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1.石の都に行きたくない

 草原の民は、草原が好きだ。

 野蛮だとかマナーがなってないとか、石の都の人間によく言われるけど、草原の民はそういうことをあまり気にしない。

 馬が好きで戦いが好きで、草原に生きて草原に死ぬ。


 わたしも、そうできると思っていた。

 死ぬまでずっと、草原にいられると思っていた。


「結婚したくない……」

 馬車の中で、わたしはあきらめ悪く同じ言葉をくり返した。

「カーチェ様」

 侍女のマイアが、悲しそうにわたしを見る。

「マイア、結婚したくない。石の都になんか行きたくない」

「カーチェ様、そうおっしゃられても、もうどうにもなりません。王が決められたことですし、姫様も受け入れたことではありませんか」

「だって、わたしが断ったらリーチェを嫁がせるって言うんだもん」

 わたしは唇をとがらせた。


「リーチェはまだ子どもだし、草原から離れたら悲しがって毎日泣き暮らすよ。そんなの可哀そう」

 それに、リーチェには好きな相手がいる。リーチェはまだ十三歳だが、草原の民は一途だ。これと決めた相手から心変わりすることなど、まずありえない。


 そう言うと、マイアはたしかに……、と頷いた。

「カーチェ様も、どなたか決まったお相手がいらっしゃればよろしかったんですけどねえ」

 マイアはつくづくとわたしを見て言った。

「姫様も、もう十六歳。妻問いする男は何人もいたのに、どうして誰にも応えようとはなさらなかったのですか?」

「だって草原の男って、みんな同じに見えない? みんな、馬が好きで戦いが好きで、いつも肉を食べててさ」

「姫様も同じではありませんか」

 マイアの指摘に、わたしは首を傾げて考えた。


 馬が好きで、戦いが好きで、いつも肉を食べていて……。

「たしかにそうかも」

「草原の民は何より馬を大切にするものですし、戦いに関して言えば、姫様は弓の名手でいらっしゃいますものねえ。戦いがお好きなのは、よいことですけれども」

 マイアはため息まじりにわたしを見た。

「姫様は、こんなにお美しくていらっしゃるのに」

 マイアに褒められ、わたしは嬉しくなった。


「そうかな? わたし、きれいかな?」

「ええ、それはもう!」

 マイアが手を伸ばし、わたしの髪を撫でた。

「姫様の御髪はたいそうツヤのある巻き毛で、光をあてても色の変わらぬ漆黒をされていらっしゃいます。石の都の姫君であっても、これほど見事な巻き毛をお持ちの方はいらっしゃいませんでしょう。それに、何よりその瞳の色。ベルガー王国の王族のみが持つ、淡い水色の大きな瞳。……ベルガー王国では、何よりも尊ばれるものですわ」

 じっと見つめられ、わたしもマイアの瞳を見つめ返した。マイアの瞳は、草原の民に多い濃い茶色をしている。

「……でも、わたしも水色じゃなくて、父上やマイアみたいな茶色の瞳のほうが良かったなあ」

 わたしの瞳の色は、父親譲りらしい。わたしの実の父親は、ベルガー王国の王族だというから、そのせいだろう。

「まあ、姫様。きっと石の都では、その瞳の色を褒められますよ。それは王族の証ですからね」

「石の都かあ……」


 気のない返事をするわたしに、マイアがにこにこして言った。

「それに、草原の男がお嫌だとおっしゃるなら、石の都の王のほうが、案外カーチェ様のお気に召すかもしれませんよ」

 その言葉に、わたしは少し、考えた。

 石の都の王。肖像画でしか知らない、レギオン・ベルガー様。

たしかにレギオン様は、草原の男とは違うかもしれない。金色の髪に淡い水色の瞳をした、妖精のように儚い面差しをしていた。

 

「でもレギオン様って、まだ十歳なんでしょ?」

 言いながら、わたしは顔をしかめた。

 石の民の考えることは、理解できない。

 十歳の子どもに結婚を……、それも、会ったこともない女との結婚を強要するなんて。

 わたしも可哀そうだが、レギオン様はもっと可哀そうだ、とわたしは思った。


「わたし、十歳の子どもを結婚相手として好きになれるかなあ」

「それなら、愛人を持てばよろしいではありませんか」

 マイアはすました顔で言った。

「現在の草原の王、カーチェ様のお父上も、元々はカーチェ様のお母上の愛人でいらっしゃいましたし。カーチェ様も同じように、愛人を持てばよいのではありませんか?」

「それはそうなんだけど、石の都に、愛人にしたいと思えるほど素敵な人なんているかなあ」

「たしかに、それはありますわね。石の都の男は、ろくに馬にも乗れぬような腑抜けぞろいと聞きますし。……そもそも向こうの馬は草原の馬に比べて小さく弱く、とってもみっともないそうですわ」

 マイアの言葉に、わたしは唇を噛みしめた。

「……みっともない馬……、そんな馬にも乗れない男……、最悪じゃない!」

 わたしは馬車の座面を叩き、叫んだ。


「やっぱり石の都になんか、行きたくない! 結婚なんかしたくない!」


 その時だった。

「……カーチェ王女殿下?」

 どこか遠慮がちな、やさしい声が馬車の外から聞こえた。


「失礼、私はベルガー王国のサムエリ公爵家当主、クラウス・サムエリと申します。ベルガー王国からカーチェ王女殿下のお迎えにあがりました」

 ああ、ベルガー王国の、とマイアが頷き、わたしに言った。

「姫様、先日、王に会いにいらしたベルガー王国の使者ですわ。ちょうど姫様は狩りに出ていらして、お会いできませんでしたけど……」

 マイアの言葉が終わるのも待てず、わたしは馬車の側面に垂らされた布を勢いよくはね上げた。


「王女殿下」

 そこにいたのは、短いやわらかそうな暗褐色の髪にやさしい暗褐色の瞳をした、たいそう美しい男の人だった。

草原の馬よりだいぶ貧相な馬に騎乗しているけれど、ちっともみっともなくなんかない。着ている服も黒っぽくて地味だけど、その男の人は輝いて見えた。

「殿下の護衛として、第三騎士団を帯同してまいったのですが、……あの、殿下」

 じっと見つめると、その男の人は困ったように眉を下げた。


「クラ……、クラース、卿?」

 大陸語、それもベルガー王国の名前の発音は難しい。わたしはつっかえながら、なんとかその美しい男の人の名前を呼んだ。

「はい」

 やっぱり困ったような表情で応えるクラウス卿に、わたしは勢い込んで言った。

「クラース卿、あなたに妻はいますか?」

「は、……え?」

 わたしの問いかけに、クラウス卿は戸惑ったようにわたしを見た。

「え? 妻? ……あの、私に妻はいるかと、いま、そうお聞きになったのですか?」

「はい。あなたに妻がいないなら、クラース卿、わたしの愛人になってくれませんか?」


 クラウス卿が目を丸くした。

「……は? え?」

「あなたを気に入りました! クラース卿、わたしの愛人になってください!」

 わたしは勢いよく、クラウス卿に頼んだ。

「まあ、姫様」

 目を白黒させているクラウス卿をよそに、マイアが嬉しそうに手を叩いた。

「おめでとうございます! ようやく姫様も、そのお心に適う者を見つけられたのですね!」

 石の都にいらして、よかったではありませんか! とマイアが言う。


 うん。マイアの言う通りだ。

 石の都に来てよかった。

 こんなに素敵な男の人に出会えたのだから。


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