神の教えに
いらっしゃいませ。
人間に神が執着するという事実がそもそもの弱点だ。
その事実が人間にとって都合が良いから信仰の対価として祝福を求めた。
そんな人間に神は信仰深さが幸せの量だと教える。
それによって祝福は神が与えるモノではなくなった。
信仰深き人の手から祝福と称した庇護を信仰心の無い人間に与える。無論、信仰心の欠片もない人間はその対価を要求されるのではないかと怯え、裏を探る。そこで神は神託という手段を用いて信仰を根付かせればよい。神という絶対の管理者が人間という下等な生物を祝福する事実は多生物を超越しているという抗い難い優越感となる。
しかし現実は生物としての攻撃性能や攻撃性能に見合った肉体が他の生物に劣り、それらを防ぐ生物的な要素も少ない。
多少の毒を分解する能力は有っても毒を有している訳では無いから肉食獣に狙われ、時には赤子は蛇に丸呑みにされる。
川という水場も天候や時期によって人間に牙を剥き、或いは干上がってしまう。
されど人間は繁栄している。その理由は単に知識を後世に伝える事が容易であり、雑食という特性は食糧確保という点において知識の継承が有効に機能しているからだ。問題はその全ての食糧が他の生物群にとっての好物であること。
人間が生きる為の食糧と寝床の確保は端的には他の生物の食糧と寝床を略奪する行為である。ここでも知識の継承は有効に活用される。即ち、生態の分析である。
人間は集団力も個人の力も他の生物に劣るという事実がある。
知識を有していない純粋な人間の群れが蜂の群れに惨敗することは明らかである。だからこそ人間は知識の継承を絶えず行い続けたのだ。
その知識の継承の流れの中に神が介入するのは最も自然だ。
先人の言葉は古くは生きる術であり実用的な、ある意味では"神に等しい"存在だった。だからこそ人間は顔も分からない人の言葉を真に受ける。それが必要であり、また継承される程の価値を有しているからだ。
そして、様々な自然現象が発生するたびに人類は先人の知識に縋り付いた。その中に本物の神の教えが有れば実行する。
すると自然現象は収まり、更には祝福されているという実感を感じ、"神の存在が有る"事を後世に伝え、神を信仰する方法を改めて継承する。この流れが人間の生態である。
その知識が不要と判断されるまで勝手に信仰心を募らせる。だから神が直接的に手を加える必要がなくなった。
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「神父様…手紙が届いております…過激派からの矢文でございます」
【我々は神の信徒なり。
人類が十人十色、三者三様、散々人は見かけによらぬものと先人が訴え続けているのに人間は自由を目指すべきと断言する愚かさで、明確な間違いの正当化を多様性として見誤っている。既に人間が不必要な知識を継承し限界を迎えていることの証明である。
人間で有るというだけで尊重されるのは、その人間が様々な条件を満たしている事が前提となっていることを思い出してみれば、納得のできる考え方である。ただ、その前提を忘れてしまっている愚か者も近年増えてきているが。
そんな些細なことよりも本題は、今の宗教の問題の一つ。
無条件の愛という幻想的かつ善良な善意を受けることは可能でも、享受し続ける事は不可能だということ。
だからこそ、無条件の愛の発生源たる神に条件付けをしてもらう。
神は条件を満たした者に愛を捧ぐと公言する。
条件を満たされた者は等しく愛されるはずだったが、条件を満たさない者からの妬みや嫉妬は寵愛を受ける条件の達成維持を困難にする。
即ち神の否定。
神の否定は神の存在を改めて示すことによって撤回される。
祝福はまさにその流れの中で生まれた副産物で有る。
宗教はもともと神の存在や知識を継承する為の方法だったが、妬みや嫉妬から個人が攻撃されないように組織化され運営されることとなった。
組織化されることで神の存在と宗教の管理人が同一視されている。許し難いが今はいい。
愚かにもその否定の為に神に最も近いという理由から神の存在を証明する方法を取った。この階級の誕生は信者が神に祈りを捧ぐという純然たる目的を崩壊させた。
信者は神に祈りを捧ぐことよりも神に近付くことに喜びを見出した。
神の前では皆が等しい筈で、そこに上下左右の差はあり得なかった。
宗教は神の下に等しいが組織化された宗教には純然たる信徒の中に差を生じさせる。
その階級が人間の利己的な感情を引き出してしまったともいえる。
その階級は神には無意味なモノであるが、同時に人間にとって優位なモノであった。
何より純然たる信徒を神が招くという在り方から人間の手によって神の教えを説く独善的かつ支配的な在り方へと変化したと言っていい。
必要なのは組織化された宗教という人間の利己的な在り方を破壊する策で有る。
我々を過激派と蔑む冒涜を繰り返す今の宗教の在り方は到底許容できるモノではない。
我々が目論むのは組織化された宗教を破壊して本来の宗教を取り戻すことである。
無論、過去から学んで進化する必要性は認める。
我々には転生者が…神の祝福を与えられた者が味方に付いている。
宗教の元に国を作る事を我々は提案する。
神の教えを徹底する我々が繁栄すれば宗教を組織化する必要がなくなるだろう。
異世界には法律の元に全てを決める国があるという。当然我々が求める法は聖書の法だ。
しかし、今の現状で国を創れば他国の侵犯が必ずあることも承知している。その為に組織化された宗教の管理人から偽りの王が数世代は必要だということも結論が出ている。
我々は純然たる信徒を保護するという今の宗教の理念には賛同している。
…ただし、その実態が利権や功利主義であることが許せない。
我々は目的に合った理解者を今の宗教の幹部から求めている。
もし純然たる信徒であり、我々の目的を真に理解しつつ熱心ならば過激派と称される我々の方から一時的に取り込まれる準備がある。
協力するならば手紙を手渡してきた男にその旨を伝えればそれで良い】
「…それで神父様、お返事は…」
「少しは賛同できる…」
「どういう意味でしょうか」
「協力しよう」
「そうですか…また後日お会いしましょう、神父様」
お疲れ様でした。
(共同体となる為の教育が風習である。とか、人間の弱さが発達において不可欠な要素である。とか考えてみると面白いですね…全部教育学の本から頂戴した言葉ですけども。宗教と風習が密接に関わっている事は知ってましたが風習が教育の一環とは深く考えた事がなかったので新鮮でした。均衡化理論とかも面白いで…実はかなり作品に影響しているので、興味がありましたら「教育学をつかむ」という本を読んでみてください。)という勝手な宣伝。




