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オアシス

 

「ところで、どうやって移動するつもりだ。僕は階段すら見たことがないが」


 ヒロコが知るのは世界樹の区画の一部だ。常に監視がつき、自由はほぼない。自身にそれほどの価値があるのか疑問だったが、乱暴な扱いはされたことがない。


「ヒロコ、俺の名をいってみろ」


 今や世界樹の主となった少年が、不遜なことを言い始めた。怯まず王女が拳を振り上げると、彼はたちまち腕でひよわな頭をかばう。


「手を上げるなあ! そういうとこだぞ、お前の悪いところは。政治を覚えろ、政治ぉ」


「なんだ、偉そうに。条件があるなら早く言え」


 はやる気持ちを押さえながらヒロコは催促した。今はとにかく時間が惜しい。


「タロウ君、お願ーい。ヒロコを外へ連れてってー、ってお願いしてみて。できれば上目遣いで」


 下劣な条件だ。普段のヒロコなら激怒しただろう。だが、今は有事。プライドを捨て実を取る器の大きさを持っていた。即断実行。


「た、たろーくん、おねが、い。ヒロコをここから連れ出して」


 小首を傾げ、言われた通りにおねだりの真似事をした。彼女にとって、男に頭を下げるのは死よりも辛い。にもかかわらず、結果は無惨なものだった。


「ぎゃはは! こいつマジでやりやがった。プライドとかないのかよ。政治力たけー」


 タロウは腹を抱えて笑い転げた。


 ヒロコは放心状態で固まっている。一足飛びにうなじまで赤くなり、羞恥で消え入りそうだった。


「あー、マジでひさびさに笑ったわ。その分はきっちり働くよ。俺に掴まって」


「ヨロシクタノミマスアトデゼッタイコロスマスカクヤクスルマス」


「……、できるならして欲しいもんだ。じゃ、行くぜ」


 タロウはヒロコに聞こえない声でつぶやいた。周囲に紫炎が広がり、樹を焼き払う。床が崩落し、大砲を打ち出すような勢いで、二人は外に放り出された。


「と、飛んでる……」


 タロウの腕に抱かれたヒロコの目に、静止した雲が映る。浮遊感も風も感じないが、どんどん雲を追い越して移動していく。


「寒くないか? もっと障壁を厚くしてもいいけど、ちょっと急ぐからな、我慢してくれ」


 宝石の神威は様々な奇跡を起こせるが、代償はある。ヒロコがそれを知るのはもう少し先になる。


「ミケランジェロ……、怒られたりしないだろうか」


 地平線まで延びる枝を見つめ、ヒロコは声を落とした。ミケランジェロとは過ごした時間が比較的長いため、黙って出たことに一応気をもんでいる。


「大丈夫だ。あいつは位階六位。そう簡単に死なないさ……、テラには怒られるだろうけど」


 神官たちには厳しい序列がある。彼らは鉄の掟を作り、世界樹に仕えている。ヒロコの前ではへりくだっているが、ミケランジェロも人知の及ばぬ超越者だ。それゆえ尻拭いを任せても問題ない。


「あ、オアシスがあるぞ。降りてみようぜ」


 ヒロコには見えなかったが、砂漠の中に水たまりのような小さな泉があった。彼女の心構えができる前に垂直下降が始まり、減速せず砂漠につっこんだ。


 衝撃は緩和されたが、細かい砂に埋もれるのは避けられない。ヒロコは命からがら砂の棺桶からはいでた。


「うわあっ! 殺す気か!」


 熱砂と直射日光が肌を焼く。髪や袖に入った砂を払い落とし、辺りに目を走らせる。


 確かに、岩に囲まれた泉が手の届きそうな場所にある。ヒロコは乾きを意識し、喉元の汗を拭った。


(前になにかの本で読んだな。砂漠の蜃気楼。光の屈折で幻が見えるのだ)


 王女は警戒心を強くした。ぬか喜びで、がっかりしたくない。


 手でひさしを作り、慎重に近づく。泉をのぞき込む。透き通った水がきらめいた。すくうと、ひんやりとしており肌に染み入る心地がした。


 命綱を得てほっとしていると、水面に泡が立った。いぶかしく思っていると、タロウが泉から顔を出した。ヒロコは驚愕に後ずさる。


「……、なにをしている」


「いやー、水浴びにちょうどいいぞ。お前も入れ入れ」


「ちょ、やめろ……! バカ」


 力比べで勝ち目はない。泉の中に引きずり込まれた。足はつくが、冷や水に全身が浸かってしまった。二人、頭だけを水面に出している。


「懐かしいなあ。イリスを助けて泉に落ちたんだ」


 思い出を懐かしむタロウに釣られ、ヒロコも望郷の念を強くする。


「そんなこともあったな。誰かさんが風邪を引いたせいで、足止めを食った」


「あれはノーラが毒を盛ったからだろ。俺は悪くない」


「イリスはどうしているだろう。会いたい」


「もう大きくなっただろうな。何年も経っちまった」


「僕がここに来てから三年と四ヶ月だ。僕らのことなど忘れてしまったかもしれない」


 三年あまりの軟禁でヒロコの時間は止まっている。母国も戦争に巻き込まれたと聞くし、一刻も早く情報を仕入れたかった。


「あー……、そのことなんだけど」


 タロウがなにか言いかけた途端、岩陰から怒鳴り散らす声が聞こえた。何事かと思う間もなく、男たちが押し寄せてきて、二人を泉から引き上げた。


「このクソガキども! なにしてくれとんじゃ!」


 二人は複数の男たちに正座させられ、怒りの矛先を向けられた。


 白い装束で体を覆う彼らは、この地域を回る隊商だった。日除けの中継地点のオアシスの飲み水が汚されれば死活問題である。ヒロコは彼らの怒りが理解できたので、謝罪する意図を伝える。あくまで品位を保ちながら。


「貴殿らの怒りは理解した。謝罪しよう。それから先に泉に飛び込んだのはこの男なので、賠償はこいつがする」


 指名されたタロウは素知らぬ顔で口笛を吹いている。二人とも反省の色がない。それを見た男たちはライフルを持ち出した。一悶着ありそうである。


「おい、ちょっと待て! ラクダがいないぞ」


 後方の一人が、荷物を運んでいたラクダがいないことに気づく。


 ラクダの姿が遠のく。逃げ出したわけではない。隊商の何人かが荷物を持ち逃げしたのだ。


「逃げられたら、破産じゃあ……」


 髭をたくわえたリーダー格の男が、呆けたように座り込む。


「銃を貸してくれ」


 ヒロコが颯爽と立ち上がり、ライフルを構えた。射抜くような眼光、銃器と一体となる隙のない構えに男たちは息を飲んだ。


 距離が広がる中、一発の発砲音。獲物は砂の上に落ち、荷物をつけたラクダだけが走り続ける。


 発砲を合図にようやく男たちはラクダを追うが、砂に足を取られて追いつけない。


 タロウは重い腰を上げた。突風が吹いたと思うと既にラクダの背に乗っている。


「おーい、捕まえたぞ! これでチャラにしてくれよな、うわっ、めっちゃ揺れる。あはは」


 リーダーの男は呆然と成り行きを見守っていたが、この日のことを後に日記に綴っている。


『何の装備も持たない少年と少女に砂漠で出会う。彼らは何かを探していた。力になれないのを残念に思う』




 盗人を縛り上げるのを手伝うと、泉の件は不問となった。


「ところで行く宛は? なにか欲しいものはあるか」


 リーダーが申し出ると、ヒロコが遠慮がちに手を上げた。


「日焼け止め……、あるか? あと、化粧品」


 その時ようやくヒロコの性別がわかり、男たちは驚いた。


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