婚約破棄は構わないですが、あなた様がケンカを売ったお相手、誰だかご存じですの?
婚約破棄を書いてみました。設定ゆるゆるです。ゆるくお読みくださいますと幸いです。感想評価、お待ちしています。
ちはやれいめい様作
それは唐突な宣言だった。
おりしも宴たけなわの、パーティー会場で行うものではないような。
「ネアリー・アニクエー嬢。わたくし、アルゴ・フィリオは、君との婚約をここに破棄する!」
名指しされたわたくし、ネアリーは、やっぱりという思いとともに、どうしても訊いておきたいことがあった。
それはわたくしの婚約者であるアルゴ様に腕を絡ませている、ジューン男爵令嬢の姿を認めたからである。
「婚約破棄は承知いたしますが、失礼ながらアルゴ様。理由をお聞かせいただけますか?」
アルゴ様はフンと息を吐き、一気に語る。
「君の行為行動が、侯爵家の婚約者として、ふさわしくないからだ。
第一に、ジューンにしつこく嫌がらせをした。
第二に、ジューンがケガをした時に、故意に間違った手当を行い、ジューンの命を危険にさらした。
第三に、とにかく、君は女性として、わたくしの婚約者として、ありえないほど冷たい人間だからだ!」
冷たい?
女性として、人間として?
ああ、あの時のセリフは、今日このために用意していたのね。
それは十日ほど前のこと。
◇◆◇
庭園には、秋の風が吹いていた。
「少し、距離を置きたい」
アルゴ様はそう言った。
わたくしは一言だけ答えた。
「はい……」
アルゴ様は小さく舌打ちをする。
「理由も訊かないのか?」
既に距離を置かれていたわたくしは、理由を訊きたいとも思わなかったが、仕方なく尋ねる。
「訊いて、よろしいのでしょうか」
アルゴ様は大きくため息をつくと、普段よりも大きな声を出す。
「ネアリー・アニクエー嬢。君が冷たいからだ」
わたくしはテーブルの下で指を重ねる。指先は冷えていた。
冷たいって、このことかしら?
アルゴ様は更に言い放つ。
「先日、俺がケガをした時のこと、覚えているか?」
わたくしは無言で頷く。
たしか、それは先月のこと。
月に一度の茶会で、アルゴ様のカップが割れ、彼の掌は、破片で切れた。
「君は顔色一つ変えず、侍女に水と布を用意させて手当した」
「はい、さようでございます。それが、何か」
「なぜ慌てない? 君の婚約者の手から血が出ているというのに」
わたくしもため息をつく。
慌てる程のケガではなかったのに。
「何か、間違った手当をしてしまったでしょうか?」
アルゴ様は頭を振る。アルゴ様の金髪が午後の光を照り返している。
「俺が言いたいのは、そんなことじゃない! 血が出るようなケガをしたら、普通慌てて医官を呼ぶとか、『大丈夫ですか』と声をかけ心配するだろう!」
「さほど深い傷に見えませんでしたし、血を止めて、傷口を覆うだけで十分かと思いまして。クアトロス先生もそのように……」
アルゴ様は、「チッ! またクアトロス先生か。もういい!」と怒鳴り、立ち去った。
面倒になったわたくしは、そのままゆっくりお茶を飲んだ。
冷めたお茶は、あまり美味しくはなかった。
わたくし、ネアリー・アニクエーは、伯爵家の娘である。
先ほど立ち去ったアルゴ様は、フィリオ侯爵の嫡男で、わたくしの婚約者だ。
貴族の婚姻は、家の格と政治的配慮によるものなので、わたくしが物心ついた時には、一つ年上のアルゴ様と婚約していた。
出会った頃のアルゴ様は、栗色の柔らかい髪をなびかせながら、クリケットに興ずる活発な少年だった。
わたくしはどちらかと言えば、本を読んだり、草花の観察をしたりすることが好きで、アルゴ様との趣味はあまり合わなかったが、適度な距離感でお付き合いを続けていた。
それから十年余り。
小説の様な、燃え上がる恋愛感情はわたくしにはない。
きっと、アルゴ様もそうだと思う。
わたくしには、ジューン男爵令嬢のような、女性としての魅力は乏しい。
ありふれた色の髪と瞳を持つ、平凡な貴族の子女だ。
それでもいずれ、アルゴ様と結婚するのであろう。
せめて学園生活の場では、興味ある勉学に勤しみたいと願っている。
アルゴ様もそうだと思っていた。
たとえ恋愛感情はなくても、少なくともわたくしに、情はあるのだと。
だが。
今年の春先あたりから、わたくしに対してだけ、アルゴ様の顔つきは険しくなった。
同時期に編入してきた、男爵家のジューンという令嬢には、いつも春のひだまりのような笑顔を見せるのに。そう、昔の、少年時代の笑顔を。
ジューンは赤毛交じりの金髪を肩の下まで伸ばし、パッチリとした空色の瞳は、いつも潤んでいる。身長はわたくしと違って低めで、華奢な手足をぱたぱたと動かす姿は、男子生徒の庇護欲をかき立てるらしい。
アルゴ様と、上位貴族のご友人たちは、ジューンを守る騎士の如く、いつも一緒に行動している。
わたくしが必要があってアルゴ様に近づこうとすると、「何用だ」「ジューンは俺たちが守る」などと、見当違いの罵声を浴びせられたことも、一度や二度ではない。
他のご令嬢たちはそんなジューンに、いろいろ陰口を言っていた。
でも、嫌がらせなんて、したことはない。
というか、わたくしはジューンと会話すら、殆どしたことがないのだが……。
アルゴ様やわたくしは、王立高等学園の生徒である。
高等学園は王宮の敷地に隣接している。
わたくしはその王宮のはずれにある、医術院に向かう。
昨年から週に一度、わたくしは医術院の補助的な仕事を手伝っている。
「いらっしゃい」
医術院の副院長であるクアトロス先生は、何やら本を読んでいたが、わたくしに向かって片手を上げる。
先生はまだお若いが、東の大国では、既に医学を修めている。
この国は医官が少ないため、わざわざ王妃が招聘したと聞く。
さらに言えばクアトロス先生は、濃紺に近い黒髪と、海の浅瀬のような碧色の瞳を持つ、端正なお方だ。
高等学園の女子生徒は、健康に問題がなくても医術院によく通う。
ただひたすら、クアトロス先生のお姿を見たいがために。
わたくしは、元々医学への興味があったので、仕事をさせてもらうようになった。それがまた、アルゴ様の不興を買っていることは、薄々感じていたのだけれど。
「浮かない顔して、何かありましたか? ネアリー」
わたくしの仕事は、使用済みの器具を洗ったり、必要な物品を補充したりすることだ。
器具を洗いながらの小さなため息を、どうやら聞かれたみたいだ。
「いえ。はあ……なんというか、血を見て騒がないのは冷たい人間と言われ、少しへこんでいます」
クアトロス先生は本を閉じる。
「ああ、アルゴ君か。まあね、男って勝手だからさ。女性に夢やら幻想やら、抱いているんじゃないの?」
「そういうものですか?」
「わたしもそうだったしね」
過去形ですね、先生。
では、女性への幻想は、もうなくなっていますか?
先生も、庇護欲を掻き立てる、女性がお好きなんでしょうか……。
わたくしは、聞きたい気持ちをそっと抑えた。
「これからアルゴ様に対して、どう接すれば良いのでしょう?」
先生は微笑みながら、わたくしに飲み物を出してくださった。
「君は今のままで良いよ。十分素敵な女性だから。一年以上、君を見て来たわたしの感想だ。君の素晴らしさを理解できない、男の方が悪い」
先生は、わたくしの顔をじっと見つめる。
その整ったお顔に、わたくしはドキドキしてしまう。
『十分素敵な女性』
女性としての自信が、ぱらぱら散っている今のわたくしには、胸の奥が温かくなるセリフだ。
アルゴ様には、感じたことのない胸の高鳴り。
先生の笑顔に癒されたわたくしは、ありがたくお茶を飲んだ。
そこで図々しいお願いをする。
「先生。十日後に、王宮でパーティーがあるのですが、先生にエスコートをお願いしてよろしいでしょうか?」
他国の方をもてなすパーティーだそうだが、アルゴ様は欠席されると言う。
「ああ、喜んで。俺の国からの、お客さんだからな」
◇◆◇
そして、パーティの夜がきた。
クアトロス先生は、わたくしの邸まで、迎えに来てくださった。
いつも白衣姿の先生しか見ていないわたくしは、夜会の正装姿で現れたクアトロス先生に見とれてしまう。先生の胸には、出身国の国旗と小さな金色のメダルが付いていた。
今日のわたくしは、先生の髪の色に近い紺色のドレスと、ブルーサファイアの首飾りを選んだ。
「いつにも増して、綺麗だよ、ネアリー」
お世辞でも嬉しい一言である。
アルゴ様と会うと、「その色は似合ってない」とか「仏頂面はやめろ」とか、わたくしを否定するようなことばかり言われていたのだ。
パーティ会場に入ると、わたくしの視界に、アルゴ様とジューンがよぎった。
欠席と言っていたアルゴ様だったが、そういうことだったのね。
やはりという諦めと、残念な気持ちがわたくしの顔色を少しばかり変えた。
「堂々と前を向いて。君は誰よりも美しい令嬢だよ、ネアリー」
わたくしは思わず、涙が出そうになった。
クアトロス先生が側にいてくださって、良かった。
ダンスのリードも、先生は優雅で完璧だった。
王族の方が、お客様を連れて、クアトロス先生のところにやって来た。
お客様が深々と、クアトロス先生にご挨拶をされた、その時だった。
会場の中央で、アルゴ様がわたくしに婚約破棄を宣言したのは。
「聞き捨てならないな、アルゴ君」
クアトロス先生が、アルゴ様に向かって言う。
アルゴ様は先生を睨む。
「あんたに関係ないだろう。それに仮にも侯爵家の人間に、その言い方はなんだ。たかだか平民医官のくせに」
クアトロス先生は苦笑いする。
「君は『間違った手当』と言ったが、指示したのはわたしだ。王宮医術院の医官に対して、不穏当な発言と分からないのか」
会場のざわめきの中で、お客様を案内している国王の従兄にあたる方が、はらはらしている。
そして、大国からのお客様の顔色がさっと変わったのを、わたくしは見た。
「だってぇ、わたしがケガした時、消毒してくれなかったんですよお。普通、お酒で消毒するでしょう。もう、そのせいで、膿んじゃったし」
アルゴ様の隣にいるジューンが、体をくねらせて言う。
確かに以前、ケガをしたジューンが医術院に来たことは覚えている。
クアトロス先生にも、くねくねしていたっけ。
「ケガに酒で消毒? 我が国で今、そんなことをするのは娼館くらいですね」
大国イクソーシア国からのお客様が微笑みながら、流暢に喋る。
お客様はクアトロス先生と同じく、黒髪の男性だ。わたくしよりも少し年上だろうか。
「イクソーシア国は、ここより数倍医学が進んでいる。ケガの手当は真水で洗って傷口の保護をする。それが基本だ。そこのジューン嬢のケガが膿んだのは、毎日水で傷口を洗えというわたしの指示を、無視したからに他ならない」
クアトロス先生の発言により、会場には、ほおっという空気が流れる。
「生意気な! たかが医官如きが」
ようやく、アルゴ様のお父上であるフィリオ侯爵が走ってきて、彼を取り押さえた。
叫んだアルゴ様を、侯爵は叱る。
「馬鹿モン! クアトロス様に何ということを!」
アルゴ様は素で驚いていた。
「えっ、父上、『様』?」
壇上から声がした。
「クアトロス・イクソーシア殿下は、イクソーシア国の第三王子である!」
会場の皆が、正式な挨拶を壇上に向けた。
壇上には、我が国の国王陛下がいらしていたのだ。
◇◆◇
クアトロス先生の胸についていた勲章のようなメダルは、大国イクソーシアの王族にのみ、与えられるものだった。先生は、イクソーシア国の最高教育機関である大学で、医学を教えていたのだという。
そして本日会場にみえたお客様は、イクソーシア国でのクアトロス先生のお弟子にあたる方だった。
わたくしは、大国の王子殿下に、今まで気軽に話をしていたことに気が付き、顔が赤くなった。
フィリオ侯爵がクアトロス先生とわたくしの前で、アルゴ様とジューンの無作法を詫びた。
「本来ならば、国家間の問題になるところですよ」
クアトロス先生のお弟子様がキツイ口調で言うと、クアトロス先生は、「まあまあ」となだめた。
国王陛下も直々に、クアトロス先生に詫びた。
「クアトロス殿下には、わが国の遅れた医学分野を発展させてくださった恩義がある。本国へお帰りになる前に、望む褒賞を用意したい」
そんな陛下の言葉に、クアトロス先生は答えた。
「そうですね、褒章ならば、婚約破棄されたネアリー・アニクエー嬢を、わたしの婚約者として連れて帰りたいです」
一瞬、わたくしは先生の言葉が呑み込めなかった。
会場の令嬢たちが、一斉に「きゃ――!」と黄色い声を上げたことで、ようやく気付いた。
え……?
何……?
わたくし……。
プロポーズ、されたの?
鼓動がいつもより早いわたくしを気遣ってか、クアトロス先生はそっとわたくしの肩を抱く。
国王陛下は、わたくしに問う。
「ネアリー・アニクエー。そなたの気持ちは如何であろう」
淑女の礼を取り、わたくしは答えた。
「ありがたく、承りたいと存じます」
会場には更に大きな歓声が上がった。
◇◆◇
その後、王宮の執務官が我が家にやって来て、クアトロス先生とわたくしの正式な婚約が決まった。
わたくしの卒業を待って、クアトロス先生はわたくしを連れ、イクソーシア国へ帰るのだ。
先日、パーティにお見えになったお弟子様は、クアトロス先生の後任として医術院の医官になるのだという。なお、先生は堅苦しい肩書がお嫌いなので、医術院ではイクソーシア王子ということを伏せていたのだった。
「前々から、ネアリー様のことはクアトロス先生からうかがっていました」
どんな風に、わたくしは評されていたのだろう。
「美人で清楚な女性が仕事を手伝ってくれるので、しばらくはイクソーシアに帰らないって」
クアトロス先生は、お弟子様を小突いた。
わたくしは朱色に染まった頬を両手で押さえた。
指先まで、熱くなっていた。
◇◆◇
いささか蛇足である。
国賓扱いの客人をもてなすパーティで、失礼なふるまいをしたアルゴ様は廃嫡された。
ジューンは高等学園を退学し、男爵家からも追放されたと聞く。
その後わたくしはイクソーシア国に渡り、先生の勧めにより最高学府に入学した。
今は、医学を学んでいる。
◆◆◆エピローグ・元婚約者の回想
俺は、フィリオ家の嫡男だった。
過去形なのは、父、フィリオ侯爵から廃嫡を命じられたからだ。
異国からの客人をもてなすパーティで、やらかした。
家同士で結んだ婚約を、俺はそこで破棄してしまったのだ。
俺にも理由はある。
婚約者だったネアリーは、俺より格下の伯爵家の令嬢だが、あまり女らしくなかった。
普通、貴族の令嬢の好きなものは、お菓子とファッションと恋愛だというのに、ネアリーは違った。
彼女の興味は、生き物や人間の体の仕組み。できれば医学を学びたい、そう言っていた。
冗談じゃない!
長らく我が国では、けが人や病人の世話をするのは平民か修道女。俺の妻になる女性が、下々の世話をするなど考えたくもなかった。
そんなおり、大国を訪問していた王妃がケガをしたのだが、その国での手当の素晴らしさに感動したと聞いた。そして王宮に医術院を設置し、その国の医者を呼び寄せた。
わざわざ来るくらいだから、異国の名もなき平民だろうと、俺は勝手に思っていた。
医術院に来た医者は、簡単な手伝いが出来る者を募集した。
ネアリーは真っ先に手を挙げた。
俺は反対したかった。
すれば、よかったのかもしれない。
「君の好きにすればいい」
俺の返答を聞いたネアリーは笑顔になった。その時の、花が開いたような彼女の表情は、今も忘れられない。
次第に遠ざかっていく婚約者。
シッポを振ってまとわりついて来るような、男爵令嬢。
知性と理性に長けた婚約者。
依存心が強く、男の優越感を満たしてくれる男爵令嬢。
愚かな若い男は、男爵令嬢にのめり込んでいった。
婚約者だったネアリーは、大国へ旅立ち、医術院の医者と結婚した。
驚いたことに、医者は元々王族だったのだ。
彼女は今、希望していた医学の勉強をしているという。
ネアリー、遠くから君の幸せを祈る、なんて俺にはまだ言えない。
だが、何もしないで生きてはいけない。
ケガが治っても、体の動きが元に戻らないこともある。
だから俺はそんな人のために、今、杖を作っている。
本当は、俺自身が君の杖になるべきだったな、ネアリー。
クアトロス先生仕事着姿
管澤捻様作
ここまでお読みくださいまして、誠にありがとうございました。
ケガの手当に関しては、最近の方法で説明していますことを、ご了承ください。
誤字報告、助かります。