第27話「境界線」
”いつも南の空を見て思うよ。
あそこに住んで、毎日柔らかい肉を食って、ふかふかのベッドで寝て。
それから……毎日お日様に当たりたいって”
ランカスター市北地区工場労働者のインタビュー
ランカスター市南地区
スチーム・アーツの発展以来、ランカスターの街では南に行くほど金持ちが住んでいるとされている。
南風が蒸気の雲を押し流してくれるので、夏の間だけだが空が晴れるのだ。もちろん北地区の工業地帯がそうであるように、蒸気に熱がこもって蒸し暑さに苦しむことも無い。
が、外の人間からは、太陽がのぞける晴れた空を羨ましく見つめるだけである。地価は当然のごとく天井知らずなのだ。
「で? 私をここまで連れてきた理由は?」
迷惑そうに告げてくるのはスーファ・シャリエール。現時点でブレイブ・ラビッツにとって最も危険な人物、もとい探偵だ。
「おいおい、僕は別に君を誘った覚えはないぜ? 青天井区画をぶらぶら歩いただけ」
「青天井区画」とは、ここだけ空が晴れている事と、住人たちの財産が青天井であることを皮肉ったスラングである。
区画ごと壁に囲まれ、夜は門を閉じてしまうし、昼も警官が頻繁に巡察しているから、すこぶる治安は良い。半面で身なりがしっかりしていなければたちまち職務質問だ。
ユウキ・ナツメはそんな場所に、スーファを誘った。
「嘘おっしゃい。尾行って言うのは、一度気付かれたらされる方が圧倒的に有利なのは知ってるでしょ? あなたが私を撒くような行動を取ってたら、私はここまで追いつかなかったわ」
「流石だねぇ」
だからこそ、話していて楽しいと思うし、同志にしたら面白そうと思う。恐らく片思いに終わるだろうが。
「君は、今回の騒動をどう思う? 背後関係がどうとかじゃなくて、心情的に」
聞いてみたかった。理由は分かっている。
常に不安なのだ。自分達、いや自分の行いが受け入れられるかが。独りよがりで無いかが。
それはラビッツを続ける限りついて回るだろうし、またそうでなければならない。
スーファは少しだけ黙考した。
聡明な彼女の事、答えは既に出ていて、言葉を探しているのだろう。
「……胸糞悪いわね」
熟考して出てきた答えはそれだった。予想通りであったが、より率直だ。
「クレームを出す事は悪い事じゃないわ。でも仮にも公共の団体が民間に圧力をかけてただのお祭りを潰すなんて狂ってるわね。ただ……」
「法には反していない。そう言いたいんだろう?」
先回りされてほんの少しだけ気分を害した様子を見せる。こう言う老獪さに欠けるところが彼女の課題であり、面白い所だ。頭の方はすこぶる回るのに。
「ラビッツはその胸糞悪さを是正するために、法を破り、人々を扇動し、騒ぎを起こす。その為にロボットまで持ち出すのだから、悪質極まりないわ」
ユウキは、黙り込んでしまう。
彼女が言う事は間違っていない。完全に同意すべきだ。
……だが。
「法が……法が僕らに何をしてくれた? 誰かの生殺与奪を握るような悪法は知らないうちに出来る。気が付いたらもう、一晩で石もて追われる立場だ。法は簡単に敵になりうるんだよ。生存権を取り戻す為に法と戦う者、それを無法者と罵る。そんな人間こそ僕は軽蔑する」
我ながら言葉が強い。少しスパイトフルの自分が表に出てきたようだ。苛立ちに任せている部分はある。だがそれ以上に核心の部分を話してみたいと思った。
彼女の言葉を待つ。
「それでも誰かが法を曲げて扇動し、それを集団の力で肯定するようになれば――民主国家はお終いよ? あなたはそれを分かっていて騒ぎを起こすのかしら?」
スーファの返答に若干の失望を感じる。
ここが自分達とスーファの決定的な差なのだろう。
あの日あの時、あの光景を目の当たりにしなければ――きっと良き友になれたのだろう。
「……”法”ねぇ」
あえて冷笑するように言ってやる。
これは苛立ちだろうか。
彼女の理解を得たい気持ち。その真っすぐさを捻じ曲げたくない気持ち。自分勝手な二律背反への。
「”いかなる場合でも法は絶対である”。”悪法も法である”。そんな石頭は僕の家族や親戚には居ない。何故かわかるかい?」
スーファは、憮然としたまま答えた。「いいえ」と。
「皆死んだからだよ。法を絶対視しすぎて、法に殺された。皆素晴らしい人だったけどね。法が敵に回る恐ろしさを最期まで気づけなかった。スーファ、このままでは君も同じ事になる。それを忠告しておくよ」
彼女も、これがただの法律論ではないと分かっているのだろう。反論はいくらでもできるだろうに、思案するように黙り込んだ。
彼女には、若干の苛立ちが伺える。だが、それ以上の興味が芽生えているとも思える。
「一体、あなた達に何があったと言うの?」
その質問には答えられない。黙殺して話を続ける。全て話した結果彼女がどんな顔をするか知りたくもあったが、ただの危険な火遊びだ。
「あともうひとつ、共和制は内側からの攻撃に弱い」
そのまま考え込んだスーファは、結局反論より続きを促す選択をした。
「……展開して」
「そのままの意味さ。多分、今僕が何か言っても信じないと思うよ?」
なによそれと不満げなスーファが少しだけ可笑しくて、ついつい破顔してしまう。
やっとユウキ・ナツメに戻って来られた。
「おいおい、君は探偵だろ? とりあえず”清貧教”について調べて見ると良い」
「清貧教? 最近大陸で広がってる宗教? なんでそれが……」
「おっと、これ以上のヒントは出せないよ」
わざとらしくはっはっはと高笑いして、ユウキは再び文学青年の仮面を被る。いや、怪盗の仮面を外すと言った方が良いだろうか。
「それで、何で私をここに連れてきたわけ? 扇動者なら格差社会の実態がどうとか言い出すかと思ったけど?」
これ以上の情報は引き出せないと思ったのだろう。スーファもまた、探偵の肩書を横に置いたようだ。
「うんにゃ。ここにお気に入りの歴史博物館があってね。普通の格好で行っても警官がうるさいけど、ランカスター学院の制服ならスルーだから。今日は誰も付き合ってくれないから、君を誘おうと思ってね」
「……相変わらず人を食った男ね」
そうは言いつつ、博物館に興味はあるのだろう。ユウキに続いて歩き始め――拳銃に手をかけた。
「これは、あなたが仕組んだ事?」
「まさか、こんな回りくどい事はしないよ」
どうやら博物館は延期のようだ。
重低音の銃声が、閑静な街並みを騒がせたからである。