2.魔法は嫌い
「王女殿下……」
「はい!」
クラウス卿に呼びかけられ、わたしは元気よく返事をした。
できれば名前で呼んでほしいけれど、クラウス卿にならなんて呼ばれてもかまわない。話しかけてくれて、とても嬉しい。
にこにこしながら手綱を引き、クラウス卿と馬を並べて歩かせていると、クラウス卿が控えめな口調で言った。
「あの……、そろそろ王都に入ります。殿下には、馬車へお戻りいただきたいのですが」
「大丈夫、わたしは草原でも、馬の扱いに長けているとよく褒められました! 人が多くいても、問題なく騎乗できます! でも、心配していただいて嬉しいです! ありがとう!」
はりきって答えたけど、クラウス卿は困ったような表情でわたしを見た。
「あの……、殿下の騎乗技術は大変すばらしいと、そう私も思います。ただ、警護の問題から、できれば殿下には馬車の中にいらしていただきたいのですが……」
「そうなんですか」
ちょっと残念だったけど、わたしは大人しく馬車に戻ることにした。クラウス卿に迷惑はかけたくない。
騎士に馬を返し、馬車に戻る。すると、馬車にいたマイアがぱっと笑顔になり、わたしに向けて両腕を広げた。
「カーチェ様、サミーリ公爵様とはお話できましたか?」
マイアもベルガー王国の名前は苦手みたいだ。サムエリ、とうまく発音できないでいる。
「うん!」
わたしはマイアの腕に飛び込み、ぎゅっと抱き着いた。
「いっぱいお話した! クラース卿はねえ、戦はあまり好きではないんですって。以前、とても大きな戦に従軍したけど、もう二度と戦はしたくないって、そう言ってたわ。それなら、わたしがクラース卿をお守りしますって言ったんだけど、それは困りますって言われちゃったの。わたし、弱いと思われたのかな?」
マイアは考え込みながら言った。
「そう言えば、ベルガー王国の女性は戦わないと、そう聞いたことがあります」
「ああ、それはわたしも聞いたわ。びっくりよね。それじゃあ、どうやって自分の身を守るのよ?」
「それは、たぶん……、父親や夫が守ってくれるのでは?」
「父親や夫が弱かったら? ていうか、父親や夫が自分の敵になったら、その時はどうするのよ?」
「その時は……、そうですわね、どうするのでしょう?」
わたしもマイアも首を傾げ、考え込んだ。
「……草原にも、昔、女が戦うのを禁じた一族がいたと聞くけど、すぐに滅んでしまったんでしょう? バカげてるわよね、なんで女だからって戦ったらいけないのよ。だから滅びるんだわ」
「でも、ベルガー王国は滅びてませんよ」
「そうね、不思議ね。……よっぽど男の人が強いのかしら?」
でも、クラウス卿は弱そうだ。困ったような表情のクラウス卿を思い出し、わたしはくすっと笑った。
背は高いけど、草原の男のようにごつごつした筋肉におおわれた体はしていない。すらりとした細身の体躯に、大人しい馬のようなやさしい瞳をしている。
「あのねえ、クラース卿はねえ、あんまり強くはないと思うわ。少なくとも、わたしよりは弱いと思う。……でもねえ、なんかなんか……、うまく言えないんだけど、彼はとっても素敵だわ!」
そうですわねえ、とマイアが頷いた。
「サミーリ公爵様は、草原の男とはまるで違っていらっしゃいますからねえ。……公爵様は、ベルガー王国では王に次ぐ高い地位のお方と伺っております。サミーリ公爵様と話される際は、言葉遣いにお気をつけなさいませ」
草原の民と違い、石の都の人間はそうしたことにうるさいですから、とマイアが神妙な表情で言う。
「うん、わかった! 礼儀正しくしてたら、クラース卿、わたしの愛人になってくれるかな? どう思う、マイア?」
「わたしがどう思うかより、サミーリ公爵様のお考えが重要ですわ。サミーリ公爵様は、殿下のお申し入れになんとお答えになったのですか?」
「それがねえ、今すぐには答えられませんって。自分ひとりの問題ではないからって」
ベルガー王国の人間は、いろいろ面倒くさいことが多くて大変そうだ。誰かの愛人になることさえ、自分の心だけでは決められないなんて。
「誰に何を言われようが、心なんて変えられないのにね」
「さようでございますわねえ。ベルガー王国は、本当に不思議な国ですわ」
「神秘の国、石の国ね!」
あははっと笑うと、心に喜びが満ちあふれるような気がした。
楽しい。ベルガー王国に来てよかった。
マイアとおしゃべりしながら馬車に揺られていると、クラウス卿の声がした。
「あの、失礼いたします、殿下」
「はい!」
即座に、馬車の側面に掛けられた布をはね上げようとすると、それを察したらしいクラウス卿が慌てたように言った。
「いえ、そのままで! そのままでお聞きください! もうすぐ王都に入ります、殿下も侍女の方も馬車の中にいらしてください」
「はい!」
そういうことなら、しかたない。
わたしは布にぴったりと耳をあてて、クラウス卿の声をよく聞こうとした。
「……先ほど申し上げた通り、もう少しで王都に入ります。王都には、ベルガー王国第一騎士団がおりますので安心ですが……。その、もちろん私どもも、命に代えても殿下をお守りするつもりです。しかし、もし何かあれば、殿下と侍女の方はこちらを使ってお逃げください」
クラウス卿が垂れ布を少し持ち上げ、丸めた紙のようなものを馬車の中に差し入れた。
「……なんですか、これ?」
クラウス卿が渡すから思わず受け取ったけど……、なんか、トゲトゲしたイヤ~な力がその紙からは感じられる。マイアに押し付けようとしたら、嫌そうな顔をされてしまった。
「姫様、なんかそれ、イヤな感じがします。……ちょっと! 私に押し付けないでください!」
「だって……、うわ、ちょ、ちょっと、なんかピリピリする! クラース卿、この紙って」
「それは転移陣です。座標は王城にある、魔術師の塔に設定されております」
「転移陣!」
わたしは顔をしかめた。
「それって、魔法ってことですよね?」
「……はい……、ですが」
「わたし、魔法とかそういうの、嫌いなんです。これはお返しします」
きっぱり言い切り、クラウス卿に転移陣を返そうとした。いくらクラウス卿の頼みでも、これだけは譲れない。
わたしもだけど、草原の民のほとんどは魔法が嫌いだ。
魔力が肌にあわないっていうか、とにかくダメ。魔力を感じると、なんか肌がチリチリして、ウェッてなる。相性がよくないんだと思う。
それは、草原の民に魔力がないからだと聞いた。そして魔力がない代わりに、草原の民には、魔力に代わる独自の力があるのだと。
でもその力は、魔力とはぜんぜん違う。
なんていうか、ぱーっと体が強くなるっていうか、悪いものを寄せつけないっていうか、とにかく魔力とはまったくの別物だ。
「……草原に住まう方々が、魔法を忌避されておられるのは存じております。しかし、これはあくまでも殿下の安全のためで……」
「安全?」
わたしは首を傾げた。
「安全って、何か危険があるということですか? それに、わたしが逃げたら、クラース卿はどうするのですか?」
「万が一の話です。……詳しくご説明している時間はないので簡単に申し上げますが、ベルガー王国の中には、恐れ多くも殿下を害せんとする一派がおります。もちろん、私を含め第三騎士団の騎士たちが殿下をお守りいたしますが、今回は騎士たちの数も十五名と少なく、敵を防ぎきれない可能性があります。……その転移陣は、魔力がなくとも使用できます。転移陣を広げ、陣の中に入って『王城へ』と唱えれば王城の中にある、魔術師の塔へ転移できます」
「でも……」
「とにかく、馬車から出ないでください。ただ、何かありましたら……、私が『逃げてください』と申しましたら、その転移陣を使って王城へお逃げください」
返そうとした転移陣をぐっと押し付け返される。反論を許さぬ厳しい口調に、わたしは小さく「ハイ」と答えた。
……でも。
「あのさ、なんかわたしたち、襲われるかもしれないんだって。わたし、ベルガー王国の人たちに嫌われてるのかな?」
わたしは小さな声でマイアに聞いた。
この縁談はベルガー王国から望まれたものだから、てっきりベルガー王国の人たちはわたしを歓迎してくれるものと思っていたんだけれど、どうやらそうでもないみたいだ。
マイアは肩をすくめ、わたしを見た。
「石の国は、よそ者を嫌うと聞きますしねえ。ありそうな話ですわ」
そうか、ありえる話なのか。
嫌われるのはともかく、襲われたら対処する必要がある。
この輿入れに父上が付けてくれた護衛は、国境を越えたら草原に戻ってしまった。
草原には、名を上げたいと願う無鉄砲な若者や荒くれ者が多いし、それなりに腕の立つ者もいるから危険だけど、ベルガー王国のひょろひょろした相手なら、たとえ襲われても返り討ちにできるだろう、とわたしも父上も考えたからだ。
つまり、いま襲撃犯に対応できる人間は、わたしとマイア、それとクラウス卿が連れてきたベルガー王国第三騎士団の騎士たちしかいない。
ただ失礼かもしれないけど、クラウス卿も第三騎士団の騎士たちも、あまり頼りになるとは思えなかった。
国王に次ぐ地位にいるはずのクラウス卿でさえ、あんなに貧弱な馬に乗っているのだ。騎士たちなんて推して知るべしだ。
わたしは少し考え、足元に置いていた箱を開けて、中から弓を取り出した。
草原から持ってきた弓。魔馬の腱や骨を使用しているため、とても丈夫で軽い。これほど良い弓は、草原の王であるお父様ですら持っていない。わたしの自慢の弓だ。
お父様は、「ベルガー王国では、むやみやたらと弓を引くなよ。あちらでは淑女として振る舞え。……できる限りな」とおっしゃっていたけど、これは「むやみやたら」ではない、……よね? だって、わたしやマイアを襲おうとしている連中がいるんだし。戦っても、大丈夫だよね?
「でも、クラース卿は馬車から出るなって言ってたなあ。どうしようか」
「そうですわねえ」
思案げに頬に手を当てたマイアが、ぱっと表情を明るくして言った。
「姫様、それなら、私がこの布をこうして持っておりますわ。姫様は、ここから矢を射ればよろしいのでは?」
「すごい! マイア、頭いい!」
馬車の側面に垂らされた布をちょっとめくり、自慢げに微笑むマイアに、わたしは手を叩いた。
「よし、そうと決まれば、きちんと準備しないとね!」
わたしは下ろしていた髪をさっと紐で一つに縛り、利き手である左手の親指に弓用の指輪をはめた。
「矢は……、二十本ほどしかありませんわね。残りは婚礼衣装とともに、先にベルガー王国に送ってしまいましたし」
マイアが困ったように言ったが、
「大丈夫よ、マイア!」
わたしは力強く言った。
「矢が尽きれば、剣で戦うまでよ! ……まあ、弓のほうが得意だけど、わたし、剣もけっこう使えるからさ!」
「そうですわね、姫様!」
マイアも頷いて言った。
「私も、この剣で戦いますわ!」
革のロングブーツにくくりつけたダガーを引き抜き、マイアがわたしを見た。わたしはマイアににっこり笑いかけた。
よし、準備は整った、いつでも戦えるぞ!