラ様って誰?」
ロウィーナ男爵夫人の隣に立つヘルムートに、わたしはこそっと聞いた。ロウィーナ男爵夫人もその弟も、二人並んでいるとあまりにキラキラしていて、話しかけるのがためらわれたのだ。
「ああ、ヴィオラ様はリオンの奥方だ。サムエリ公の妹姫でもあったな」
「へー。体が弱いの?」
わたしはちらっとレギオン様のことを思い出した。
ベルガー王国の人は、なんとなくみんな、草原の民より体が弱そうな気がする。
「いや」
だがヘルムートは、珍しく笑顔で言った。
「ヴィオラ様は、おめでたでな。リオンも初めての子だから、心配なのだろうよ」
「へー、赤ちゃん! よかったねえ」
あの光の神みたいな人と、クラウス卿の妹との赤ちゃんかあ。さぞかし綺麗な子どもだろうなあ。
「殿下」
そっと袖を引かれて振り返ると、クラウス卿が不安そうな表情で立っていた。
「クラース卿、どうしたの?」
「あ、いえ、そろそろ中に入りませんと」
「そっか、そうだね! マイア、行こう!」
まだロウィーナ男爵夫人の弟に見惚れているマイアの腕を引っ張り、屋敷の中に入ろうとすると、
「……よろしかったのですか?」
小さな声で、クラウス卿がわたしにささきかけた。
「よろしいって、何が?」
「………………」
クラウス卿は黙り込み、うろうろと視線をさまよわせてから、意を決したように言った。
「殿下は、リオン・ベルチェリ殿を……、その、愛人に望まれるのではないかと……」
「え!?」
わたしはびっくりして足を止めた。
「あのすごい綺麗な人を? なんで?」
「何故と言われましても……、リオン殿は王国一と言われるほどの、素晴らしい美貌の持ち主ですから」
それは見ればわかるけど。
「綺麗な人を、全員愛人にしてたら大変ですよ。愛人たちに挨拶するだけで一日が終わっちゃうし、そもそも、そんなにいっぱいは守ってあげられないもん」
言いながら、わたしはハッと気づいた。
「クラース卿は、ローナ男爵夫人の弟を、守ってあげたいんですか?」
「え!?」
クラウス卿は驚いたようにわたしを見た。
「え、え? どうしてですか?」
「どうしてって。クラース卿はわたしに、ローナ男爵夫人の弟を、愛人にしてほしいのかなって思って」
「違います!」
大声を上げたクラウス卿を、マイア、ヘルムート、ロウィーナ男爵夫人とその弟が見た。
みなの注目を浴びたクラウス卿は、「何でもありません、失礼しました」と赤くなって謝った。
「クラース卿、どうしたんですか? なんか今日、変ですよ」
「……そうですね。私もそう思います……」
なんかクラウス卿、よろよろしている。大丈夫かなあ。クラウス卿も、あんまり体が丈夫じゃなさそうだ。




