悪魔
いらっしゃいませ
人類は神を否定した。
人類は様々な自然現象を自力で説明するに至った。
その説明は絶対的な正当性を帯びた間違いである。
神の否定の上に成り立つ科学が真理に辿り着く事はない。
神が存在し、神の言葉に盲目的となる程度でも真理は見えない。
宇宙は悪魔を肯定する。
当然、神もそれを認めている。
人間に擦り寄って人間から糧を得る悪魔と人間の魂を取り込んでしまった神々の目的は似通っていた。
神々はその目的の為に人間を保護し、盲信的な信仰心を発し続ける事を求めいる。
悪魔は原始的な欲望が理性によって制御され、稚拙となった感情を求めている。その為に人間を理性的な盲目の愚者へと堕とす。
悪魔と神々はその程度の差こそあれど支配する事が目的である。
それは、悪魔と神々の条約によって明確となっている。
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神々は時に唯一神として星々を支配する。
その中の星で人類の対立が起きると唯一神の存在は分離する。
神は盲目的な信仰のみ求めるのであって、人類の対立は些細な事である。故に、対立による信仰の減少もまた些細な問題である。
ただ、問題が有るとすれば、それは信仰が形骸化し、「信仰という目的」から「信仰という手段」へ成り下がることである。
人は神を信仰する事で幸せを感じていた。
しかし、信仰という手段を通じて幸せになろうとする打算的な手段となれば、神々は信仰を集められないのである。
信仰という過程を得て幸せとなるのではない。
信仰が幸せであるのだ。
人類の感情が退化することで、幸せを感じられなくなっている。
幸福を追求した人類が辿り着いた境地こそ信仰であった。
それが、娯楽を幸せと誤認し、快楽を幸福と定義した。
その過ちを正すことが不可能な事となるのが問題なので有る。
神は思案する。
人類が再び悪魔という競争相手に傾かない幸せに満ちた世界の構築方法を。
人類はかつて忍耐を美徳とした。
それは人類の平和を維持する最大の心理状態であるからだ。
主体性を兼ね備えた忍耐力が身に付いた頃に大人になったと評される様になっていた。稚拙な考えと幼稚な主義主張を理性をもって忍耐する事は、和を持って尊しとする人類の大人の定義であった。それが、どんなに困難でそれがどんなに難しいかを理解する頃に、成長したと評される。神はその定義に則った様々な教示を示した。
次第に、その求める大人の水準と、その大人の理想とが混同していった。
子供は良くも悪くも素直であった。
大人はそんな子供に「こういう大人になりなさい」と理想を語って聞かせてこれこそが理想で、目指し続けるべきものと教える。
しかし、子供はその理想を「大人の最低限」として認識してしまう。当然、理想の大人像と稚拙かつ幼稚な子供の対立が起きた。
結果、子供を固辞したまま肉体だけが成長する。
そう言った人間に悪魔は擦り寄る。
悪魔は稚拙な大人を欲している。
だからこそ稚拙な大人を利用して悪魔は素直な子供に「大人なんてこんなもんだ」と稚拙な大人を見せ付ける。
そして、それを見た子供は成長する事を辞める。
何故ならばすでに稚拙であるからだ。肉体がこのまま成長すれば、稚拙な大人になれる。そうやって人類が子供のままに老体となった時、神は修正を諦める。
人類は真面目に怠慢である。
神は思案する。
人間を稚拙でない大人にする為には試練が必要であると。
されど、試練なくして人類は生きる事が可能だ。
それは、本来人類が自立した生命体であり、神もまた人類に執着する理由などなかった事が由来する。
人類誕生の変革は神々を狂わせる要因である。
故に事態を無かったことにする事は不可能である。
試練は稚拙な子供と大人には苦痛でしかない。
そもそも様々な欲望が理性によって抑制され、雑念として悪魔の囁きとして無我の境地へ至る道を阻害する。
本来であれば、悪魔と人類が共存する筈であった。
本来であれば原始的な生き物として有り続ける筈だった。
火を使って料理する珍しい生き物であった。
神々は理性ある存在、知性ある存在、知能ある存在を愚によって自滅しないよう手助けは存在であった。
理性も知性も知能も生物の多様性の一つとして理解されていた。
しかし、宇宙は矛盾を孕む。
人類がその矛盾の発生源となった。
神を認知した。
神は宇宙の一つであり、真実である。
神という様々を認知して干渉する不可逆的な存在を認知して干渉する矛盾。
宇宙の矛盾。
それが神を狂わせた。
神は思案を辞めた。
様々な人間に干渉されて思考が乱れたからだ。
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「…夢を見ていただきます」
お疲れ様でした。
余談ですが、無宗教です。或いは仏教の教えに感心する神道的思考回路を含んだ現代的思想に塗れたキリスト教の教えを利用する無差別に怠惰な存在です。




