休日
いらっしゃいませ。
「あのままならば死んでいましたよ」
白日の元に晒しても誰も訝しむことがない人物、或いは紳士と言い換えてもいい男性が、和やかに差し出すのは腹の虫を誘き出す匂いを放つ白濁した飲み物。知識に存在しないその飲み物をベットの上で啜る。そして、意識の覚醒した瞬間から際限なく膨れ上がる疑問が美味しい飲み物に対する感謝と感想の代わりに吐き出されていた。
「…何が…あったのでしょうか」
否、あまりの美味さに脳が気の利いた言葉を忘れて、代わりに死活問題である疑念が脳を一時的に埋め尽くし、勝手に勘違いした脳が飲み物に対する感謝と感想の言葉はこれだ!と口を滑らせたのだとほんの一瞬、驚いた男性へ言の真意を言い掛けて黙り込む。どちらにせよ死活問題なのだ。聞かねばならず、意図せずとはいえ言ったのだから言を曲げることはない。
「それと、この飲み物すごく美味しいですね、初めてここまで美味しい飲み物を飲みました、色々ありがとうございます」
そして男性が語り出し感謝を述べる機会を失わないうちに感謝を伝える。人として重要な事であり、『我は有識者である』と自称するからには必要な行為である。
「いえいえ、お気になさらずに」
そう言って注ぎ足す男性が語り出す。
「帰路に就いた私が雨の中において寝返りを打つ貴女を偶然見つけられたのはまさに神のお導きでしょうか?…なんて冗談はさておき、自殺志願者でない事を悟った私は貴女の身分証を探し出して拝見し、善良な国民である事を確認したのち、起こそうとしましたが相当お疲れの様でしたので、失礼と知りつつも私の家で雨風を凌いでもらいつつ命に関わることだと割り切って服を脱がせ、体を拭き身体を暖められるようにして、手をこまねいている最中に目を覚ましたので御座います」
男性が語る事が本当であるのならばそれは命の恩人である。
嘘ならばその行動に意味を見出すには時間がかかるか或いは男性が示してくれる筈であるが、この男性は正義に寄っているのだと分かる。すぐには起こさず私が犯罪者であるのらば助けなかったか憲兵にでも突き出していたと暗に訴えて疚しい理由から助けた訳ではないのだと語ってみせたのだ。
「それは、ありがとうございます」
何より、今だに手を付けずにいる注ぎ足された飲み物に対して禁断症状や飲みたいという欲求は無い。腹を下したり、頭に靄が掛かっていたり、目の前の男性が第一印象よりも魅力的に見えているわけでもない。そこまで考えて、思考が途切れる。
「その、トイレを借りたいのですが…すみません」
「あぁ、それは大変だ、此方へどうぞ」漏らされても困るとすら言い出しそうな声色に何処まで紳士的なんだと思ってしまう。
私の所有していない女物の服に身を包んでいるのを今更ながらに確認し、幾ら請求されるのだろうと身震いする。寒さも相まってその震えは男性を心配させる程だった。
「…えぇ、はい、助かりました、本当にありがとうございます」
数百とは言われなかったのだから本物の紳士だと感じながら要求された数十の金貨に少し色を付けて紳士に支払う。自らの不注意で落とした命をたまたま所有した紳士から買い戻す為の金貨。もちろん傷物にしたらそれを理由に値下げ交渉は出来る。それでも買い戻せず奴隷となる事もある。
どんな金額でも法外な金額だと訴える事ができる。そして訴えれば命の恩人に支払う必要は無くなるが、その金額によっては自殺行為に匹敵する。金額によるが自らの価値を下げる訴えは、つまるところ訴えた金額を支払えば自ら奴隷になるのだと宣言する様なものなのだ。
秩序は金で操作できる。それを誰もが黙認する。
金の無い連中が騒ぐだけで、金が有ればこれほど自由を実感できる国も無い。大衆の前で大金をちらつかせ憲兵を誘惑し犯罪を有耶無耶にするなど多くの女性にとって朝飯前ですらあり、それを皆は黙認する。
それだけに同性愛に目覚めた憲兵は多くの女性に嫌われる。
多くの者がこの町を歩き回り経済を回しつつ憲兵より熱心に治安を維持している。そんな国民に何も知らない他国の者は感心する。
窃盗の犯罪が極めて少ない国はそれだけで他国から評価されるのだ『流石多神教を国教としている国』だと。
ーーー
「当たり前だと何度も…」
魔法詠唱を省く我が子が悲鳴を上げる。
「何処で何を知ったかは知らないが無詠唱など自殺行為だ」
「はぁ…気絶したか」魔法学会で散々否定され尽くされた無詠唱の伝説。
「神は云われたのだ、世界に干渉するならば、声高々に世界に示せと、なのに、愚か者が!何故そこまで無詠唱に拘る!」
「絶対に出来る…はずなのに」
「絶対に出来ないからこそ短縮詠唱を極めるのだ」
「それだと、ほら…ね?」
「はぁ、あれか?英雄願望でも抱いているのか?歴史に名を残したいのか?短縮詠唱を更に短縮する術でも見つけるんだな」
「それだ!」
「やはり、愚かだな…一部ではあるが一文字詠唱を成功させている偉人がいるのだ、それ以上の短縮詠唱など存在するものか」
「え?そうなの?」
「座学を軽視するからこうなるのだ」
「…」
「まぁ、今後、しっかりと座学に励め」
「……」
「なんだ?言いたいことでもあるのか?」
「…8言語と各言語に基づく理論の理解と数学…気が遠くなる」
「まだ2言語すら習得してないのだから先は長いな」
「…賢者の最低条件なんでしょ?」
「当然、賢者の最低条件だ、賢者はそれを基礎として応用、各言語の理論を複合理論に組み直しながら複合詠唱を唱えるくらいは出来る」
「賢者は目指さなくていいや」
「最低でも一端の称号くらいは手に入れてもらわねば困る」
「…4言語と各言語の理論理解と数学?」
「うむ、それが一端の称号に必要な技術だ」
「はぁ、何で環境に恵まれたんでしょうか、怠ける言い訳になる様な金に難のある環境に生まれたかったよ」
「ほぅ、文句はそれだけか?」
「あ、いや、うん、今は…冗談だよ、本当産んでくれて感謝しかありません」
「はぁ、何故こんな狂った子が我が息子なのか…浮気を疑うぞ妻よ…はぁ…先が思いやられる」
努力をしない我が子は環境のせいにする。
常に環境に責任を押し付ける息子は努力を怠り怠惰に時間を浪費する。多くの恵まれている輩にありがちな無自覚に環境が悪いと考えてぬくぬくと怠惰に腰を下ろして動こうとしない性質。
仮に環境に恵まれていなければ、今の様に怠惰に腰を据えるなど出来るはずもない。すれば命を即座に失うのだから。
今の環境がどれほど恵まれているのかを理解していないのか。
恵まれていなければ、怠惰など考える暇などないと少しは想像できないのか…。今日を生きる術は行動しかないと理解させるには…。今日や明日の命の心配をしないでいい環境がいかに恵まれているか…それを理解させる為に素っ裸にして冬の山脈に放り投げるしかないかと思案していると何かを感じ取ったのか我が子が勉強道具を取り出した。
「まだ時間あるでしょ?理論を教えてよ」
「あ、あぁいいぞ」
今すぐに実行する必要もないなと考え直して頭を切り替える。
ーーー
「禁域の拡大が観測されています」
「これは例の自称神の影響か?」
「分かりかねます」
「転生者の排除に動いた方がいいのでは?」
「…確かに必要最低限の人類を確保できています」
「はぁ、他の神々に何と説明するのだ」
「これ以上は不要だと騙るのか?滅亡したらどうする?」
「仕事を失えば存在意義が揺らぐ存在が多い」
「全く…宇宙の意志を知れれば良いのだがな」
「同意します」
神々が片手間に語らっている空間は次第に白紙となってゆく。
長いは無用とばかりに去る神々の最後の一柱がその変化を見届ける。
お疲れ様でした。




