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秋葉原出身の林道さんはメイドという仕事を勘違いしている

作者: 墨江夢
掲載日:2022/02/15

 深夜までかかった仕事が終わり、送迎車で帰宅している途中、何気なく車窓の外を眺めていると、ふとバス停で雨宿りをしている少女を見つけた。


 本日のバスの運行は、もう終わっている。そして天気予報によれば、雨は朝までやまない予定だ。

 この少女は、朝になり雨が上がるまでバス停で時間を潰すつもりだろうか? 

 季節は冬だというのに、コートやダウンジャケットを着ている様子もない。頻りに両手を口元に当てては息を吐いているので、少女が寒さに震えているのは明白だ。


 こんなところで、あんな格好で夜を明かそうものなら、間違いなく風邪を引いてしまう。私はこの少女のことが放っておけなかった。


「すまない。ちょっと止めてくれ」


 私は運転手に命じる。

 停車すると、私は常備してある傘を2本手に取って、車から降りた。


 1本は私自身が差す用で、もう1本は少女に渡す用だ。

 私は少女に近付くと、ぶっきらぼうに傘を差し出した。


 少女は素直に傘を受け取ろうとしない。明らかに警戒している。

 まぁ、それも当然か。こんな深夜に女性に話しかける男なんて、大概ろくな奴じゃない。


「お兄さんは、誰ですか?」


 尋ねられた私は、自身の名刺を少女に手渡した。


「私は神童新汰(しんどうあらた)。神童グループというしがない起業の社長をしている」

「神童グループって……北は北海道、南は沖縄と日本全国で人気ホテルを多数経営している大企業じゃないですか! 設立3年でありながら、既に海外進出まで考えているってネットニュースに書いてありました!」


 丁寧な解説どうも。

 先程は謙遜したわけだけど、現在国内のホテル業で神童グループに匹敵する起業など存在しない。つまり私は日本におけるホテル王なのだ。


「それで、君の名前は? どうしてこんな夜遅くにバス停にいるんだ?」

「私は林道日奈子(りんどうひなこ)といいます。家に帰りたいのは山々なんですが、帰る家がないので……」


 事情を聞くと、林道さんは現在大学生で、それも苦学生に部類されるタイプらしい。

 奨学金で大学に通いつつ、バイトをして生活費を賄っていたそうだが、そのバイト先が突然経営難に陥り、解雇されてしまった。

 それだけではない。不幸は立て続けに彼女に降り掛かり、住んでいたアパートも火事により焼失。結果彼女は、家なし金なし職なし状態になってしまったのだ。


「取り敢えず今夜はホテルに泊まろうかと思ったんですが、訪ねたホテルが軒並み満室で……」

「何だ、それ? この上なくツイてないな」

「そうなんですよ。私って、昔からこうなんです。人生少しは上手くいっているかなと思い始めると、その矢先に不幸に見舞われる。一年に一回最高の日があったとしても、それ以外の364日は大抵不運な日なんです」


 そう語る林道さんの表情は、悲しげで。どこか自分の人生を諦めているようだった。

 

 多分林道さんには、何もないのだ。

 一人暮らしをしていて、すぐそばに両親がいない。こんな時間まで街を彷徨っているところを見ると、頼れる友人もいないのだろう。

 前述した通り、家もお金も仕事もない。

 そんな林道さんだからこそ、自分の人生に希望を持てずにいるのだ。


 それでは林道さんは、一生自身の恵まれない境遇と付き合っていかなければならないのか? 彼女を救ってやることは出来ないのか?


 ……いや、そんなことはない。

 何も持っていない林道さんを、全てを持っている私ならば救うことが出来る。

 救うというのが大それた物言いだとしても、手を差し伸べることくらいなら可能な筈だ。

 

「あー、コホン」と、私はわざとらしく咳払いをする。


「そういえば、屋敷に勤めていたメイドが一人辞めてしまって、困っていたんだ。どこかに我が家で働いてくれる女性がいないものかな」


 チラッチラッと、私は林道さんに視線を送る。流石の彼女も、私の言わんとしていることに気付いたようだった。


「……私に神童家のメイドになれって言っているんですか?」

「話が早くて助かるよ。……住み込みな上に、給料の他に生活費も別途支給する。完全週休2日制で、有休の取得も可。年に一回長期休暇も与えられている。だいぶ働きやすい環境だと思うが、どうだ?」

「因みに、お給料はいくらくらいですか?」

「月収で25万。出来高で更にプラスしよう」


 学生で月25万は、結構な金額だと思う。

 この先奨学金を返していくことを考えると、林道さんにとってかなりメリットのある話だ。


「他に不安要素があれば、何でも言ってくれ。労働環境の改善は、最優先事項だ。可能な限り対応しよう」


 林道さんは少し考えていたが、やがて首を横に振った。


「大丈夫です。不安も不満も、特にありません」

「ということは、私の屋敷で雇われてくれると受け取って良いのかな?」

「はい。よろしくお願いします、ご主人様」


 こうして林道さんは、神童家のメイドになったのだった。





 夜も遅かったので、林道さんには入浴と食事だけ済ませて貰い、そのまま休んで貰った。

 翌日の朝七時。朝食を取るべく食堂へ向かうと、いつも通りメイドたちが整列して私を出迎えてくれた。


『おはようございます、旦那様!』

「あぁ、おはよう」


 メイドたちに向けて挨拶を返すと……ふと列の中に林道さんが混ざっていることに気が付いた。


 俺と林道さんの視線が合う。

 彼女は昨夜のお礼を述べるかのように、軽く会釈をした。


 疲れているだろうから、今日一日くらい休んでも良いのに。などと言っても、多分従わないんだろうな。

 まったく、義理堅い新人メイドだこと。


 林道さんの仕事ぶりは、実に見事なものだった。

 炊事、洗濯、掃除……どれをとっても他のメイドに引けを取らない程高いスキルの持っている。「御局」の異名を持つメイド長でさえ、「あの子、出来ますね」と褒めているくらいだった。

 

 俺の行動に常に注意を払っており、例えばメモを取ろうとした時なんかは、咄嗟に紙とペンを用意してくれる。

 本当に気の利くメイドだ。偶然とはいえ彼女を雇えたことは、私にとって幸運だったのかもしれない。

 家も職も失くした林道さんに、そんなことは口が裂けても言えないが。


 ありとあらゆる仕事をそつなくこなす林道さんだったが、一つだけ問題があった。

 その問題は、仕事帰りの私を出迎える時に顕著にあらわれる。


 一般家庭の何倍も広い玄関で、林道さんは大胆に胸元や太ももを露わにしながら、帰宅した私にこう言うのだ。


「おかえりなさいませっ、ご主人様っ!」


 林道さんの唯一の問題。それは……メイドという仕事を、完全に誤解していることだ。


「林道さん。毎日思うことなんだが、君のその「おかえりなさいませっ」は神童家のメイドに相応しくない言い方だと思うぞ?」

「そうですか? 私の地元では、これこそが真のメイドの作法なのですが」

「真のメイドの作法って……」


 私は林道さんの胸部の谷間や、短過ぎるスカートとニーソックスの間の絶対領域に目を向ける。下心など、断じてない。


「林道さん。参考までに聞きたいんだが……君の出身地はどこなんだ?」

「言ってませんでしたっけ? 私、生まれも育ちも秋葉原です」


 成る程、秋葉原か。

 どうりで私と彼女のメイドの定義に、齟齬が生じているわけだ。


「ところで、ご主人様」

「ご主人様ではなく、旦那様だ。何度も注意しているだろう?」

「失礼しました、ご主……旦那さみゃ」


 注意された直後に間違えて、その上噛むのかよ。どんだけ旦那様と呼ぶことに抵抗があるんだ? 


「お風呂になさいますか? ご飯になさいますか? それとも――」

「それはメイドではなく新妻のセリフだ。……一度部屋に戻る。夕食の支度をしておいてくれ」


 部屋に戻るなり、私はベッドに倒れ込む。

 枕に顔を押し付け、部屋の外に声が漏れないよう細心の注意を払いながら、それでも抑制していた感情を声に出して叫んだ。


「あー、もうっ! 可愛いなコンチクショー!」


 何なのだ、あの生き物は!? 可愛い! 可愛すぎる!

 あんなのは、私の知るメイドとは別の生き物だ!


「旦那さみゃ」って噛むところも可愛いし、噛んだ後で顔を真っ赤にするところもまた可愛い。林道さんは、この私を悶死させる気なのか!?


 ベッドの上で両足をばたつかせるその姿は、およそ大企業の社長とは呼べなくて。こんなのまるで、思春期の中学生じゃないか。


 私は神童新汰。この世の全てを手にする男。だから……間違ってもみっともない姿を、他人に晒すわけにはいかない。


 私は一度深呼吸をして、平静を取り戻す。

 部屋の外に出ると、夕食の支度を終えたであろう林道さんが待機していた。


「お待ちしておりました、旦那様」

「旦那様じゃない。ご主人様だ。……あっ」


 間違えた。

 どうやらまだ、平常心には戻れていないようだ。





 今夜の夕食は、林道さんが作ったらしい。

 というのも、彼女が私の世話担当の今夜に限ってシェフが全員体調を崩したようだ。林道さん、やはり持っているな。


「お抱えのシェフがいる以上、普段はメイドの作った料理を食べる機会なんてないからな。少し楽しみではある」

「そう言って貰えると、私としても気合が入ります。一番の得意料理を作りました。必ずや、ご満足いただけると思います」


 期待のルーキー林道さんの得意料理とは、一体何なのだろうか? 期待に胸を膨らませながら食卓に着くと、卓上に並べられていたのは……一般家庭で出されるような、ごく普通のオムライスだった。


「これは……オムライスか? 至って平凡に見えるんだが?」


 もしかしたら、この卵の中にこそ驚きの真価が隠されているのかもしれない。そう考えた私が、早速スプーンを握ると、


「待って下さい」


 オムライスを食べ始めるのを、林道さんに止められた。


「このオムライスは、まだ完成していません。最後の仕上げが残っています」


 言いながら林道さんは、ケッチャプで「お疲れ!」と書く。そして極め付けは――


「美味しくなーれ、萌え萌えキュンッ!」


 ……………………。

 そんなもので美味しくなったら、厳しい修行も下積み時代も必要ない。羞恥心を捨てるだけで、世界中の誰もが三ツ星シェフになれることだろう。

 

 第一私は、毎日超一流のシェフが作る至高の料理を口にしているのだ。ただのオムライスにケチャップで文字を書いたところで、私の舌を満足させることなど到底出来やしない。私を馬鹿にするのも、大概に……何これ、物凄く美味しい!


 シェフの作る料理と同じくらい絶品のオムライスを、私は無我夢中で食べ進めた。


「お味はどうですか?」

「……給料一割増にしたくなるくらいの美味しさだ」

「それは良かった。隠し味は、ご主人様への愛情です!」


 胸の前でハートマークを作りながら、林道さんは言う。

 愛情、か。本当にそんな調味料があるのだとしたら……私の持てる全財力を駆使してでも、買い占めるとしよう。





 林道日奈子という異端のメイドとの生活は、いつまでも続かなかった。

 林道さんが神童家で働き始めて半年が過ぎた頃……彼女は突然、「お暇を下さい」と申し出てきたのだ。


「新しいバイト先が決まりました。住み込みのバイトなので、住む場所も確保出来ます」

「深刻な顔をして何を言い出すのかと思えば、まさかメイドを辞めたいとは……。やはり神童家での仕事は、つまらなかったか?」

「そんなことはありません。楽しかったです。それにすごく良くしてもらって、本当に充実した半年間を過ごすことが出来ました。でも……だからこそ、これ以上ご厚意に甘えてはいけないと思っています」


 私は神童家の力を使って、林道さんを助けられたと思っていた。でも、それは勘違いだったようだ。

 救ったのは、あくまで表面上だけ。与えられた仕事も住まいも報酬も、彼女にとっては俺に対する借りだったのだ。


 ……私には、引き止めることが出来ないな。

「君の働きに感銘を受けたから」なんて理由では、恐らく林道さんの気持ちは変わらない。


「半年間、本当にお世話になりました」

「あぁ。元気でな」


 神童家の屋敷を出ていく林道さんを、私は一人見送っていた。


 そんな私のすぐ横に、メイド長がやって来る。


「良いんですか、旦那様?」

「良いも何も、林道さんが決めたことだ。雇用主に過ぎない私に、彼女の人生に口を出す資格はない」

「確かに、雇用主の旦那様では林道さんを引き留める資格はございません。でももし、旦那様が雇用主と使用人以外の関係性を彼女との間に望むのならば、話は変わってくるのではありませんか?」


 優れた使用人は、主人の気付いていない本心をも見抜き、その上で的確なアドバイスをしてくる。

 私が林道さんに惚れていることを、メイド長はとっくに見抜いていた。


「……いつから知っていた?」

「結構前から。旦那様って、とてもわかりやすいので」

「……もしかして、他のメイドも知っているのか?」

「気付いていないのは、恐らく当人だけかと」


「そうか……」と短く答えた後で、私の顔はブワァッと真っ赤になった。

 えっ、嘘!? 私ってそんなに好き好きオーラ全開だったの!?


「因みに旦那様がお部屋で「林道さん、好きだあ!」と叫んでいることも知っています」

「うわあああ! もういっそ殺してくれえええ!」


 私は恥ずかしさのあまり、顔を両手で覆ってその場でうずくまった。

 神童グループ社長という肩書きも、これでは形なしではないか。


「そう悲観することはありませんよ。メイドたちは皆、旦那様の恋を応援しています」

「……メイド長もか?」

「勿論でございます。主人の幸せを望まないメイドなどおりません。同時に、部下の幸せを願わないメイド長も」


 メイド長は林道さんの去って行った方向を見つめる。私の思っていた以上に、メイド長は林道さんのことを認めていたようだ。


「私の知っているご主人様は……欲しい物は何が何でも手に入れる。そういう方の筈ですよ? ……もう一度聞きます。良いんですか、旦那様?」


 良いわけがなかった。

 林道さんが屋敷から去って行った時に抱いた喪失感は、未だかつてないものだったから。


「……そうだな。私は全てを持っている男だ。惚れた女を簡単に諦める程、潔い男じゃない」


 去りゆく女を追いかけるなんて、みっともない? だからどうした?

 地位を失うより、プライドを失うより、他の何を失うより――彼女を失うことの方が、余程恐ろしかった。





 メイド長に背中を押された私は、走り出した。

 全力疾走なんて、いつ以来だろう? ここ数年移動は全て車だったから、最後に走った時のことなんて覚えていない。


 多分自分の足で走るのが、格好悪いと思っていたんだろうなぁ。或いは走ってまで手放したくないと思えるものがなかったのか。


 私が林道さんに追い付いた時には、彼女は既にタクシーに乗ろうとしていた。

 閉まりかけたタクシーのドアを、私は慌てて掴む。


「林道さん! 待ってくれ!」


 予期せぬ私の登場に、林道さんは心底驚いていた。


「ご主人様! どうしてここに!?」

「是が非でも、君には屋敷に戻って欲しくてな。柄にもなく、疾走してしまったよ」

「疾走って……ご主人様が息を切らしたり汗をかいたりしなくても、メイドなんてすぐに雇えますよ」

「そうじゃない! そうじゃないんだ!」


 私は息を整える。

 相手のニーズなんて、これっぽっちも考えない。自分のエゴをぶつけるだけ。何も難しいことはない筈だ。

 私は林道さんの目をしっかり見つめた上で、自分の気持ちを言葉にした。


「私は有能なメイドが欲しいんじゃない! 君が欲しいんだ!」


 私の気持ちは、きちんと林道さんに伝わった。その証拠に、彼女の頬が紅潮し始めている。

 

「……ご主人様。私とご主人様が初めて出会った日のことを、覚えていますか?」

「勿論だ。仕事もなくし、家もなくした君は、雨の中バス停で佇んでいた」

「そうです。あの日私は、一年の中でも輪をかけて不運な日だと思っていました。でも、それは勘違いで。ご主人様と出会うことの出来たあの日は――私の人生で、最高の日だったんです」





 ――数年後。

 仕事帰りの私を、今夜も彼女が出迎える。


「おかえりなさいませ、ご主人様っ!」

「ご主人様? 何度も言っているが、違うだろ?」

「あっ、そうでした。もうご主人様じゃないんでした。……おかえりなさい、あなた!」


 秋葉原出身の林道さんは、メイドという仕事を勘違いしている。でも――私の妻ということだけは、きちんと自覚しているようだ。

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