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1話 恩を仇で返す

 夏の空へ向けて枝葉を伸ばし茂る大樹の下、簡素な平民の服を身にまとった男女が一組、これから街へ旅立とうとしている。

 聖女ターラは二人を見送るため、神の森を背にして立っていた。

 男は、姿かたちを人に似せた神様で、本来の艶やかな長い黒髪や星空を思わせる蒼い瞳を、今は保護色のような茶色の下に隠している。

 その隣に立つ若い女は、ターラが助けて育てた孤児で、いわば愛娘のような存在だ。

 つけた名前は、平和を意味する「シャンティ」。

 もとより地味な茶色の髪と瞳で、特出することのない素朴な外見から察するに、出身は平民だろう。

 四十路を過ぎてなお二十代の姿のままで、流れる銀髪と透き通る紫眼が美しい元子爵令嬢のターラとは、まったく似ていなかった。

 だが堂々と胸を張り、神様に選ばれたという自負いっぱいの顔で、母親代わりだったターラへ宣言する。


「お母さま、私、神様を愛しているんです」


 シャンティの言葉を擁護するように、神様も続ける。

 

「すまぬな、ターラ。死ぬまで傍らにいると、約束したのだ」


 長らくターラにべったりだった神様が、成人して独り立ちするシャンティと一緒に、人の街へ行くという。

 

「これからは、神様と二人で生きていきます」

「私の居ぬ間の、森の管理を頼む」


 そう言うとターラを残し、神様とシャンティは神の森を出て行った。

 ターラがこうして誰かの背中を見送るのは、二度目だった。


 ◇◆◇


 聖女以外は侵入禁止の神の森から、少し離れたところに、ターラが暮らす祈りの間という建物がある。

 もともとは祈るための場所だったので、今でも祈りの間と呼ばれているが、聖女が暮らせるよう居住部分が建て増しされて、一軒の家のようになっていた。

 この建物は神殿に仕える者しか立ち入れないが、そこまでならば聖女以外の人も、神様に近づくことを許されている。

 今日が神様の旅立ちの日だと聞かされた神殿長が、二人を見送ったターラの帰りを、祈りの間で待っていた。


 現在の神殿長はターラと同年代の男性だが、神様の力で寿命がゆっくり流れる聖女とは違い、正常に年を重ねた髪には白いものが混ざり始めている。

 そんな神殿長が、汗をかいて戻ってきたターラに、水を差し出し声をかけた。


「聖女さま、早まったことをしたと思っていませんか? ……私はすでに思っていますよ」


 唇をへの字に曲げた苦々しい顔を、神殿長は隠そうともしない。

 神の森を出るという神様の提案にターラが頷き、それを神殿長に伝えたときも、すんなり賛成してくれなかった。

 神殿長から受け取った水を、ありがたく思って口に含み、ターラは考えながら答える。

 

「人嫌いだった神様が、私以外の人に興味を持ったのです。これは神様の認識を変える、いい機会になると思いませんか?」

「一緒にいるのがシャンティでも? 恩を仇で返すような娘から、神様がおかしなことを学ばねばいいのですがね」

 

 神殿長にそう言われると、ターラも黙らざるを得なかった。


 神の森に捨てられていたシャンティの生い立ちは複雑だ。

 本来ならば、神の森に入った者は、厳しい処罰の対象となる。

 しかし、親に見放された幼いシャンティにそれは酷すぎるとターラが庇い、先代の神殿長にも協力をあおいで、祈りの間で人目に触れないよう隠して育てたのだ。

 孤児のシャンティにとって、保護したターラは母親代わりで、小さい頃はまだ懐いていたと思う。

 ところが思春期あたりから、シャンティは神様に対して特別な感情を抱くようになり、神様が唯一、気を許していたターラを敵視し始めた。

 ついにはターラに執心だった神様の関心を自分に引き寄せることに成功し、神様とは将来の約束をする恋人のような立ち位置になったシャンティ。

 さきほど旅立つときも、ターラに向かって勝ち誇る顔をして、神様と肩を並べていた強気なシャンティが思い出される。


 当初は神様も、足元にまといつく幼いシャンティを、疎んじていた。

 だが段々と、シャンティが女性らしく成長するにしたがって、観察するような目になっていったのに、ターラは気づいていた。

 そしてターラの知らぬうちに、二人の間で何らかの約束が交わされ、安息の地である神の森を神様が離れるという、前代未聞な日を迎えてしまったのだ。


 あれほどターラ以外の人を忌み嫌い、近づこうともしなかった神様が、市井に下りて人に混ざって、シャンティと暮らすという。

 その話を聞いたターラの驚きは、計り知れなかった。

 しかし、ターラは聖女という立場に甘え、長らく神様を独り占めしていることに罪悪感を抱いていた。

 願わくば神様には、ターラ以外の人にも目を向け、興味を持って欲しかった。

 そして神様に祈りを捧げる全ての人を、慈しんで欲しかった。

 そんな聖女としての欲が、つい顔を出してしまったのだ。


「聖女さま、神様が人に興味を持ってくれたことについては、私も喜ばしく思います。歴代の聖女さまとしか接触をしなかった神様に、見聞を広めてもらうにはいい機会でしょう。ですが……人には良い面もあれば悪い面もある」

「それは聖女である私にも、言えますよね」

「まだ若いシャンティは、残念ながら、人の悪い面が出過ぎていると思います。幸い、これからいくらでも改心する可能性はあるでしょう。ですが今は、神様の隣にいるのは、相応しくありません」

「それでも、神様が望まれたのはシャンティです」

「……本当に残念です」

 

 シャンティの振る舞いに最後まで納得していなかった神殿長が、溜め息をつきながら神殿へ帰っていく。

 祈りの間で一人になったターラは、いつものように手を組み合わせて祈った。

 神様への信仰心だけが、いつでもターラの中にあって、ターラの心を慰めてくれるものだった。


 ◇◆◇

 

 およそ1000年前、この世に突如として神様が生まれた。

 こうあって欲しいと熱心に願った人々の祈りの力が集結し、一定量を越えたことで実体化したものが神様と考えられている。

 生まれたての神様は、赤子のように幼く癇癪持ちで、世話係として老齢の女性が側付きになった。

 すると、なぜかその女性だけ時の流れが変わり、数百年も生きた。

 今では神様の能力のひとつとして知られているが、それが聖女の始まりである。

 神様と聖女の生活を支えるために祈りの間と神殿が建てられ、神殿で働く人たちによって周囲に生活圏としての町が出来た。

 神様が意図せず聖女以外の人と接触して興奮しないように、神殿の奥に侵入禁止の場を設け、目隠しのために木々を植えた。

 木々は1000年を神様とともに育ち、神の森と呼ばれるようになる。

 神様が過ごす神の森に異常がないか、見て回るのは聖女の勤めのひとつであった。

 

 歴代の聖女たちによって語り継がれてきた神様の誕生や偉業の物語が、祈りの間にはステンドグラスとなって遺されている。

 それによると、神様を信仰する人が増えるたび、その地からは天変地異が少なくなり、安全に暮らせる場が広がり、泰平と繁栄が得られたそうだ。

 人々の信仰心を力に神様の神格は上がり、これからも、さらなる能力を身につけていくという。

 神様が生まれたきっかけが人々の祈りの力だったことを考えれば、神様の成長を促すのもまた人々の祈りの力ということなのだろう。


 幼子のようだった神様は、この1000年の間で青年らしい姿かたちとなった。

 ステンドグラスが表現しきれないほどの美貌の持ち主であることは、聖女のみが知る事実だった。

 側付きとなることを許した聖女以外の人とはほとんど触れ合ったことがなく、長命ではあるが世の中へ出た経験がなく、言うならば狭い世界だけで生きてきた神様だ。

 そんな神様が人の世に出て、多くの人と会い、何を思うのか。

 ――人の醜いところを見てしまって、今以上に人嫌いになってしまわないか?

 神殿長が最も憂慮している部分がそれだった。


 だからターラは祈る。

 人々の安寧とともに、神様の安寧を。

 願ったことがそのまま叶うわけではないし、神様のことを神様に祈るのはおかしいと分かっているが、それでも祈らずにはいられなかった。

 ターラもまた、神様を愛しているから。

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