蠢動
枯れ木は花を咲かせない。
力なく垂らされた枝はくずおれ、自重で引き裂かれる。未練がましくちぎれた後、轟音と共に砂塵に飲み込まれた。
むしばまれているのは木だけではない。依って立つはずの大地も黄砂。不毛の砂漠である。
「我々神官は命を数えません」
ミケランジェロは言った。癖のあるショートの赤毛、猫のような 中性的な顔立ち。首には黒いチョーカーを巻いている。日除けのフードつきのマントを羽織っている。
「全は一。一は全。全ての命に仕えることが使命なのです」
ミケランジェロの舌は、砂粒でざらついていた。吐き出したいのだが、賓客の前でできずにいる。我慢しているうちに口がパンパンになってしまった。
そんな苦労を知らず、傍らの麗人は白いシャツの襟をはだけ手で風を送っている。長い手足、背中に届く黒髪が目を引く。涼しい目元がふいに獰猛な輝きを帯びた。
「全ての命に仕えると言ったな。それなら僕にも権利があるんだな? 答えろ。口になにを隠している?」
詰め寄られたミケランジェロは蒼白になり、後ずさった。
「なにか食べているだろ! 見せろ、この!」
頬を掴まれた瞬間、窄まった口から砂が飛び出した。相手の顔にもろにかかったが、怒るどころか破顔した。
「ぷっ、あはは……! なんでそんなに砂が入っているんだ」
「だって砂が入ってくるんですよお、そこの窓から」
二人の背後に五十センチ四方の窓が開いている。そこから絶えず砂が吹き込んできていた。窓といっても窓枠すらない。
「全部塞いだらどうだ。そこいら中、砂だらけで掃除も大変だろう」
「ヒロコさんは無理をおっしゃる。どこにどれだけ窓があるのか誰にもわかりやしません。一生かかっても終わる気がしませんね」
ここでは数の概念が役に立たない。全ては砂に埋もれるのを待つかに思えた。
砂を踏むせわしない足音が近づき、二人に緊張が走る。
「王女がそうおっしゃってるんだ。言われた通りにしろ。窓を閉め、砂を入れるな」
横柄な口のききかたをしたのは、黒髪の少年。白のtシャツにデニム。そして素足。まるで自分の家にいるかのようなラフな格好をしている。
「……、はあい」
ミケランジェロは窓に足をかけ、垂直の外壁を登り始めた。ようやく監視の任を解かれ、その身は軽い。外壁は雲を突き抜け高くそびえ立っている。
「いいのか? あいつはまじめだから本当にやりかねないぞ」
「だって、こうでもしないとお前と二人きりになれねえじゃん」
ヒロコ王女のたおやかな右手に、なれなれしく手がそえられた。嫌悪の目が鋭く向けられる。
「……、何のつもりだ」
「俺も一人、お前も一人。支えあおうと思ってさ」
ヒロコの平手打ちが、二人の距離に亀裂を入れる。
「そんなに怒らないでくれ。傷ついちゃうだろ」
少年は壁際に座り込んでしまった。ヒロコは窓ひとつぶん距離を取った。
「傷つくだと? お前はもう……」
「そう、化け物だ」
両手で顔を覆い、少年は嘆息した。少し哀れになり、ヒロコはその場に踏みとどまる。
「俺は一度死んで生まれ変わった。でもまだ死につづけてる。この場所のせいだ。前の奴がちゃんとやらなかったから、もうどうしようもなく痛んでいる」
「お前に関係あることなのか。にわかに信じられん」
おびえる少年を懸命に諭すが効果はなかった。
「みんなは俺の中にいるものが悪いものだと思ってた。だけど、違う。なくてはならないものだったんだ。それに俺はもう、死にたくない」
度重なる弱音に王女までも肩を落とした。
「……、さっきは悪かった。僕にできることはあるか」
隙を見せたのが運の尽き。途端に少年の顔は明るくなる。
「! なんでもするって言ったよね」
「なんでもとは言ってない」
王女が再び殻に籠もる前に畳みかける。
「まあ聞けよ。悪い話じゃないから。旅に出よう」
彼は興奮した様子で窓から身を乗り出す。外壁は、古びた厚皮をぱらぱらと地面に降らせた。二人がいるのは巨大な樹木の内部だった。世界の始まりからそこにある木、世界樹だ。
「この樹は病んでいる。救うための方法を探すんだ。俺たちならできる!」
この牢獄から出られると聞いて、ヒロコの気持ちが揺れ動く。
不本意な形で連れてこられてから、自分の国や家族のことを考えない日はない。
遠い異郷の地で過ごすうち、王女という肩書きは意味をなさなくなった。何者でもない事実に打ちのめされ、ミケランジェロに当たる日々。ここから抜け出す、まさに渡りに船だが、嬉しそうにすれば相手の思うつぼ。表情には出さない。
「僕はこの樹のことなどどうでもいい。お前のことも信用したわけじゃないからな」
「どっちなんだよ。帰りたいんだろ? こんな機会二度とないぞ」
背に腹は代えられない。ヒロコは選ぶ。結ばない花を巡る旅が始まる。