為政者の卵
いらっしゃい。
最近忙しいねぇ…。
自己犠牲の上に社会が成り立っている。
否、他者の犠牲によって初めて社会が機能する。
自他の多聞か。或いは自他の傲慢か。
ひと一人の傲慢を罷り通すのも、果てしない欲求を満たすのも、他者への関与を必要とする。
前提。我々は社会を形成し、社会に帰属することを求める。
移動手段にしても、その道中の安全にしても、衣食住にしても、或いは快適も健康も娯楽も知見すら“生きる”ために社会に帰属することで得られる副産物である。
例えば…死を望み、社会に帰属する事を拒むなら社会に帰属することを条件に担保された『人間性と個人の自由及び人権』を失うことに同意することとなる。言い換えれば諸権利を破棄することとなる。
社会を構築するに必要な『自発的な諸権利の返納』が求められる。凡ゆる規定を、全ての社会を構築する人間を自己の裁量を超えて担保するために献身を強制し、社会性という人間が本来持たない概念を獲得し、道徳を示して人間性の理想を作り、その為に様々な欲求を幼稚と断定し排斥するために見識と見解を累積しつづけ、社会の成長をそれによって測る。
社会の繋がり、良好な人間関係に幸福を感ずる合理性を獲得した。掟と定めがその合理性を合理たらしめる。
天性的な性質によらない社会を維持するには教育が不可欠である。学問を収めるその必要性がここにある。
個人レベル。或いは浅はかな思慮深さにある人にとって学問の学ぶ意味が不透明、無意味に感じるのは事実であるがそれは集団全体の不利益になる。
そして、凡人或いはそれ以下の人間が学ぶという行為を尊ぶことはない。「学びは人生を懸けて意味がある」と知った人間が、その生涯を懸けて探求するのである。
誰かが敷いたレールの上をダラダラとでも歩く事を強制するのは、人類がそのレールの歩き方や敷き方を忘れぬようにするためである。要は社会を構成する下地を失わない事が重要である。
自己犠牲を行う人間はその行為を自己犠牲とは認識しない。
或いは改めてその事に対して考えない。それは、偽善や欺瞞を抜きに本意によって行われる社会貢献であるからにすぎない。
自己犠牲が自己満足に結び付き、それによって社会の歯車としての機能を過不足なく果たしてくれる。
その上に社会は成り立ち、救われている。
無自覚な犠牲者。或いは意図的な救済者がその社会を維持管理している。そして、それは消費者たる我々が知らず知らずのうちに依存せざるを得ない状況であり、その上に成り立つ権威は必ず失墜する。
そして消費者の最も傲慢なところは社会に不満を言い、変革を望むだけ望んで消費者の立場から動かず、一切の自己犠牲も理不尽と罵って拒み、他力本願のまま口喧しく不平不満を叫ぶところである。
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精密な、或いは厳格な存在。
人類の代わりとなる存在を構築するまでに至る。
その姿は人類に劣ることを求められ、それでいて愛玩としての機能も果たす。人類の求める様々な要求に常に応えるよう設計されている。何より自己犠牲の塊であり、それゆえに消耗品。
提供し需要が高まれば供給し、技術的な限界に達する前に新たな提供物を用意する。流行り廃りを上手く活用しながら経済を支え、人類の急激な知能低下を抑えるようフル稼働する。
そうして、人類はいつしか供給過多に苦しめられることになる。消費者の消費が衰えるという事実は提供者にとって、致命的な問題となる。消費者に求められるのは、より良く消費することであり、それによって社会が廻るのである。
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「少子高齢化のため、人類から転生者を見繕うことを一時停止致します」
この場にいる全て存在が同意する。
「以上」
おもむろに可決された。
お疲れ様でした。
以下作者の独り言。
(最近色んなアニメを見て思うよ、あぁ、絶対影響受けてしまったなって、悪い事とは思わないけどそれ以外に考えられなくなりそう。というのがある(え、そもそも対して考えてないから問題ないだって!?)けど、まぁ自分の価値観変わりそう。)




